第37話

 九月十四日、標準時間一六〇〇。


 第二特務戦隊はリヴォフ戦隊の旗艦、重巡航艦メルクーリヤの射程から逃れることに成功した。各艦は艦首を反転させ、加速準備に入る。


 しかし、旗艦キャヴァンディッシュ132とZ級駆逐艦ジニス745の通常空間航行用機関NSDなどの損傷が激しく、この二隻を放棄しなければならない。そのため、生存者を別の艦に移す必要があった。


 クリフォードは旗艦艦長であるバートラムに脱出の指揮を命じると、今後の行動について命令書を作成していく。


 戦隊参謀のクリスティーナ・オハラ中佐に対する命令書を書き上げ、サミュエル向けの命令書に着手したところで、通信担当下士官が報告を上げてきた。


「不安定ですが、通信系システムが回復しました」


「ヴァル、すまないがグラスゴーに繋いでくれないか」


 クリフォードが副官のヴァレンタイン・ホルボーン少佐に命じると、軽巡航艦グラスゴー451の艦長であるサミュエルがすぐに映し出される。


「時間がないから手短に話す。キャヴァンディッシュとジニスは自沈させるしかない。可能な限り、大型艇ランチ雑用艇ジョリーボートで脱出させるが、全員が乗り込むことは不可能だ……」


 自国の支配宙域や艦隊に随行している場合なら大破していても工作艦で応急修理が可能だが、スヴァローグ帝国領内ということで修理ができない。


 この状態で艦を放棄すれば、設計情報や残された記憶装置から機密情報などを回収される恐れがあり、自爆させる必要があった。

 そこまではサミュエルも同じ認識であり、頷きながら聞いていた。


「ついては君に戦隊の指揮を任せ、私は残りの者たちと脱出ポッドで脱出し、帝国に降伏する」


「ま、待て! 帝国に捕まれば命の保証はないんだぞ!」


 慌てたサミュエルがクリフォードの話を遮る。


「サム! 私の話を最後まで聞いてくれ!」


 クリフォードは強い口調でそう言い、強引に話を続ける。


「君の懸念は間違っていないだろう。だが、搭載艇に乗れない者はキャヴァンディッシュだけで五十名近くになる。ジニスもアウルが破損しているから生存者全員が脱出ポッドを使うことになる……」


 ジニス745はNSDだけでなく、格納庫にも直撃を受けており、大型艇ランチであるアウルが破壊されていた。戦死者の数は二十名程度という情報が入っているが、生存者は五十名以上となり、クリフォードらを加えると少なくとも百名が捕虜となる。


「彼らに対する責任は私が負わなければならない。帝国軍が問答無用で処刑してくるなら対処のしようはないが、交渉の余地があるなら私が残ることが最善の手だ。私なら皇帝が相手でも交渉の場で有利な条件を引き出せる」


 普段謙虚なクリフォードにしては珍しく、自らの能力を誇り、サミュエルを説得にかかる。


「確かにそうだが……」


 サミュエルが話し始めるが、クリフォードはそれを無視して話を続けた。


「君にやってほしいことがある。私以外では君にしかできないことだ」


「俺にしかできないこと?」


「ストリボーグに向かい、グリースバック伯爵に代わって藩王ニコライと交渉するんだ」


「交渉だと……」


 サミュエルはクリフォードの意図を図りかね、困惑する。外交使節団がいる中、宙軍士官である自分が交渉の場に出ることが可能なのか疑問を感じたのだ。


「そうだ。ダジボーグ艦隊に不当に襲われたこと、更にゾンファ共和国とダジボーグが陰謀を巡らせていることについて、“銀河帝国”の総意なのか、それともダジボーグの独断なのかと問うんだ」


「ゾンファと陰謀を巡らせているだと……武装商船がゾンファの手先だという証拠はないぞ」


 サミュエルの疑問にクリフォードは小さく首を横に振る。


「確かに明確な証拠はない。だが、ゾンファが関与していないという証拠もないんだ。ヤシマ政府が我々を襲う理由がない以上、状況証拠としては充分だ。その上で藩王に詳細な戦闘データを渡す」


 そこでサミュエルは小さく頷く。


「正式に許可されたアルビオン王国軍の軍艦が、安全であるはずの帝国領内で武装商船に襲撃された。それだけじゃない。あろうことか帝国軍からも攻撃されている……」


 サミュエルは事実を一つずつ言葉にしてクリフォード意図を汲み取ろうとする。


「そのことについてアルビオン王国軍の最上位士官が正式に抗議し、その処置について最寄りの最高責任者である藩王に訴える。その際、その証拠として戦闘データを提出する……なるほど。確かにそれなら宙軍士官であり、君から指揮権を委譲された俺が交渉の席についてもおかしくはないな……」


 そこでサミュエルはクリフォードが狙っていることをおぼろげながら分かってきた。


「だが、これなら俺じゃなくてもいい。オハラ中佐辺りがデータを提出してもいいわけだからな。わざわざ俺にやらせたいということは、これだけじゃないな?」


 クリフォードはニヤリと笑う。


「さすがはサムだ。私のことをよく理解している」


「君の本当の狙いはなんなのだ?」


「帝国に混乱を与えること。そして捕虜となった我々の早期の解放だ。帝国の混乱の方は我々が襲撃されたという情報だけで充分だろうが、解放についてはそれだけでは足りない」


