第8話

 宇宙暦SE四五一九年の年明け後、更に厳しい訓練が施された。

 それは一月だけに留まらなかった。


 キャメロット防衛艦隊ではクリフォードの猛訓練に対し、冷ややかな目で見る者が多かった。どれほど訓練しようと、戦闘の機会など巡ってこないのだから、資源と時間の無駄だと陰口が叩かれおり、その声は王太子護衛戦隊にも聞こえていた。


 第三惑星ランスロットにある要塞アロンダイトの士官用のバーでは、クリフォードが行う厳しい訓練を肴にグラスを傾ける士官が多かった。


「“崖っぷちクリフエッジ君”は殿下まで崖っぷちに連れていくつもりなのかな?」


「全くだ。王太子護衛隊は式典でミスさえしなければよいのだ。特注の船外活動用防護服ハードシェルがボロボロじゃ、何のための儀仗兵なのか意味が分からん」


「DOE5もそうだ。折角の純白の装甲がところどころ禿げている。毎回修理はしているようだが、資源の無駄遣いだと思わんのかね」


「全くだ。ハハハ!」


 そんな笑い声に一人の士官が独り言を呟くように窘める。


「彼のことを揶揄やゆするなら、彼以上の武勲を上げてからにした方がいい。あとで恥を掻くのは自分なのだから……」


 その瞬間、士官たちの笑い声が止まり、静けさがバーを支配する。


 その士官は二度の殊勲十字勲章DSC受勲者、エルマー・マイヤーズ大佐だった。マイヤーズはクリフォードの元上官であり、彼のことを高く買っている人物の一人でもある。


 マイヤーズの独り言は誰に言ったわけでもないと士官たちは再び話を始めるが、クリフォードの武勲を思い出し、それ以上その話題を続けることはなかった。



 クリフォードは様々な雑音に悩まされながらも厳しい訓練を続けた。逆に宙兵隊の訓練には自らも参加し、何度も軽傷を負っている。


 最も厳しかったのは第五惑星トリスタンの衛星軌道上での訓練だった。

 敵艦から人質を奪還するというシナリオで、敵艦に見立てた駆逐艦の十ギガワット級対宙レーザー砲の弾幕を掻い潜り、搭載艇格納庫から侵入するというものだった。


 駆逐艦以外目標のない宇宙空間において、ハードシェルの推進装置ジェットパックによる高速移動を行いつつ、視認しづらい目標に取り付くため、多くの宙兵隊員が目測を誤り、艦体ヴェッセルに激突している。


 その衝撃はハードシェルの防護能力を超え、多くの骨折者を出していた。クリフォード自身も目測を誤り、酷い打撲を負っている。

 この訓練の後、多くの宙兵隊下士官がクリフォードのことを笑っていた。


「ざまぁないわ。これでクリフエッジの野郎も少しは大人しくなるだろうよ」


 しかし、クリフォードは一向に手を緩めなかった。

 ある時は敵側の指揮官として指揮を執り、宙兵隊の突入を阻止している。


「私程度の射撃で突入できないなら、保安装置の自動射撃の前では簡単に全滅するぞ」


 彼は自慢の射撃の腕を生かし、宙兵隊員たちを煽っていく。


 宙兵隊員たちも宙軍士官に過ぎない彼からの挑発に乗り、訓練中に上官の命令が聞こえなかったふりをして、クリフォードを殴り倒す者すら現れる。

 しかし、殴り飛ばされた彼はその行為には何も言わず、逆に褒めていた。


「よくやった。今のように指揮官を潰せば、敵の殲滅は容易になる」


 こうなってくると、宙兵隊員もクリフォードを見直すしかない。


「さすがは武功勲章MCをもらっただけのことはあるってことか」


 宙兵隊員にとって武功勲章ミリタリークロス(MC)は身近なものだ。

 元々MCは陸戦で勇敢な行為を行ったものに与えられる勲章であり、受勲者のほとんどが宙兵隊員だ。


 その勲章を士官候補生時代に受けているという事実が認識されると、仲間意識に近いものが芽生えていく。



 宙軍の下士官兵も同じだった。

 宙兵隊の訓練に参加した後も、休むことなく戦隊の訓練を行っており、厳しい訓練に不満を持つ下士官兵たちも、自分たちより厳しい状況に身を置くクリフォードのことを見直すしかなかった。


