第9話
デューク・オブ・エジンバラ5号[DOE5]において、最上級士官である副長の交代が行われた。
前任者クラウディア・ウォーディントン少佐は上級士官コースに推薦され艦を去り、その後任に少佐に昇進したばかりのサミュエル・ラングフォードが就いたのだ。
サミュエルはゾンファ共和国ジュンツェン星系にて行われた二度の会戦で、キャメロット第九艦隊所属の駆逐艦の戦術士として、的確かつ冷静な指揮ぶりが評価され、艦隊司令官ジークフリード・エルフィンストーン提督から直々に賞賛された。
そして、
この副長就任は異例尽くめと言われていた。
DOE5の士官のほとんどは爵位を持つ家の出身者だ。これは王太子の周囲に代々続く伝統ある名家の出身者を求めた結果だが、サミュエルは士官になるために騎士の家に養子に入った元平民だった。
更に
これは副長の仕事が多岐に渡るため、いきなり大型艦の副長になると艦の運用に混乱が生じると考えられているためだ。しかし、サミュエルは情報士や戦術士の経験はあるものの、副長の経験はなかった。
彼自身、副長の内示を受けた時には驚きを隠せなかったほどで、この人事についても王太子の意向が反映されていると噂されていた。
クリフォードは
サミュエルも「よろしく頼みます、艦長」と言った後、周囲には聞こえないように小声で「よろしく、クリフ」と囁いていた。
二日ほどで引継ぎを終えると、クリフォードとサミュエルはDOE5を訪れたエドワード王太子から呼び出される。
二人が揃って出頭すると、王太子は満面の笑みを浮かべて大きく頷く。
「君たちにこの艦を任せられて私は幸せだよ。ラングフォード少佐、君のことはサムと呼んでもいいかな?」
いきなり愛称で呼ばれ、サミュエルは戸惑うが、「
「では、サム。クリフを助けてやってくれ。ああ、それと君たちの武勇伝を暇な時にでも聞かせてほしい。クリフは私がせがんでもトリビューンのことをなかなか教えてくれんのだ」
その親しげな態度に再び面食らい、思わずクリフォードの顔を見てしまう。
「殿下の仰せだ。君に任せるよ」と言ってクリフォードが片目を瞑る。
その後、王太子を交えての交流会が始まった。
入港中ということで酒も出ているが、サミュエルはほとんど口にしない。
「酒は苦手かね?」という王太子の言葉に「
「もう少し楽にしてほしいんだが」という王太子に対し、クリフォードが呆れ顔になる。
「それは無理でしょう、殿下。サムは王族の方とほとんど面識がないのです。これが普通なのですよ」
「確かにそうなのだが……まあ、ゆっくり慣れてもらうしかないか。ハハハ!」
サミュエルは会話に加わりながらも、この状況について考えていた。
(まさか俺が王太子殿下と酒を飲むとは……クリフの結婚式に参列していればお会いできたのかもしれないが、あの時はアテナ星系にいたからな……それにしてもクリフは堂々としている。あの頃の、右も左も分からなかった候補生時代のイメージは微塵もないな……)
親友の成長を喜ばしく思うものの、自分がこの場に相応しいのかと不安も感じている。
(クリフがこの艦の艦長を務めるのはおかしなことじゃない。それに引き換え、俺がこの艦の副長をやってもいいんだろうか? 確かに
彼の懸念は妥当なものだった。
DOE5は戦闘艦に分類されるものの、“
王族や上級貴族を招いたり、外交官や有力者の見学の対応をしたりと、通常の戦闘艦の副長以上に求められることは多い。
(胃が痛くなってきたな。クリフと同じ艦に乗り組むのは嬉しいんだが、俺がいた世界とあまりに違いすぎる……)
クリフォードはサミュエルの表情が冴えないことに気づいていた。そして、彼が何に悩んでいるかすぐに気づく。
「この艦は他の軽巡航艦とは違う仕事が多い。しかしだ。
「しかし……」とサミュエルが言おうとしたが、クリフォードが右手でそれを制して話し続ける。
「もちろん、雑務が多いだろうし、気苦労も多いだろう。だが、君ならやれるよ。私のように主計科の成績が単位を取れるギリギリなんてことはなかったんだから」
