融けない雪(1)

「わたしにマモノと……魔族の狩り方を教えてください、お願い」


 エルラは決意を固めたように言った。

 まっすぐな目。縋る演技すらしない率直な意思表示。


 そう来たか、と言いたげに苦い顔をするアルフレート。隣に座るマルレーナを見やる。マルレーナは頷き、カップに手を伸ばす。

 アルフレートは小さく息を吸い、観念したように口を開いた。


「お前がそういう考えに至るのは理解できる。しかし、戦い方を教えて俺に何の得がある? 友人の娘をむざむざ死にに行かせるほど冷酷でも無責任でもないぞ」


「無力な子供だと思ってるから、そんなふうに言えるんだ。わたしは、あの日マモノを殺してる。弱くない」


「それは聞いた。だが、たかだかマモノ一体を倒すのに腕一本失っているようでは、どのみち命がいくつあっても足りないということくらいわかっているはずだ」


「だから、そうならないように教えてほしいの」


「しかし……」


「別に教えるくらいいいじゃない。見込みがなければそれまでよ」


 マルレーナが横から口を挟んだ。


「それが一番残酷なんだ。お前は昔、それで何人の人間を使い潰した?」


「あの子たちが、それを望んだのよ。まったく、使い潰したなんてひどい言い方はしないでちょうだい。本人が望んだのなら、その結果がどうあれ喜ばしいことだわ。さあ、昔のことは脇において。――とにかくエルラちゃんがしたいならそうさせるべきよ」


「それとこれとは話が違う」


「古くからの友人の遺した子だから、大事にするの? それこそ無価値だわ。だって、あのユーレアツィヴティケネテスの祝福を受けて死の淵から蘇った子と剣に姿を変えた子よ。そこらへんの娘とは違うの。鳥籠の中で育てるなんてとんでもない。ああ、あなたが戦い方を教えたら、きっと面白いものが見られるわ。わたしだって本当は、あの人たちの娘じゃなかったら、色々実験したいもの」


 淡々と言い、アルフレートに迫った。

 マルレーナは理解者だと喜びかけたエルラだったが、マルレーナの発言の奇妙さに背筋が冷え、恐怖に似た感情がちらついた。


「だが……」


「煮え切らないわね。ここに来て怖気づいたの? 昨日までは俺の技を全部教えてやるって張り切っていたじゃない」


「え……」


 エルラは、それならどうして快諾してくれないのか、と念のこもった目でアルフレートを見た。


「ああ、そうだ、そうだとも。軽い気持ちだったさ。でも直に顔を見て声を聞いたら、怖くなって。もしこの子に才能が無かったら――、反対に俺はこの子に上手く教えられるだろうかと思ってしまってな」


「おじさん……」


「親心を出すのは勝手ですが、彼女たちの親になる覚悟はあるんですか? 普通の生活を教えてあげられないかもという心配はないんですか? 自分たちに子供がいないからといって、二人をあなたたちの子供の代わりにするのは節操がないですよ」いらつきの浮かんだ声音でサリクスが口を挟んだ。「わたしは本人が戦いたいと言っている以上は尊重すべきだと思いますけど。心配しなくても、この子には素質はありますよ」


 なおも、渋った様子のアルフレート。

 サリクスは大きな溜息を吐いたあと、言葉を投げる。


「わかった。わたしが彼女たちと手合わせします。それで見込みがあるかどうか見極めればいい。それでいいですね。もし、この子にセンスが一欠片もなかったら死ぬことになりますが、問題ないですよね。だって、格闘戦が苦手なわたしにやられるようではどんなに鍛えても生き残れはしないでしょう?」


 強い語気で、提案。


「……それはいくらなんでも、予定と違うんじゃないか」


「いいんじゃないかしら? でもサリクスちゃん、ちょっと私怨が入ってない?」


「それなら〝師匠〟が相手しますか? 彼女を合格にするために棒立ちで見極めるつもりですか? それこそ失礼」


「わかった。しかしエルラはどうだ、いきなり戦えと言われて――」


「やります」


 〈リリ〉の柄をキュッと握りしめ、言った。





  ◆  ◆  ◆


 エルラは動きやすい服装に着替え、庭へ向かった。用意された運動用の衣服は、サリクスの使い古しと説明されたが、どう見ても真新しい仕立てで、エルラのために新調されたもののようだった。はじめから、エルラが戦うことを志すと想定していたような周到さ。

 サリクスは、さきほどと同じワンピースとエプロン姿で、戦うのに適した装いとはいえない。親指と人差し指、中指のない革製の手袋と、甲の部分が補強されたブーツが異彩を放つ。



