第37話

 宇宙暦SE四五二三年六月三十日 標準時間〇二二〇。


 ヤシマ星系の首都星タカマガハラの衛星軌道上の戦いは、ゾンファ共和国側が圧倒的な勢いで押していた。


 猛将レイ・リアン上将率いる前衛艦隊約二万一千隻は、ヤシマとロンバルディアの自由星系国家連合FSU艦隊、計二万四千五百隻に対し、大規模会戦での常識を覆すような速度で接近しながら猛攻を加えている。


 彼我の距離は十光秒程度になり、駆逐艦も砲撃に加わったことで、砲撃戦は激しさを増していた。


 数で劣り、防御スクリーンに負荷が掛かる不利な状況でありながらも、ゾンファ前衛艦隊は千隻以上の敵艦を葬っていた。


 無論、前衛艦隊も無傷というわけにはいかず、同数程度が沈められているが、戦意に勝るゾンファ側の勢いに、FSU艦隊の損害は着実に増加している。


「全艦、減速しつつ攻撃を続行せよ! このまま敵を切り崩すぞ!」


 一方、総司令官シオン・チョン上将率いるゾンファ艦隊本隊は前衛艦隊の後方十三光秒の位置にあり、二十三光秒離れたアルビオン艦隊とムツキ級軍事衛星群に対し、砲撃を行っていた。


 こちらも最大戦速を超える速度で接近しており、距離は急速に縮まっている。

 半数ほどしかないアルビオン艦隊に対して一定の戦果を上げていたが、直径五キロメートルのムツキ級軍事衛星によって、ゾンファ艦隊本隊も少なからぬ損害を受けている。


 ムツキ級軍事衛星は大型戦艦の主砲出力の三倍を超える百テラワット級陽電子加速砲十門を持ち、その砲撃力は戦艦四十隻に匹敵する。


 この砲撃をまともに受ければ、防御力が強化されたゾンファ戦艦といえども一撃で粉砕されてしまう。


 しかし、本来セットである一九式小型砲台衛星を失ったムツキ級では、戦況を覆すほどの圧倒的な能力はなかった。それでも確実に損害が増えていくことにシオンは僅かに苛立ちを覚えている。


(衛星など放置してもよいのだが、それではアルビオン艦隊に逃げられる可能性がある。アルビオンを逃がすのも癪だが、無駄に艦を失うことも今後の占領に支障が出かねん……幸いアルビオンも防御に専念しているようだ。ここは敵の心を折るためにも衛星を破壊した方がよかろう……)


 シオンは接近して数に任せて軍事衛星を破壊することにした。


「前衛艦隊が自由星系国家連合FSU艦隊を駆逐するのは時間の問題だ! まずは軍事衛星を破壊する! 回避機動に集中し、一気に接近するぞ!」


 この命令を受け、ゾンファ艦隊本隊の五個艦隊はゆっくりと散開していく。

 密集隊形から散開隊形に移行したことにより、回避機動の自由度が増し、ムツキ級からの砲撃が目に見えて当たらなくなった。


 その分、ゾンファ側の攻撃の効率も落ち、互いに防御に徹しながら距離だけが縮んでいく。


(これでいい。十光秒にまで近づいた時に幽霊ユリンミサイルを撃ち込み、一斉砲撃を加えれば、あの衛星も破壊できるだろう……)


 この状況にシオンは満足し、再び余裕のある表情になる。


「敵に取り付いて、一気に決める! 勝利は目の前だ!」


 シオンの言葉にフェイ・ツーロン上将は素直に首肯できなかった。


(シオンの言っていることに間違いはない。しかし、アルビオン艦隊が消極的過ぎることがどうしても引っかかる。特に第九艦隊が特性を生かすことなく、留まっているのは何かの罠ではないのか……)


 そこでフェイはシオンに回線を開いた。


「強引に攻める必要はないのではないか? 幸いレイ上将の前衛艦隊がFSU艦隊を押し込んでいるのだ。こちらはある程度距離を取って、敵の動きに対応できる体制を取った方が安全だと思うのだが」


 シオンはフェイの提案を「駄目だ」と言って一蹴する。


「じっくり攻めると言うが、軍事衛星を放置すれば、アルビオン艦隊の退路を塞ぐことができん。この勢いに乗って一気に決める方が損害は抑えられるはずだ。そのことはお前も分かっているのだろう?」


