第260話 13章:コンプリートブルー(27)

「ほらほらアイちゃん」


 陽山さんが冷泉さんの手をとって、立ち上がらせようとした。


「…………あなた誰?」


 しかし、冷泉さんがその手を取ることはなかった。


「詩織だよ?」

「あなたは違う」


 ヴァリアント化しているのでたしかにそうなのだが、なぜ冷泉さんはそこまで言い切れるのだろうか。

 オレには陽山さん本人にしか見えない。


「どうしてそんなこと言うの? 陽山詩織だよ」

「違う」

「違わないよ?」

「芝居がヘタクソなのよ。陽山さんなら、陽山詩織をもっと上手く演じるわ」

「…………私の芝居は完璧だったはずだ。彼女の中から何年も見てきたのだから間違いない」


 陽山さんの雰囲気が変わった。

 目つきが鋭くなり、全身から強烈なプレッシャーを放っている。

 こちらが本性か。


「本人はやってるつもりでもできてないっていう、ダメな芝居の典型ね」


 催眠にかかっていたはずの冷泉さんは、スイッチが入ったように語り出す。


「そんな課題、私達はもう乗り越えたはずでしょう? 陽山さんならもっと相手を惹きつける芝居をするわ。口調だけならそっくりだけど、間も違えば、指先に神経は通ってないし、視線の使い方のクセも違う。モノマネをするにしても、もっと上手くやることね。言いなさい。あなたは誰?」


 そうか、冷泉さんは怒っているのだ。

 本当に陽山さんは、大切な『ライバル』だったのだろう。


「私を……芸の神たるこの弁財天をバカにするな!」


 かなり有名な神だ。

 弁財天は目元をピクつかせ、怒りに顔を歪めた。


「神だかなんだか知らないけど、客をバカにしてるのはそっちでしょ」

「客など私の芸術をありがたがって受け取ればよい!」

「そんな化石みたいな考えじゃ、お客さんはついてこないのよ!」

「私の価値がわからぬ低レベルな客など必要ない!」

「話にならないわね。陽山さんはどこ!?」

「もういない」

「どういうこと……?」

「私がこの体を使って顕現したときに、消滅したよ」

「消滅……? 何を言ってるの?」


 冷泉さんの表情がこわばる。


 信じられないのも無理はない。


 弁財天は転がっている死体の腕を拾い上げると、がぶりと噛みつき、咀嚼した。


 催眠状態にある冷泉さんは、それを見ても一瞬硬直して目をしばたたかせただけだ。


「理解できなくてもいい。飲み込みなさい」


 弁財天は催眠効果を乗せた言葉で、語りだした。

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