そう言って笑い出す。
その言葉に王太子が身を乗り出してきた。
「そうなのか、クリフ? 初耳だよ」
そう言って驚きの表情を浮かべるが、
「まあ、君が帳簿とにらめっこをしている姿は想像できないがね」とクリフォードと同じように笑った。
「私の航法下手は有名すぎますから、単に気づかれていないだけです。その点、サムは何をやっても高水準でこなしますから、安心して任せられます」
航法の話になり、王太子が更に相好を崩す。
「確かに聞いたことがあるよ。レディバードには正規の
「
その暖かな雰囲気にサミュエルの表情も明るくなっていった。
その様子を見ていた秘書官のテオドール・パレンバーグは小さく首を横に振る。
(殿下にはもう少し自重してもらわねばならんな。慣例を無視した人事は人々の関心を呼ぶ。コリングウッドのように上手くいけばよいが、ラングフォードは経験が少なすぎる。二人の若き英雄に注目するのは結構だが、今回の人事への介入は度が過ぎる。ベテランの副長を配するよう、私がゴリ押しすべきだった……)
一方でパレンバーグはこの八ヶ月間のクリフォードを見て、彼に対しては一目置くようになっていた。
特に王太子の護衛がこの戦隊の最大の目的であるとして、これまで軽視されてきた戦闘集団としての能力を上げたことは素直に認めていた。
(コリングウッドは目的と手段を混同しない稀有な士官だ。私ですら、この戦隊を殿下のための飾り物だと思っていたからな。しかし、それとこれとは話が別だ。私に意見を言う権限はないが、副長を甘やかすようなら厳しく言わねばならん……)
彼と同じようにこの人事に不満を持っている者がいた。
それは航法長のハーバート・リーコック少佐だった。
(なぜ私じゃないんだ。ラングフォードはまだ二十七だ。私より八歳も年下で先任順位も比べ物にならない。確かに武勲は挙げているが、艦長のように何度も受勲しているわけじゃないんだ……私は武勲を挙げていないが、それは航法士官だからだ。それに私は子爵家を継ぐ身。私の方が絶対に副長に相応しい……)
そして、王太子が推薦したという噂を思い出し、更に不満が募っていく。
(この人事は殿下のご意向と聞いたが、艦長が示唆したんじゃないのか。仲のいい友達を支援するために。DOE5の副長をやれば箔はつくし、人脈もできる。三年もすれば上級士官コースに推薦されて五等級艦の艦長になるだろう……不公平だ……)
リーコックは自分の能力を過信していた。彼が言うように航法担当士官という点を考えれば、武勲を挙げる機会はほとんどないため、武勲の有無で優劣を決めることはできない。
しかし、彼の能力は至って平凡であり、すべてにおいて高いレベルを示すサミュエルとは才能の点では比較にならない。
リーコックが焦るのはアルビオンの貴族制度に原因があった。
アルビオンの貴族は一定の功績を挙げなければ、次世代に引き継ぐ際に爵位が下がってしまう。
そのため、このままではリーコック子爵家は彼の次の代で男爵家に降爵されることになる。
子爵位を維持するには少なくとも将官級に上がる必要があり、そのためには艦長を養成する上級士官コースか、上級参謀を要請する参謀養成コースを修了しなければならない。
しかし、いずれのコースも中将以上の将官の推薦が必要になるが、彼にはその伝手がなかった。
リーコックは自らの能力を上げる努力よりも、サミュエルを貶めることを考えていた。彼は士官たちとサミュエルの間に溝を作り、サミュエルが失敗するように画策することを考えた。
(ラングフォードが失敗すれば、私にもチャンスが巡ってくるかもしれない。一年も経たずに副長の任を解かれれば、殿下も最も艦を知る士官に副長を任せようとお考えになるだろう。これはいいアイデアだ……)
クリフォードとサミュエルが知らぬうちに、敵が生まれていた。
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