 更に兵たちには最低限の休暇を与えていたが、彼自身は身重の愛妻がいるにも関わらず、艦を離れることはほとんどなかった。

 そのことを心配したリックマンが彼に何度も忠告を与えている。


「奥方は初産なんだろう。今は戦時とはいえ、差し迫った作戦があるわけじゃない。奥方にできるだけ付き添ってやるべきじゃないか」


 それに対し、クリフォードは感謝の言葉を述べるものの、一度も頷かなかった。


「私に与えられた任務は殿下をお守りすることです。そのためにできる準備は確実にしておかねばなりません。それに部下たちを駆り立てている私が妻とのんびり過ごすわけにはいかないですよ」


「しかしだな。君がいても部下たちが早く回復するわけでもあるまい。それに君もオーバーワークだぞ」


 クリフォードは「これは私なりのけじめですから」と言って曖昧な笑みを浮かべる。


 リックマンはこれ以上何を言っても無駄だと思ったが、彼との会話をDOE5の士官たちに伝えた。


 副長以下の士官たちはクリフォードに対し、不満を感じていたが、そのストイックさに驚きを禁じ得なかった。



 当初、士官たちはクリフォードのこうした態度を冷ややかな目で見ていたが、三ヶ月もすると彼らもクリフォードの強い思いに感化されていく。


 更にそのことは准士官、下士官と伝わっていき、半年も経つ頃には宙兵隊の最下級の兵にまで浸透していた。

 そして、艦隊内で王太子護衛戦隊を馬鹿にする声は聞かれなくなった。


 王太子護衛戦隊の練度は烈風ゲールと呼ばれているジークフリード・エルフィンストーン提督麾下の第九艦隊に匹敵し、キャメロット防衛艦隊でも指折りの精鋭部隊に成長していたためだ。


 また、ロセスベイに乗り込む宙兵隊も奇襲作戦、強襲作戦、撤退戦と、どれをとっても一流と言えるところまで力をつけた。


 クリフォードはそれでも満足していなかった。


(下士官や兵士たちの練度は確かに上がった。しかし、それを指揮する指揮官に不安が残る。特に宙兵隊のリチャードソン少佐とスウィフトのカルペッパー少佐は性格的な問題なのだろうが、この戦隊の弱点になりうる。シャークのラブレース少佐も未だに独断専行する癖が抜けない。どうすべきだろうか……)


 クリフォードは自分の懸念をリックマンに相談した。


「ここまでできたことで満足しろよ。指揮官の資質はそう簡単には変えられないんだ。誰もが君のようにできるわけじゃない」


 リックマンはそう言って、クリフォードの背中をバシンと叩く。


「分かってはいるのですが、殿下の安全を考えると……」


「指揮官である君が悩むのは仕方がない。しかしだ。艦には伝統という形で根付くが、艦長は定期的に変わる。あまり悩みすぎるな。まあ、俺でよければ相談に乗るがな」


「了解です。その際はよろしくお願いします」


 クリフォードはそう言いながらも何とかできないかと考えていた。


(我ながら完璧主義すぎると思うのだが、妥協するわけにはいかない。どうすればいいんだろうな……)


 僅かに不安は残るものの、戦隊を纏め上げた満足感が胸に広がっていた。


 そんな中、SE四五一九年六月一日に彼にとって良い知らせがやってきた。

 士官候補生時代の親友サミュエル・ラングフォードが少佐に昇進し、DOE5の副長としてやってきたのだ。

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