遺雪のプリムローズ(1)
燃え盛る家を背にエルラとサリクス、そしてリリの〝三人〟は歩を進めていた。
エルラにとっては、二年半ほどを暮らした第二の故郷ともいえる場所。そこを今度は自らの手によって壊した。もう後戻りはできなくなった。けれども、それほど感慨もなかった。
およそ二年半の修行期間において、エルラは五〇回以上死んだ。数えるのをやめたのが五〇前後の時点というだけで、実際にはもっと死んでいる。
その中でも、サリクスには二六回殺されている。これだけは日記に書いて残していた。訓練で九回、訓練外で十七回。これは恨みというよりは、〝借り〟としてサリクスへの要求を通すための交渉材料にする目的で記録したものだ。特に訓練外の死はサリクスの〝秘密〟に直結するもので、エルラの握っているサリクスの弱みだった。
修行で幾度となく命を落としたことは、エルラの精神に良くも悪くも影響を与えた。
もとより自分の身体を道具のように考えていたエルラだったが、不死であることを理解してからは、その考えはより一層根深くなった。
肉を斬らせて骨を断つような戦い方は、アルフレートやサリクスには快く思われていないが、エルラにしてみれば自分にしかできない戦法である以上使わないのは手を縛るのと同じだった。なにより、自分と戦いを共にするリリがこの不死を利用した戦い方に肯定的なため、封じる謂れもない。その戦い方で成果を出した結果が現在である。
エルラはほんの数日前に十八歳になったばかりだった。そのタイミングで修行の全過程を終えられたのは、ちょうどよい誕生祝いにも思えた。もっとも、最終試験は師匠二人を倒すことで、それは命を賭けたもので、いまこうやって山道を歩いているということは、アルフレートとマルレーナを手にかけた結果でもある。普通の人間であれば、辛い記憶になりそうなものだが、修行期間の教育と生来の気質から、エルラは引き摺るほどの重さを感じてはいなかった。リリも、そういう修行なのだ、と納得はしていた。
帰る場所を絶つことは、ある種の儀式だった。
しかし、エルラは修行期間中に故郷へ帰りたいと思ったこともなければ、今後も訪れる機会を得たいとも考えていなかった。それは二年半を過ごしたこの地に対しても同様だった。場所や環境への執着があるように見えて、そうでもないのがエルラの歪なところでもあった。
それでも、師を殺し、家を焼くことは修行を終えるに必要な工程だった。
サリクスは、古い魔族の習わしでは師や親を殺し、その血肉を喰らうことで技や知識の相伝がされたと説明し、自分の〝卒業〟にエルラを巻き込んだ形だと告げた。もう絶えて久しい忌むべき古い伝統で、自分の父の差し金だとも。
いわば、サリクスを取り囲む大掛かりな術で、すでにエルラもその術式に組み込まれていた。
エルラは、長く伸ばしていた髪もばっさりと切り、自分専用に仕立てられた装束に身を包み、両手剣〈リリ〉を背負う。
この衣装はサリクスがコツコツと作り上げたもので、ジャケットのボタンは髪の毛を編んだものになっているほか、部分部分にエルラの毛髪が編み込まれている。かなり上質な実戦用のスーツ。どうせ自分の戦い方ではすぐダメになる、と服装に気を払わないエルラだったが、サリクスに押し切られた。意匠にはある程度エルラの意向が反映されており、四肢のいずれかを喪失することを想定してか、無袖の上衣に丈の短いパンツをメインに、上着と腿丈の脚絆の組み合わせになっている。
一行は、馬車に乗るため最寄りの町へ山道を下る。エルラの狩人登録のため、都市へ向かう道中。狩人協会の連絡所や派出所は各地にあるが、登録業務は本部や大きな支部でしか執り行っていない。
山歩きに慣れた二人の脚で数時間。ときどき、退屈しのぎと復習を兼ねたサリクスの野草講座が行われながら。
町へ着くと、サリクスはすぐに電信を送りに通信局へ行ってしまい、エルラとリリは通信局の軒下でしばし待たされることになった。
この町はエルラたちの村から一番近かった町よりも栄えており、エルラにとっては久しぶりの文明の地だった。奇妙な小型機械や器械、道具の類はサリクスのものを見たことがあったが、自動車や街灯は長らく見る機会はなかった。数人だが
無表情で突っ立っているだけのエルラだったが、見た目は美人なため人目を引く。近寄って声こそかけてこないが、往来の人々の注目を集めていた。エルラはその視線に気付いていたが、だからこそ平静でいた。サリクスからも、自分が出てくるまで人形のようにジッとしてその場を動くな、と言い聞かせられていた。子供へ言うような扱いに反感を抱いたエルラだったが、つまらないことでサリクスに迷惑はかけられないと律儀に言いつけを守っている。サリクスに見捨てられたら、身を売るか、強盗するかしないと生きてはいけないことは容易に想像できた。
