反逆者ではなく、英雄として

「君からも我儘か……なんだ?」

 執務室のドアノブに手をかけたマンシュタインがそう聞いてくる。

「ここで……自決してください! あなたをあのような地獄を現実にしたような場所に連れて行きたくはないのです!」

 ヘロルトはそう言って自身のホルスターからワルサーを取り出し彼に背を向けたままのマンシュタインに向かってグリップを差し出す。

「ヘロルト君、君の気遣いは嬉しいよ。だが、私は逝かなくちゃならない。私は君たちにとって最も都合の悪い人間だ。君たちにとっては反乱軍の指導者だ。だから私は相手が国家憲兵だろうが、アインザッツグルッペだろうが、秩序警察だろうが好みを差し出さなければならない。"重要戦犯"としてね」

「でも……出頭すればあなたが受けるのは取り調べと称した拷問。もっと言ってしまえば集団リンチです! そんなところにあなたのような人が行くべきではない!」

 全力で叫ぶ。喉が擦り切れそうなくらいの声を、かつての上官にぶつける。

「ヘロルト君、君が私を本当に守りたいという気持ちはよくわかる。だが私は、もう後戻りできないところまで来てしまったのだよ」

 振り返りヘロルトの斜め前に立った彼はヘロルトの肩を持ち、落ち着いた表情を浮かべて、駄々をこねる子供を落ち着かるような、優しい口調で言った。

「でも……行かないでください……」

 口から絞り出すように出したその声は震えていた。

「マンシュタイン将軍……いずれドイツ第三帝国は滅びます。ですがそれでもドイツは、我らが祖国は生き続けます。何十年も、何百年も。もしかすると、何千年も。そしてその歴史の中に、あなたは祖国を裏切った反逆者としてではなく、最後まで正しい祖国を取り戻すために命を捨てて戦った一人の英雄として、そして一人の軍人としてあなたの名前を後世に継ぐべきだと思うのです!」

 彼から発せられた言葉、それは親衛隊高官としての言葉ではなく、正真正銘、一人の軍人として、彼が思い、紡いだ言葉だった。


「そうか。君の思いはよく伝わった。私も腹を括るとしようか。でも、私がここで自分で死んだなら、君もただではすまんだろう。今はハイドリヒが総統なのだろう?」

 彼はヘロルトの後ろにあった執務室の窓を大きく開け放ち、

「ヘロルト君。こっちを向いてくれ。あと、お願い……できるかな?」

 そう言って、彼は彼自身の眉間を叩いた。その表情はどこか悲しむような、そしてその中に決心をつけたのか、この世に未練なぞないと言わんばかりの清々しい表情をしていた。


「わかりました」

 そして彼は床に落ちていたワルサーに手を伸ばし、引金最期に指を掛ける。何十、何百と繰り返してきた動作なのに、一番敬愛していた者を手にかけるという恐怖から手が震え、思うように握ることができない。


「マンシュタイン将軍……一度私の目を見てください」

「ああ」

 マンシュタインが顔を上げる。そしてヘロルトはまた、彼に笑顔を見せた。大人になってからは一度も見せたことのない最高の笑顔を。

「私からの、最期の恩返しです。どうか英雄として、東で散った将軍に、そして私の仲間に、顔を見せてあげてください」

 黒くくすみ、鈍い光を放つ銃身が、彼の頭を指向する。


「あなたに会えて、本当に良かった! あなたの下で戦えて、本当に幸せだった!」

 ヘロルトの目尻には大粒の涙が溜まり、頬に一筋の涙が流れた。

「ああ、私も幸せだったよ!」

 マンシュタインもまた、涙をこぼしていた。


「祖国のために裏切り者となろうとも戦い続けたこの英雄に神の救いを!」


 引き金にかけた指に力を入れる。そしてそれは手前に引き倒され、直後眼前に熱風が吹いた。


――乾いた銃声が執務室に響き、銃から飛び出した薬莢がカーペットの上で跳ね、悲しく転がった。


「私は忘れません。あなたが最後までこの国の軍人であり続けたことを……」

 がくりと、膝から崩れ落ちる。そして力の抜けた体でマンシュタインのもとへ向かい、彼の体の向きを整え、瞼を閉じさせる。

「あなたは、何事にも誠実で、国に忠実な男でした。私はあなたがそのような人間であったことを忘れません。ハイドリヒやその他の親衛隊員があなたのことを貶そうとも……」

 言葉を絞り出しながら、ポケットにしまっていたハンカチで彼の目から流れ出した最期の涙と額から僅かに垂れる血液をふき取り、そして、彼の胸に顔を当てて泣いた。

 

 泣くことしかできなかった。今まで敬愛していた男を彼自身が手にかけたのだから。


――ばたばたと、足音が聞こえてくる。


「ヘロルト大将! 大丈夫で……すか……?」

 マンシュタインの胸に顔を押し付けて親を亡くした幼い子供のように泣きじゃくる彼を見て、親衛隊員も思わず張り上げた声を抑えざるを得なかった。


 のそりとマンシュタインの胸から顔を上げたヘロルトは安否を確認しに来たシュナーベルに向けて

「シュナーベル君、少し一人にさせてくれ。ドアも閉めてくれ……」

「わ、わかりました……失礼します。私は外で待機しておりますので、その開けた窓からお呼びください」

 そう彼が言った後ばたんとドアが閉められ、ヘロルトは彼らがいなくなったことを確認してから再び表情を歪め、ぽたぽたとまた涙を床に落とした。

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