第31話

 宇宙暦SE四五一二年十月二十三日 標準時間一一〇五。


 ゾンファ軍クーロンベースの主制御室MCRでは、人工知能AIの警告と警報音、各ブロックからの悲鳴のような報告が飛び交い、修羅場と化していた。


 その状況に司令のカオ・ルーリン准将は成すすべが無く、ただ立ち尽くすのみだった。僅か十分前にはあれほどあった余裕は、既にどこにもない。


 アルビオン軍スループ艦ブルーベル34号の攻撃は攻撃した側が思っている以上の損害をクーロンベースに与えていた。


 初弾でドック入口ゲートが損傷し、そのゲートの一部がドック内に飛び込み、設備を破壊していった。


 味方の通商破壊艦P-331が出港する際にも被害を出しており、それに輪をかける形になった。そして、その影響は大きく、ベース全体に波及していく。

 彼が立ち尽くしている間も、ベース全体で継続的に空気が漏れる状況が続いていた。


空気エア漏洩率リークレート危険域レッド! 隔壁を閉鎖しても漏洩が止まりません!」


「Fブロック放棄! 緊急用のエアの残量を確認しろ!」


「シール材をぶちまけろ! なんでもいい! 早く!」


 オペレータたちは必死に作業員たちに指示を出し、指揮を執る司令が呆けており、各自の判断で行うしかない。


 このため、MCRとパワープラントPP付近の極狭い範囲のみ、減圧が食い止められている状況であり、大量に空気を失ったベースは空気残量が危険なレベルになっていた。


 ここで冷静な指揮者がいれば、空気の漏出防止と切り離された隔離エリアの空気の回収、再循環系への酸素供給方法の検討などを指示するのだが、カオ司令にはその意思も能力もなかった。


 絶望が支配し始めたMCRではオペレータたちが悲鳴のような声で、自らの生存本能に従い、正しいかどうか別にして、思いつく限りの指示を次々と出していく。

 彼らは顔から表情が抜け落ち、呆然とした表情で立ち尽くすカオ司令を一瞥することすらしなかった。


 そんな混乱の中、P-331の臨時の指揮官、グァン・フェン艦長代行から通信が入る。

 喧騒と混乱が支配するMCR内に一瞬秩序が戻り、彼の報告を聞くため、MCR内に静寂が戻った。

 彼は呆然と立ち尽くすカオ司令を無視し、自艦の損傷を報告していく。


 その中に、超光速航行機関FTLDに重大な損傷があり、ジャンプ航行ができないとの報告があり、MCR内に一気に絶望が広がる。


 そもそも、彼らの脱出するすべはP-331しかなかった。

 本来であればドック内での修理という選択肢もあったが、敵によりFTLD調整設備が破壊されており、修理は不可能だ。


 ベースが健全ならここに篭って不用意な商船が近づくのを待つと言う選択肢もあったが、設備の損傷が激しく、長期間留まることはできない。

 彼らが自力で助かる見込みはすべてなくなってしまった。


「本艦は若干の問題があるものの戦闘継続に支障なし。これより敵スループ艦を撃滅する」


 グァン・フェンはそう宣言すると通信を一方的に切り、MCR内は絶望と諦観に支配され、重苦しい空気に包まれていく。

 必死に声を荒げて対応していたオペレータたちもすでに声は無く、無言でシートにへたり込んでいた。


 彼らの中にはベース所属の汎用艇を発進させて潜入部隊を殲滅させることを思いつく者もいたが、降伏できる可能性があるなら、敵を刺激しない方がいいと司令に進言しなかった。


 しかし、その気遣いもグァン艦長代行が放った「敵スループ艦を沈める」という一言に意味を成さないようにも思えていた。


 静かになったMCRでは、全員の憎悪がまだ立ち尽くしているカオ司令に向かうが、既に何も聞こえていなさそうな彼を罵倒するほどの気力を持ったものはいなかった。



 カオ・ルーリンは喧騒渦巻くMCRの中にいながら、彼の耳には何も聞こえていなかった。部下たちの報告と指示を求める声、AIの警報メッセージ、それらはただの騒音として彼の頭は処理していた。