エルラは、用事を済ませたサリクスに連れられ、町中を進んでいく。
あまりキョロキョロとしないように努めるが、好奇心には勝てず辺りを見回しながらついていくエルラ。リリも声こそ発してはいないが、「あれは何、これは何?」と興味津々。リリにとっては初めての町だった。
サリクスは、二人のために簡単に町の説明をしながら歩く。こんなところで驚いているようでは目的地に着いたら気絶してしまうのでは、と冗談とも嫌味ともとれる口調で悪戯っぽく告げた。
観光もそこそこに、馬車の駅へ行き、都市行きの便を確保する。馬車の旅でラクチンだと、思ったエルラだが、サリクスはエルラへライフルを手渡した。狩人は交通機関を利用する際、可能な限り護衛を引き受ける職責がある、とサリクスは言った。まだエルラは協会認定の狩人ではないが、今回はサリクスの助手という扱いで護衛に協力するのだと。
馬車はいくつかの駅を経て目的地へと向かうことになっている。日程は三日を予定している。一日目の終わりに到着する駅では鉄道にもバスにも乗り換えることができるが、今回はそれらは使わず、馬車で全行程を越すことにした。
なぜ時間をかけるのかというと、馬車の護衛が事実上のエルラの適性試験も兼ねているからだった。もちろんエルラはそのことを知る由もなかった。
野盗や獣、マモノに馬車が襲われなくとも、御者や他の旅客たちへエルラが問題を起こさないかも評価の項目に含まれている。粗暴であったり、倫理観がズレた者もそれなりに多い狩人業界だが、それでも弁えるべき一線は存在する。
道中、問題らしい問題もなく、身構えていたエルラには拍子抜けな結果に終わった。当然、何事もないほうがよいのだが、運賃を護衛費として立て替えられている以上は何か目に見える成果を出したいという気持ちもある。御者とサリクスは、護衛の仕事は襲いに来たものを返り討ちにするだけではない、と言った。確かに、これ見よがしに大剣を携えたヤバそうな美少女が乗った馬車をわざわざ襲撃する判断は簡単には下せないな、とエルラは思った。
線路が並走する形で敷設された街道を進んでいくと、遠くに背の高い建物が立ち並んでいるのが見えてくる。
「あれが終点――」
エルラは思わず零した。
「ええ、そうです。この便の終点ですよ。確か狩人様は初めてなんでしたな。この国でも最大の都会です。街中をご覧になるともっと驚かれることでしょう」
御者はエルラを一瞥し、言った。
「そうね、田舎暮らしが長かったから」自嘲気味に呟く。「でも、おじ様、わたしはまだ狩人見習いよ」
「はは、そうでしたな。だとしても、ここまで何事もなく運行できたのですから、役目は十分果たせていると思いますがね」
「そう……」
目的地の都市アムシルトブルクはこの国で二番目の人口を誇る大都市で、首都が国土の北寄りに位置することから、対応するように南方の首都と呼ばれることもある。
高い壁で囲まれた旧市街と、水路や河川が巡らせられている新市街、周辺の耕作地と領域外縁部に点在する防御陣地から成る。
市内を縦断するローザル川は古くから水運に利用され、現在では運河化が進み、大きな現代的な港も建造されている。
この国はおろか、大陸全体を見ても上位の大都市といえる。
市内に辿り着いたのは、昼過ぎで、もう少しすれば日没という頃合い。駅の近くに宿を取り、エルラが休んでいる間にサリクスは協会へ報告と、エルラの入会に関する手続きの一部をしに行った。
『すっごい大都会だね』
「落ち着いたら、色々見て回ろう」
『うん。でも、これだけ大きな街歩くだけでも大変そうだよ』
特に深刻さもない会話をしてサリクスの帰りをエルラとリリは待っていた。
馬車はどうだったか、都会の様子はどう、など二人にとっては初めての旅への感想を一通り言い合った。
そうしているうちにサリクスが戻ってきた。
「ただいま、いい子にしてましたか? お風呂とご飯にしましょう。明日の話はそこで」
サリクスはドアを開けるなり、そう言って、外出を促した。
宿近くの公衆浴場で、数日の汚れを落としたあと、エルラたちは新市街の食堂を訪れていた。
多少値は張るが、比較的上等な飲食店。仕切りのあるボックス型のテーブル席があることから、ちょっとした秘密の話をするには都合がよいという理由でサリクスはこの店を選んだ。宿の近くにも似た設備の飲食店はあるが、外客向けで〝そういう営業〟もあるため、純粋に食事を楽しむには不向きでもあった。
「サリュ、サリュ、この料理はどんな料理なの?」
メニュー表とにらめっこしながらエルラは尋ねた。
「それはウナギと羊肉のスープです」
『このなんとかブラーなんとかっていうのは?』