「言わんとすることは分かるが……」


「君は私の親友であり腹心と見られている。そのことを最大限に使う」


「……」


 サミュエルは理解できないとでもいうように、無言で小さく首を横に振る。


「私の名を最大限に使って藩王を焚き付けるんだ。皇帝はダジボーグ艦隊に大きな損害を与えた“賢者ドルイダス”の懐刀である“崖っぷちクリフエッジ”に対し、私怨のために攻撃を行った……」


「確かにそう見えるが……」


 サミュエルはそう呟くだけで、必死にクリフォードの考えを聞いていく。


「次期国王陛下であるエドワード王太子殿下のお気に入りであるコリングウッドを助ければ、アルビオン王国の心証が良くなる。他にも自由星系国家連合FSUも最高栄誉の勲章を渡すほどコリングウッドに恩を感じているから、今後の帝国内での内戦で支援も期待できる……」


「なるほど。だが……」


 サミュエルは理解が追い付かず、弱々しく頭を振る。


「他にも皇帝に対する攻撃にも使える。スヴァローグ艦隊は皇帝に忠誠を誓っているが、その忠誠心は未だ完全とは言えないはずだ。今回のような醜態を公表すれば、スヴァローグ艦隊に対する政治工作プロパガンダにも使えると提案してもいいだろう」


「ま、待ってくれ。俺は君と違って腹芸は使えない。藩王を焚き付けるなんて無理だ!」


「君にしか頼めないんだ、サム」


 クリフォードはそれまでの厳しい口調を改め、懇願するように話し始めた。


「一緒に降伏する部下たちを無事に国に帰さないといけないんだ。私はダジボーグに到着したら、全員が無事に解放されなければストリボーグ藩王を使って混乱を引き起こすと匂わせるつもりだ。それで解放されればいいが、長引く可能性が高い。その際、腹心である君が私に代わって動いているという事実が重要なんだ」


「言いたいことは分かる。“賢者ドルイダス”の愛弟子にして、稀代の名宰相ノースブルック伯の娘婿である君が命を張って謀略を仕掛けたと聞けば、皇帝アレクサンドルであっても容易なことではないと思うだろう。君にはそれだけの実績があるからな……」


 そこでサミュエルは腹を括った。


「分かった。俺がやってやる。君を助けるために必要なことだからな」


「ありがとう……」


 クリフォードは感謝の言葉を口にするが、すぐに謝罪する。


「君には辛い思いをさせることになるだろう。私を見殺しにして逃げた上に、私の名を使って謀略を行い、美味しいところだけを持っていった。そんな陰口を叩かれることになることは目に見えている。本当に済まない」


 その謝罪に対し、サミュエルは笑みを浮かべて否定する。


「そんなことは気にするな。それより必ず帰ってこい。家族のためにな」


「もちろんだ。最後の最後まで諦めるつもりはない」


 その後、更に詳細について話し合った。


「命令書と今回の計画に関する骨子案を公文書として送っておく。では、そろそろ時間的に厳しい。通信を切らせてもらう」


 その言葉に対し、サミュエルは敬礼する。


「ご武運を!」


 クリフォードはそれに答礼を行い、通信を切った。


「そろそろ脱出の時間です」


 ホルボーンが見計らったかのように声を掛ける。

 親友同士の会話を遮らないよう少し離れた場所で見守っていたのだ。


大型艇アウル雑用艇マグパイの状況は?」


「既に発進済みです。グラスゴーとゼファーも受け入れ準備完了と聞いていますので、十分以内、一六二〇には加速を開始できるでしょう」


 その報告にクリフォードは安堵の笑みを浮かべる。


「ギリギリだが、何とかなりそうだな。では、ラングフォード中佐に対する命令書と作戦の骨子案を送ったらすぐに脱出しよう」


 そう言った後、すぐに作業を開始する。

 既にある程度作ってあったため、三分ほどで仕上げると、すぐに送信した。


「これでいい。では、我々も脱出するとするか」


 周囲を見ると、バートラムと操舵長コクスンのレイ・トリンブル兵曹長がいた。バートラムは艦を自爆させるために残っており、すぐに作業に入る。


「バートがいることはおかしくないが、なぜコクスンが残っているんだ?」


「いやぁ、なんとなくですよ」


 そう言った後、照れ笑いのような笑みを浮かべ、理由を言った。


「レディバードの時も准将と艦長と一緒だったじゃないですか。あの時も助かりましたし、縁起がいいかなと」


 それに対し、クリフォードはわざとらしく眉をひそめた。


「縁起がいい? 我々三人が一緒の艦だと必ず逃げ出さないといけないというのは縁起が悪いのではないか?」


「そう言われるとそうっすね」


「まあ、この“崖っぷちクリフエッジ”な状況を凌ぎ切れたら、縁起がいいと思うことにしようか。フフフ……」


 そう言ってから笑い出す。

 そんな話をしていると、自爆処置を終えたバートラムが合流する。


「無駄話の時間はないぞ。私物を回収したいなら五分だけ時間がある。遅れたら本当に崖っぷちから落ちてしまうことになるぞ」


 真面目な表情でそう言ったが、すぐに表情を崩した。



 宇宙暦SE四五二四年九月十四日標準時間一六二〇。


 クリフォード・C・コリングウッド准将は脱出した。

 そして、その二十分後、彼は初めての旗艦、軽巡航艦キャヴァンディッシュ132を永遠に失った。

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