「本気で来てください。でないと、あなた、死んでしまうかもね」


 サリクスは、窘めるように、教え諭すように、ゆっくりと告げた。


「なめないで。あなたこそ余裕ぶって。気に入らないの」


 エルラのサリクスへの印象は現時点ではあまりよくない。悪人ではないのだろうが、いけ好かなさのほうが勝っている。


「へえ、言えるじゃないですか」


 サリクスは揶揄うような声音で言った。

 そんなことを言えるのはいまのうち、と心の中で呟くエルラ。

 リリに小声で話しかける。


「ごめんね、リリ。巻き込んじゃって」


『いいんだよ』明るい声。『お姉ちゃんの力、見せつけちゃおう』



 はじめ、とアルフレートの号令。

 号令をかけると、彼は少し離れた所で見守るマルレーナの元へ。



 見合うエルラとサリクス。

 エルラは〈リリ〉を下段に構えたまま、サリクスの様子を窺っている。

 エルラからは、いくらか躊躇いが見え隠れしている。


「どうしたんですか? 来ないんですか?」


「――だって武器……」


「ああ、そういうこと。二人がかりで丸腰の相手を倒すのは気が引けるってことですか。そういうことでしたら――」


 スカートの下から、一丁の銃を取り出すサリクス。フリントロックのライフル銃。

 サリクスは、取り出した銃をエルラに見せ、自分の影に沈めた。

 同じように、もう何丁か鉄砲や刀剣を取り出しては、見せ、仕舞ってみせた。


「こういうことなので、武器の心配はしなくていいですよ」にこりと笑う。「それに、さっきのことは、もう忘れてしまったんですか?」


 目覚めてすぐ、斬りかかったときのことだ。そのときは何かに阻まれ、刃はサリクスに届かなかった。

 いま目の当たりにした奇妙な能力と併せて、彼女が普通の少女ではないことを再認する。


「――魔族」


 エルラは、苦い顔で、吐き捨てるように呟いた。


「そう、魔族。あなたの敵ですよ」


 サリクスは、自分の首を指差して言った。その剣で首を斬りに来いと。



 エルラは小さく息を吸い、呼吸を整えたあと、足を踏み出した。

 駆け出すと同時に、エルラは驚いた。自分の身体の軽さに。

 もともと村の女性の中では一番足が速かったが、いまの自分はそれとは比べものにならない身軽さ。六〇インチほどの長さの剣を軽々と持ち歩いていた時点で薄々と感づいてはいたものの、剣を持ったことは人生で初めてのことで「剣とはこういうものなのだろう、意外と軽いな」と、そこまで気にしてはいなかった。


 動揺もそこそこに、サリクス目掛けて剣を振り回す。

 遠心力と膂力が合わさり、ゴオッと音を立て、刃が空を裂く。

 暴れる剣を踏ん張り、制御しようとする。剣を振る度、少しずつ正確さが増していく。

 迫る刃を、大きく動き、確実に避けるサリクス。

 エルラの剣筋が不安定ゆえに大きく躱すしかないのだが、サリクスにはそれ以外にも理由があった。頭に生えた角、特に横へ伸びた右の角のせいか、バランスが取りにくいという身体的な事情。

 戦闘に関してはまったくの素人のエルラにも、サリクスの動きに隙が多いのは理解できた。しかし、頭ではわかっても、彼女の隙を捉えるには技量と経験が足りていない。それ以前に、剣をコントロールできているとは言い難い状況。

 運よく切先がサリクスに届いたと思えば、黒い靄に防がれる。

 エルラに焦りと疲れが溜まっていく。



 一度距離をあけ、立ち止まるサリクス。いつのまにかその手には木剣が握られていた。その剣身には文字や記号が刻まれている。

(どこまでも人を馬鹿にして――)

 サリクスの持つ木製の剣を見て、エルラは内心でサリクスへの苛立ちをまた一つ積み上げた。



 下段横に構え、駆けるサリクス。

 想像以上の機敏さに、反応が遅れるエルラ。

 沈み込み、跳ねるように右下から左上へ斬り上げる。

 エルラ、よろけながらも躱す。

 返す刃で、左上から右下へ打ち払う。

 躱せず、〈リリ〉で受ける。

 瞬間、木剣に刻まれた文字が光り、続けて木剣が爆発した。熱や爆風はなく、光と音による目くらまし、牽制。


「うぅ――」


 エルラは思わず唸った。

 残像と耳鳴りがエルラの戦闘態勢を解き、意識を乱す。

 エルラは無意識に、周囲を探ろうと左手を振った。その手がサリクスに触れる。

 しまった、と思ったときには、もうすでに遅く。

 サリクスの拳がエルラの胸に沈み込んでいた。

 擦りつけ、捻じ込むような一撃。

 一瞬遅れて、衝撃が押し寄せる。

 打撃の受け方も何も知らないエルラは、その一撃をただ抵抗もなく受け入れるしかなかった。何が起こったかを理解する間もなく、弾き飛ばされ、地面を転がる。


『お姉ちゃん!』


 エルラは、呼吸も咳もできず、口と鼻から血を溢れさせ、地に這う。

 動けないまま、流れ続ける赤い液体と広がる血溜まりを眺める。

 胸の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられた俯瞰的な印象と、右手に握られた〈リリ〉の温もり。それだけを残して、すべてが流れ出してしまったようにエルラには思えた。

