第2話 札束への敗北

 おおみゆうり。


 なんだかハッキリと発音された名前に目をしばたかせていると、大見さんはじっと私を見下ろしてきていました。


 し、しまった! これ、私の発言を待っているやつですね!?


『この探偵事務所所長の小鹿ひばなだ』


「はい、存じ上げております」


 ひえ。パペットでしゃべっても突っ込んでこない大人は久しぶりです。


 それこそ妙度さん以来ではないでしょうか。


『私はそういうのどうでもいいからねえ』


 黙ってください想像上の妙度さん!


 って違う違う。今はお客様です。


「どうかされましたか」


『すまない、少し困惑していただけだ』


「困惑?」


『いや、私を子供扱いしなかった方は珍しいので』


「ああ、なるほど」


 よかった~! とりあえず納得していただけました。


『どうぞ入ってくれ。中で用件を窺う』


「はい」


 大見さんは単調に言うと、私のあとをついて事務所へと入ってきました。


 機械的な足取りです。この人本当に血が通った人間ですか?


 失礼なことを考えながらパーテーションを抜けると、水無瀬はまだテレビの前にいました。


『……すまない。気にするな』


「はい」


 いやいやそこは気にするところでは? どれだけ情動が薄いのですかこの方は!?


 事務所の片隅に作られた応接スペースに案内し、お茶をいれて戻ってきます。


 コトリと彼女の前にお茶を置きましたが、彼女は手を伸ばそうともしませんでした。


 なんだか意思の薄い人形のようです。


「用件をお話しても?」


『あ、ああ。すまない。どうぞ話してくれ』


 内心を見透かされたのかと焦りながら話を促します。


 大見さんはぴしっと背筋が伸びた姿勢で話し始めました。


「実は探っていただきたい方がいるのです」


『素行調査か?』


 素行調査は公的に認可されている一般的な探偵が主に行う業務の一つです。


 夫が浮気をしていないかだとか、娘の結婚相手が清廉潔白な人なのかだとか。正直気が滅入る内容ばかりなので、私はあまり好きではありません。


「いえ、少し違います」


『違う?』


「私が探っていただきたいのは、その人物の持つ情報です」


 わざわざ言い直したことで私は察しました。これは、あまり清らかな仕事ではありませんね。


「これを」


 大見さんは一枚の封筒を机に置きました。


 細長い定型封筒です。


 手を伸ばしかけた私を、大見さんは制止します。


「中身は見ないでください」


 びくっと手を止めて大見さんを見ます。


「あなたにはその封筒をある人物に届け、その反応を探っていただきたいのです」


 うーわ。これ、運び屋というやつですね。


 対象の情報を得たい。だけどこちらの情報は渡したくない。


 そういう時に無関係の人物を運び屋としてでっちあげるのはよくあることです。


 ……主に、裏と繋がっているよろしくない方々の間では。


『お断りする』


 私は毅然と突っぱねました。


 こういう仕事はリスクが高すぎます。


 私はリスクマネジメントを重視するので、これは受けられません。


 しかし大見さんは私の言葉が聞こえなかったかのように、机にもう一枚封筒を置きました。今度のものは分厚いです。


「こちらは前金です」


 おそるおそるそれに手を伸ばし、中身を確認します。


 大量の福沢諭吉でした。五十枚ぐらいはあるでしょうか。


 はわわわわ……!


 あまり手にしたことのない金額に手が震えます。


 ちらりと大見さんを見ると、彼女はぴくりとも動かずに言葉を続けました。


「依頼完遂時にはその倍額をプラスしてお渡しします」


 私は即答しました。


『その依頼を受ける。私はどこに向かえばいい?』


 札束への敗北でした。


 大見さんはそんな私を興味なさそうに見て、カバンから一枚のチラシと新しい封筒を渡してきました。


 受け取り、確認します。


『……婚活パーティ?』


 とんと接点のない単語に一瞬頭がバグります。


「はい。婚活パーティです」


『この……婚活パーティに行けと?』


「はい。その通りです」


 え、えええええ!?


『婚活パーティに調査対象が?』


「はい」


『いやでも婚活パーティだぞ?』


「はい。婚活パーティです」


 大見さんは繰り返します。私はなんとなく嫌な予感がしました。


 ……接触したいのがなんらかの組織の上の人間なら、婚活パーティに行くとは考えづらい。


 だってこれ、参加費が最低ランクの弱々パーティですもん。上の人間がわざわざこんな低ランクな催しに参加するとは思えません。


 となると調査対象は恐らく下っ端。しかし上にある程度接触できる人間でなければそもそもこんな揺さぶりをかけるまでもありません。


 つまりその人物は単に結婚相手を漁りに来ただけの下っ端。もしくは――私同様に何者かへの接触を図っている運び屋ということになります。


 私は唸りたい気分になりながら封筒の中身を見ました。


 入っていたのは二枚の招待状。


 ……二枚?


『大見さん、これは』


「彼にも行っていただきます」


『は?』


「ですから彼にも」


 大見さんはパーテーションの向こうでお昼の情報番組にはしゃぐ水無瀬に視線を向けました。


『まさか……水無瀬も連れていけと?』


「その通りです」


 え、いやいやいやいや! 無理でしょうそんなの!


 あの水無瀬ですよ!? 行く先々で問題と破壊行為を行う、歩く災害をパーティに連れていけと!?


 ぎょっとした目を大見さんに向けると、彼女はすくっと立ち上がったところでした。


「ではよろしくお願いします」


 そう言い残して、結局お茶には手をつけず、大見さんは立ち去っていきました。


 パタン……と静かにドアが閉まる音がして、私は宙に浮かせていた腰をソファに落とします。安いスプリングが私を受け止めました。


 えーーうわどうしましょう。


 金に目が眩んでものすごーく嫌な依頼を受けてしまいました。


 私はチラッと水無瀬を見ます。


 というか婚活パーティなら男女が一緒に行ってはまずいのでは?


 つまりそれは別行動するということで――アイツは自力で会場にたどりつけるのでしょうか?


 いい大人に対する懸念ではないと我ながら思いながら、私はチラシを机に置いて頭を抱えました。


 パーティの日時は二日後。


 ……とりあえずこの前金で年相応の服でも買いますか。

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