2:弟が嫌いな姉なんていません!

「ビッグサプライズだったろ? いやあ、まさか我が子同士が同じ学校だとはなあ」

「しかも同じクラスだなんて。運命みたいだわ」

「俺と君の出会いのようだねシルヴィア」

「まあ、ケンジさんったらもう」


 親父とシルヴィアさんが楽しそうに会話するが、運ばれてきたお高いフレンチのコース料理が砂の味しかしない。目の前で同じように無言で食べる姉崎さんもちらちらこちらを見つてくるが、その目はまるで路傍の石か、奇妙な原生生物を見てしまった探検家のように冷たかった。


 まるで俺がわざとこういう場をセッティングしてアプローチを掛けているように思われていそうで、心外だった。


 氷で出来た城の上から、まるで見下すように俺を見つめる女王の姿に、俺はもう穴があったら入って埋まってそのまま眠らせてほしかった。


 なんだこの地獄は。


「ふふふ……二人は緊張しているのかしら? それも無理はないわねえだって二人は義理の姉弟きょうだいになるのだから」

「きょうだい? 同い年だけど」


 ここで初めて、姉崎さんが発言した。その言葉には、不服そうなニュアンスが込められていた。まあ気持ちは分かるさ。いきなりわけ分からんクラスメイトと義理とはいえ家族となれなんて言われても納得はいかないだろう。


「あら、だってアリスちゃんは四月生まれでしょ? でケント君はだから――ギリギリ同じ学年だけど、アリスちゃんの方がお姉ちゃんよ」

「お、お姉ちゃん!? 私が!?」


 ん? 俺の気のせいでなければ、姉崎さんのテンションが急に跳ね上がった気がするぞ。


「となると、。良かったな、こんな美人な姉がいるなんて羨ましいぞ!」

「あ、いえ、そんな! そっか……そっか!」


 親父の言葉に、姉崎さんがだんだん笑顔になって、これまでずっと喉に引っかかっていた何かがようやくストンと胃に落ちたような――そんな表情を浮かべていた。


「私……お姉ちゃんなのか!」

「ふふふ……アリスちゃんはちっちゃい頃から高校生になった今でもずっと言っているもんね――

「あ、もうママ! それは言わないって約束じゃ!」

「あら、良いじゃない? 夢は叶ったわよ? 学年は一緒だけどほぼ一歳差だし、ケント君、可愛いらしい顔をしているし」


 シルヴィアさんが笑みを浮かべて俺を見つめるので、俺はどう反応したら良いか分からず親父を見つめた。


「良かったな賢兎。これまではずっと男だけの家庭だったが、こんなに美人な家族が二人も増えるなんてな」

「あ、いや……美人なのは認めるけど、なんというかいきなり過ぎて……その姉と弟とか……」


 それは一人っ子であり、親父としか生活をしたことがない俺にはまるで想像のつかないことだった。


 だが俺の迷いも、ほのかな拒否感も――


「……よろしくね、賢兎君」


 姉崎さんの満面の笑みの前で……脆くも崩れ去ったのだった。



☆☆☆



 ホテルでの顔合わせの帰り道。


〝俺達は二件目行くから、二人で交流がてら先に帰ってなさい〟と言われた俺と姉崎さんはゆっくりとそれぞれの自宅方面えと歩いていた。


 どうやら、お互いの家はそれなりに近所のようで、どうあがいても十分ほどは一緒に歩かなければならない。


「美味しかったね! 私あんな高いお店初めてだから緊張しちゃった」

「ああ、うん」

「そういえば、賢兎君って部活入っているの?」

「いや、帰宅部。昔はテニスやってたけど、色々あってやめた」

「そうなんだ。あ、私、テニスできるから、今度一緒にやろうよ!」

「いいけど、もう昔みたいに動けるか分からんぞ」


 俺は――ニコニコする姉崎さんに質問攻めにされていた。食事の最中はシルヴィアさんと親父に遠慮していたのか口数は控えめだったが、別れた途端、俺は集中砲火を浴びせられていた。


 はっきり言おう。言葉上はなんとか答えていたが、俺はもうしどろもどろだった。


 いやだって高い城の上にいた女王が、気付けば隣を歩いていて上機嫌で話し掛けてきているのだ。これで普通でいられる方がどうかしている。


「あのね、私……賢兎君とは仲良く出来る気がするの!」

「昨日まで冷たかったのにか? まあ俺に限らずだが」


 と言ってしまってから俺は後悔した。今のは良くない。言うべきではなかった。学校で、俺から姉崎さんに事務的なこと以外で話し掛けたことはなく、よって実際に冷たくされたこともないのだが……つい、そう言ってしまった。


「あ、いや、悪ぃ……今のは無しで」


 そう取り繕ったところで、無意味だと分かっていた。


 だけどそんな俺の失言に、姉崎さんは嫌な顔一つせず答えてくれた。


「あはは。だって私――。男子に限らず年下も年上もみんな嫌い。賢治さんはまあ……ママの手前、愛想良くはするけども、別に義理だろうがなんだろうが父親だなんて認めるつもりはない。でも――弟の賢兎君は別だよ」


 外灯の下、くるりとターンして俺へと振り向き、飛びっきりの笑顔を見せ付けた姉崎さんは、控えめに言ってどちゃくそに可愛かったし、惚れそうになった。


 ふわりと広がったワンピースの裾がゆっくりと落ちるのを見て、俺は無意識で口を開いた。


「いや、なんでそうなるんだよ」


 あ、やべ、思わず心の声が漏れてしまった。


「なんでって?」

「いやだから、そんな男嫌いなのに、なぜ俺だけ急に例外扱いなのかなあと……その……疑問に思って」


 そんな俺の言葉に、姉崎さんは目を細めた。その表情はまるで獲物を見付けた肉食獣のようで、かつどこかエロティックで、俺は背筋に電気か何かがピリピリと走るような感覚に陥った。


 そんな、妖艶な表情を浮かべた彼女は俺に対し、こう言ったのだった。


「だって――?」


 それを聞いて、俺は一つの疑念を抱いてしまった。シルヴィアさんの言った姉崎さんが〝ずっと弟を欲しがっていた〟という言葉。そして今の彼女の俺に対する普段の彼女からしたらまるで真逆の態度や言動。


 だから俺はこう考えざるを得なかった。


 彼女は……ずっと弟という存在に憧れ夢想し、そしてそれが実際に実現してしまった結果――ブラザーコンプレックスに陥ってしまったのではないか――と。


 結果としてその俺の予想は見事に証明されることになるのだった。


 なぜなら俺達は――二人っきりで同棲することになるのだから。

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