 視界が霞んでいく。


「剣を手放さなかった、というところは評価しましょう」サリクスは手をひらひらとさせながら言った。「さ、いつまでうずくまっているんですか?」


『サリクスさん、やめて。もう十分』


「いまのあなたなら、その程度かすり傷みたいなものでしょう?」


 教え諭すような声音。


 エルラには、その声質と口調がどうしようもなく癪に障った。ぼんやりとした意識の中で毒づく。

 かすり傷? 胸の中身を潰されて? 物知り顔で見下して。やっぱり〝魔族〟はろくでなしの種族だ。 

 人を殺しておいて、なにがかすり傷だ――

 殺して? なんで生きて――


「あ……」


 激痛とともに、胸の中で何かが動く感覚があるのをエルラは感じた。

 すでに血は止まり、呼吸もできるようになっている。

 異物感に何度か咳き込んだのち、身体を起こす。

 激しく咳をし、血を吐き出す。

 胸の違和感が消える。たったいま吐き出した分が肺に最後まで溜まっていた血だった。

 痛みも残っていない。

 致命傷を負ったはずのエルラは、一分かそこらで、元の状態へと戻った。

 自分がすでに人間ではないことを、痛感するエルラ。これがユーレアツィヴティケネテスの〝祝福〟によって得た力なのか、結果としてまた彼に助けられた、と複雑な想いに、歯噛みする。


「いいですか。何のためにわたしが〝二対一〟で、と言ったのかわかりますか?」


 二人がかりで、という発言のこと。

 二対一、つまりはエルラ・リリ対サリクスの構図。リリのことを人間扱いしているようにみえるが、実際にはそう単純なものではなかった。

 いまのリリは剣であり、わざわざ人格を認めるということは、遣い手として、武器として互いに疎通する必要がある、と暗に言っているのだ。


 エルラに必要なのは、妹を剣として扱う心得。

 単に戦い慣れていないだけでなく、エルラには迷いがあった。妹を物として扱うことへの忌避と戸惑い、不安。それはエルラ本人も自覚し、サリクスから見ても一目瞭然だった。


 一方で、リリにも憂いがあった。

 自分を武器と認識させたら、姉が壊れてしまうのではないかという危疑。それが姉への気遣いに似た形で不自然に漏れ出ている。


「皆まで言わせないでください。あなたの妹はなんですか? 剣でしょう?」


 エルラはサリクスを睨みつけた。それ以上言葉を続けるな、と。


「あなたも心臓を破壊されたのに生きている。どこが人間なんですか?」楽しそうに、最後の一言を投げつける。「――バケモノ」


 その言葉を号令のように、エルラは剣に身体操作の主導を取られたような奇妙な動きでサリクスに跳びかかった。両手剣を右手のみで、思い切り振りかぶり、叩きつける。

 一撃は難なく躱され、地を抉った。


「だ、か、ら――それではいけないんですよ。いまのあなたの身体能力なら、その剣を振り回すだけで大抵のマモノは倒せるでしょう。でも、それじゃあ意味がないわけですよ」


 殺気のこもった目で、サリクスを見る。


「妹をちゃんと使いなさい。あなたの妹は剣なんです、ちょっと前まで人間だったとかは、関係ありません。リリさんも、姉への中途半端な気遣いはやめなさい」


「わかってる、そんなことは」


 エルラにも自分たちの状況は理解できている。自分が遣い手として、〈リリ〉を認める必要があることも。生きた剣を使いこなすには、互いに通じ合う必要があることを。

 しかし、リリはついこの間まで、普通の人間だった。エルラにとっては自分の妹で、残った唯一の家族。

 それゆえに、妹を自分の道具として使うことに抵抗が残っていた。

 半ば八つ当たりな復讐に付き合わせてしまうのも気後れのもとだった。


「でも……」


『――使って』


「え?」


『いいよ。お姉ちゃん、わたしを使って』


「でも――」


『――ホントにお姉ちゃんは、バカだよ』


 溜息を吐き、言い放つ。


『エルラ。わたしは剣なの、もうあなたの妹じゃない――』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る