「それは腸詰とタマネギをまるごと一個煮込んだものですよ。このお店のものは白ソーセージを使います」
「写真とか絵はないの?」
「旅行客向けの儲かっているお店はそういうサービスもやってるみたいですが、ここは地元向けですから、大抵のお客さんはどういう料理かはわかっているので」
「ふーん」
「しばらくはこの街で暮らすことになりますから、慣れますよ」
「そういうもの?」
エルラの言葉にサリクスは頷いた。
『全制覇するまで通おう』
リリが言うと、サリクスは「ふふ」と小さく笑った。
「あ、これワインよね。頼んでも?」
「好きになさいな」
「さて、明日のことですが――」
注文を終え、料理を待つ間、サリクスは口を開いた。
エルラは顔を寄せ、頷いた。
「ええ、明日は午前の内にキミの面談があります。面談といっても支部長への顔見せみたいなものなので、特に気負うようなことはないでしょう。あ、支部長は男の人ですが、媚びるようなことはしなくていいです。というより、変な真似はしないでください」
エルラは先に運ばれてきたワインを飲みながら、うんうん、と頷いている。
「事前に決めた通りにお願いしますよ。それと、自分の名前くらいは誰でも読めるように綺麗に書いてくださいよ、わかってますか」
狩人の協会へエルラが入会するにあたって、二人にはいくつかの準備が必要だった。
最低限の戦う術、マモノの知識、植物や生物、環境に対する多少の教養。
それだけでなく、協会所属者や依頼者とのやりとりで不自由しない程度の社交性なども要求される。この、やりとりに不自由しない、というのが曲者で、エルラは読み書きが苦手で、当初よりはマシになったものの新聞や本を読んで内容を理解できる段階にはなく、それ以上に問題なのは文字が擁護のしようがないほど下手なことだった。なんとか名前だけでもきちんと署名できるように練習を重ねてきた。
そして、もう一つ問題になるのは、エルラの身分登録だった。この国には百年近く運用されている身分登録制度がある。登録簿の上ではエルラは既に故人になっていた。そのため、表向きはエルラはサリクスの妹ということになっている。戦争のいざこざで消息の掴めなくなっていた腹違いの妹が外国で生きていることがわかり、最近引き取ったという経歴を描いた。
実際、エルラの村は国境に近く、文化的には隣国の影響のほうが大きい、というのも虚偽の経歴を演じるのに都合がよかった。
「わかってるわ、姉さん」
エルラはにやりと笑った。
「本当に?」『本当?』
サリクスだけでなく、リリも思わず問い返した。
「できるわ。名前はエルラ・ホラーテヴァ、歳は十八。三年前まで共和国で母と暮らしていたが、母が亡くなり路頭に迷っていたところ、姉に出会い……」
エルラは、サリクスとの間で決めておいた境遇話を言いながら、宙に指でサインを書いた。
「それと、わたしの能力とリリのことは明かさない。問われたら、身体強化の術が得意と答える、角はイラカシュであることを隠すために切り落とされた――でいいのよね」
「ええ」
料理が運ばれてくる。サリクスは礼を言い、給仕に紙幣を渡した。
「協会での用事が終わったら、キミたちの部屋を用意しておいたから必要なものを買い揃えましょう。すぐにでも仕事を受けたいと思うでしょうが、何日かは街での生活に慣れるべきだとわたしは思います。家と協会、駅の間で迷われても困りますし、常に付き添うわけにもいきませんしね」
サリクスはナイフとフォークを手に取り、言った。真似してエルラもスプーンを握る。
「そうね……。でも、何から何までやってもらっちゃって、いいの? わたし払えないけど」
「構いませんよ。それよりも、キミは世の中には無償の施しがあることを理解してください」
サリクスはソーセージをナイフで切り開いていたが、手を止め、告げた。
「そう? 世の中は交換できるやりとりでできていると思うんだけど」
エルラはスープをかき混ぜながら言った。
「究極的にはそうかもしれませんが、キミの言っているものとは違いますよ、きっと」さらっと静かに否定する。通路のほうを見る。「さ、それより、早く食べてしまいましょう。しばらくぶりの温かい料理ですし」
サリクスは切り分けられたソーセージを口に運ぶと、顔をほころばせた。エルラも料理を食べ始めた。
『お姉ちゃん、美味しい?』
「うん、これが都会の味――、いや、料理人の味か」
いつか一緒に食べようね、そう言いかけたが留まる。考えないようにしてきたが、なまじ意思の疎通ができてしまうゆえの苦しさ、つらさがある。
エルラは、妹を人間の姿に戻してみせると想いを、改めて噛みしめた。
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