(夢だ、夢なんだ……この私が、軍の上級士官養成コースを優秀な成績で修了した私が、こんな辺境の拠点ベースにいること自体が間違っている……それならば、こんな状況に陥っていることも間違いに違いない……は、ははは……)


 彼は司令席のシートに座り込むと静かに笑い始めていた。


(そうだ。夢なら、間違いなら、リセットすればいい。こんなベースがあるからおかしなことになっているんだ。なら、無くしてしまえばいい……そしてもう一度やり直そう。そう、軍事委員会の委員も慎重に選びなおして、最も出世しそうな人、そうだな、リー委員がいいな。彼に何か手土産を持って取り入ろう。うん、いい考えだ。そう、私はいつだって一番いい方法を思いつくんだ……)


 誰にも相手にされなくなったカオ司令は、自分の目の前にある司令用コンソールをいじり始めた。



■■■


 クーロンベースのMCRに一方的に報告を入れた通商破壊艦P-331の艦長代行グァン・フェンは、敵スループ艦への攻撃を継続させたまま、緊急対策班からの詳細報告を待っていた。


 しばらくすると甲板長のチャン・ウェンテェンから報告が入った。


「……右舷防御スクリーンは修理不能。いつ使用不能になってもおかしくありません。……主砲はエネルギー集束コイルの損傷が激しく、出力を三十パーセント以上にするとコイルだけじゃなく、主砲全体が破壊されてしまいます。……超光速航行機関FTLDですが、こいつも応急修理不能です。まともなのは主推進装置NSDくらいなもんです」


 想像以上に酷い損害状況に、グァンは苦い顔を隠せず、「了解した」とだけ答える。

 そして、軍医に通信を入れ、「ワン艦長の容態はどうだ?」と確認する。


「先ほど意識が戻られました。ですが、まだ絶対安静であるため状況報告はしていません」


 その言葉にグァンは喜び、「すぐに艦長に代わってくれ」と命じていた。軍医は絶対安静と言って抗議するが、グァンは有無を言わせなかった。


「今の状況はそれを許さんのだよ、先生。艦長もこの状況を気にされるはずだから、すぐに代わってくれ、これは命令だ」


 軍医は渋々、ワン・リー艦長に通信を繋ぐ。

 ワンは血色の悪い顔でベッドに横たわっている。肺に肋骨が刺さっており、声がうまく出せない。


「ふ、副長、状況は、ゴボ、状況を説明してくれ。て、敵は……」


 その姿を見て、強引に話をさせたことを後悔するが、グァンはワンが意識を失ってからの状況を説明していく。


 それに対し、ワン艦長は即座に命令を伝えた。


「す、すぐに撤退しろ! 敵は味方を拾えばすぐに引き揚げる。……ゲホ、ゲホ……敵が引き揚げてから燃料だけ何とか補給すれば、ウッ、燃料だけ補給できれば生き延びられる……生きていれば状況はどう転ぶか分からん……グ、グァン・フェン、は、早まるな……早まるなよ……」


 最後は気力が切れたのか呻くような感じになっていた。

 グァンは敬礼した後、通信を切り、敵スループの状況を確認する。


「敵の状況は。ダメージは与えられたか」


「敵は健在。こちらに向けて加速中。三百秒後に相対速度最小、二千秒後に最接近と予想……攻撃は何度か命中していますが、主砲の出力を抑えたことと集束率が下がっていることから、この距離ではスクリーンで防がれています。幸い敵からの攻撃は途絶えています」


 敵からの攻撃がないことに疑問を持つ。


(敵の主砲も損傷したのか? それともリアクターに異常か? クソッ! 艦長はああ言われるが、この状況下で敵を逃がすのはどうにも我慢ならんな……それにクーロンここで待っていれば敵は勝手に近づいてきてくれるんだ……)


 彼は艦長の言葉に従おうか、自らの心に忠実であろうか悩んだ後、決断した。


「攻撃止め! 敵を十分引き付けてから攻撃する。なあに敵はこっちに向かってくる用事があるんだ。ゆっくり待っていてやろうじゃないか。索敵士、敵の搭載艇を見失うなよ。大事な囮だからな」


 彼は努めて陽気に部下たちに語りかけ、敵が接近してくるのを待つことにした。

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