「それは分かっているが、敵に乗せられている気がして仕方がないのだ」


「考え過ぎだろう。ハースであっても、これだけ不利な状況でひっくり返すほどの手を思いつけるとは思えん」


 フェイはその言葉に「そうだな」と言って頷くことしかできなかった。しかし、すぐに別の提案を行った。


「ここまで来たら俺の艦隊がいなくても問題ないはずだ。第九艦隊が動いた時のために少し距離を取らせてもらうが構わないな」


 シオンは一個艦隊が抜けることに一瞬だけ懸念を覚えるが、すぐに問題ないと思い直す。


「よかろう。フェイ艦隊は本隊の後方五光秒の位置で戦術予備とする。敵が変な動きをしたら対応を頼むぞ」


 そう言いながらもシオンはフェイが考え過ぎだと思っていた。


 通信を切った後、フェイは自らの艦隊に命令を出した。


「アルビオン艦隊の動きを牽制するため、本隊の後方に下がる。敵に対応できるよう、準備を怠るな!」


 その言葉に戦隊指揮官を始めとする士官たちは不満を感じた。圧倒的に有利な状況で戦果を挙げる機会を失ったと思ったためだ。


 一方で下士官兵たちはやりたくもない戦闘で戦死する可能性が減ったことを心の中で歓迎していた。しかし、それを表に出すことなく、黙々と任務をこなしていく。


■■■


 第九艦隊の旗艦インヴィンシブル89の戦闘指揮所CICでクリフォードは艦の指揮に集中していた。


 しかし、現状では回避に専念しているため、特に指示することはなく、後ろにある司令官席にも注意を払っている。

 ゾンファ艦隊本隊からフェイ艦隊が離れ始めた。


(敵がこちらの策に気づいたのか? それにしては一個艦隊では中途半端な気はするが……提督はどう動くつもりだろうか?)


 司令官のアデル・ハース大将が「一個艦隊が下がるわ。こちらの策を見抜いたのかしら」と呟く。


 それに副参謀長のオーソン・スプリングス少将が答えた。


「分析の結果、フェイ・ツーロン上将の艦隊のようです。しかし、一個艦隊というのは微妙ですね。作戦を見抜いたのであれば、全艦隊で動くはずです。前衛艦隊にも動きはありませんし、我が艦隊を牽制するためではないでしょうか」


 スプリングスもクリフォードと同じ懸念を抱いていた。


「小官もそう思います」と首席参謀のヒラリー・カートライト大佐が賛同する。


「では、作戦通りに動きますか?」と、参謀長のセオドア・ロックウェル中将が確認する。


 クリフォードはその声を聴きながら、ハースの指示を待っていた。


 ハースはロックウェルに大きく頷くと、「ユーイング提督に繋いでちょうだい」と副官であるアビゲイル・ジェファーソン中佐に命じた。


 通信が繋がったのか、ハースは端的に「作戦の発動をお願いします」と告げた。


(これからが正念場だ。敵の司令官は皆優秀だ。少なくともフェイ上将はこちらに何らかの作戦があると考えているようだ。フェイ艦隊をどうにかしないと、最後の策が空振りに終わることもあり得る。どうすればいい……)


 クリフォードがそんなことを考えていると、すぐに総司令官であるジャスティーナ・ユーイング大将の声が聞こえてきた。


「アルビオン艦隊はこれよりムツキ級軍事衛星群の後方を抜け、タカマガハラの背面に向かいます。第九艦隊は敵後衛部隊の下に回り込むように機動し、本隊の支援をお願いします」


 そこまで言ったところで言葉を切り、いつもの口調で付け加える。


「皆さん、この作戦は賢者ドルイダス殿と崖っぷちクリフエッジ君が考えたものですから、落ち着いて対応してくだされば必ず成功します。では、皆さん、後ほど」


 その緊張感のない言葉に、クリフォードは思わず苦笑する。周りを見ても同じように苦笑いを浮かべており、その事実に安堵する。


(ユーイング提督は相変わらずだな。だが、みんなの緊張が少しほぐれた。あとは少し引き締めればいいだろう……)


 クリフォードがCIC要員に声を掛けようとした時、ハースが先に全艦に向けて放送を行った。


「我々が最も厳しいところを担当することになります。各指揮官の命令を順守し、作戦を成功させましょう」


 その言葉にクリフォードはさすがだと感嘆の念を抱き、ハースの思いに応じようと、彼にしては珍しく大きな声で了解を伝える。


了解しました、提督アイアイマム!」


 それに唱和するようにCICに「「了解しました、提督アイアイマム!」」という声が響いた。

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