第13話

 渡辺さんの条件を満たすべく、私は教養学部棟のエントランスにいる。時刻は昼の12時を少し回ったくらい。午前の授業を終えた学生たちが、私の前をぞろぞろと移動していく。


 比較的新しい教養学部棟のエントランスは、ガラス張りの窓に吹き抜けの天井、そして、アップライトピアノが置いてある。その立て札には『学内ピアノ ご自由にお弾きください』とある。


 流行りのストリートピアノに倣った大学の措置だろう。誰も弾いているところを見たことはないけど。


 ここまではいい。問題はその下にある注意書きだ。『個人利用に限る。部活・サークル活動での利用は原則禁止』とある。はぁ、とため息を着いて、渡辺さんから手渡されたビラを見る。


『音楽サークル カプリス まだまだメンバー募集中』


 要は渡辺さんのサークルの新入生勧誘のお手伝いに駆り出されたわけだ。せっせと楽器のセッティングを行っている二人に声をかける。


「やっぱり止めましょうよ。これ、学生課とかに許可とってないんですよね?」


「大丈夫だって。君がピアノを個人的に弾いているところに、たまたま俺と紫苑が通りかかって、偶然にも知っている曲で、そこから奇跡的に合奏が始まった。そして、その音楽に感動した学生がたまたまそこに置いてあったビラを持っていく――という体裁で行くから」


 ここまで楽器の用意をしておいて、それはないだろう。


「うんうん。大学自治。大学自治」と紫苑がうなずいている――絶対に意味が違う。


「そもそも渡辺さんのサークルのみなさんがやったほうがいいんじゃないですか?私達はサークル員じゃないですし……」


「それだと、まさしくサークル活動になってしまうだろう」


 一瞬納得しかけてしまったが、やはりおかしい。しかし、どこがおかしいのか分からなくなってきてしまった。


「それに興味を持ってもらうには――」


 私の顔をちらりと見たあとに「ビジュアルってのも大事だから」と続けた。


[PlayList No.13 バグス・グルーヴ](https://www.youtube.com/watch?v=GXbK-LO0S1U&list=PLf_zekypDG5rmEze1PbqCh3dDwop0KTCo&index=13)


***


 ゲリラ演奏(そう言って相違ないだろう)の、演目についても揉めた。


 紫苑はライブの予行も兼ねて、自分のオリジナル曲を推したが、渡辺さんに「誰も知らない曲やってもしょうがないだろう」と一蹴されていた。


「紫苑がリーダーのバンドとして演るなら演目は一任する。が、今回はまだ違うだろう?」


 まあ道理ではある。しかし、渡辺さんも『これがいい』というの曲はなかったようだ。ただ、誰もが知っている有名曲をサラリと演奏するのも違うらしい。


 その後しばらくはスマートフォンのグループチャットで、白熱した議論が繰り広げられた。私は、ジャズ――というか、ピアノとベースとドラムスという編成で栄える曲――を知らなかったので、傍観していた。結論が出たのが一昨日。チック・コリアのスペインという曲だっった。


 確かに華のある曲だ。これなら注目も引くだろう。しかし、これまでのジャズ・スタンダードとは違って曲そのものが難しい。演奏の決まり事が多く、三人でユニゾンする箇所もリズムが取りづらい。十分に合わせる時間もなかった。


 そんな不安を抱える私をよそに、チューニングを終えた紫苑が近づいてきた。ほいっと紙の束を差し出す。


 「ついでにこれも配っちゃおうかと思って」


 それは来週に控えたバーでのライブの集客用のビラの束だった。私の名前もバッチリ記載されている。どうやら後戻りはできないようだ。

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