第30話 4章:パパ活ですか? いいえ、援交です。(3) SIDE 由依

SIDE 由依


 女子トイレの個室にいると、いろんなことが聞こえてくる。

 その多くは、あまり気持ち良いとは言いにくい内容だ。


 私は女子同士の付き合いがあまり好きではない。

 社交界に比べればちょろいものだが、できるのと好き嫌いは全く別の話だ。


 昼食後のできごとだって、揉めずに済ませる方法はあったし、これまでの私ならそうしていただろう。

 でも私はカズを止めなかった。

 私のことを想ってしてくれているのは伝わったし、やってしまえと思ったからだ。


 今も個室の外で鬼瓦さん達が私のグチを言っている。

 気配からすると、いつものとりまき二人の他にも何人かいるようだ。


「もおお! MK5だよ! 難波のヤツいつからあんなに生意気になったワケ!?」


 鬼瓦さんがトイレのドアを順番に殴る音がする。

 その度、ドアが勢いよく開いていく。

 どうやら個室に入っているのは私だけのようだ。


「だよねー」「ほんとなまいきー」


 連れの二人は、ただ同意するだけだ。


 続いて用具室のドアが開く音、さらに洗面台でバケツに水を汲む音がする。


「あんなひ弱君のどこがいいのかね」

「そうそう。やっぱ男は筋肉っしょ」「アレの時のタフさが違うからね。ギャハハ!」

「だ、だよねー……あはは!」


 今日のカズを見て『ひ弱』などと言うようでは、彼女の言う良い男とやらを捕まえるのは不可能だろう。

 見る目がなさすぎる。

 彼の二の腕や首筋を見て何も感じなかったのか。

 細身ながら、あれほどしまった体はどんなアスリートだって持ってはいない。


 剣道の一件からもカズが弱いなんてことは思わないはずだが、加古川に関わることだからだろう。

 すでに忘れ始めているようだ。

 言われれば、まだ思い出せるくらいだろうが、無意識に記憶から弾いているといったところか。


「お高くとまったお嬢様が、庶民の男子とも仲良くしてる自分に酔ってるってやつじゃない?」

「そうかも~」「ありえる~」


 水を汲み終わったのだろう。

 三人の声がこちらに近づいてくる。


「完璧無敵のお嬢様が落ちて汚れたら、ちゃんと洗ってあげなきゃね」

「そうそう優しさ優しさ」「難波にもちゃんと何かしてあげなきゃ。恥をかかせてくれたんだから」


 本当にくだらないことを考える……。


 トップにいた人間というのは、少しでも落ちたとみなされると一気に引きずり下ろされることがある。

 父がいる大人の世界で何度も見てきた。


 私自身、嫌がらせをされそうになったことは一度や二度じゃない。

 そのたび、丁寧に芽を摘んできた。


 今回も、これまでの私なら静かにトイレのドアを開け「誰にだって良いところと悪いところはありますよ」なんて優等生な答えをしながらその場を立ち去っただろう。

 だが、もう違う。


 私は音も無く鍵を開けながら、ドアの外に意識を向けた。

 台か何かに乗り、バケツを持ち上げる気配がする。


 今だ。


 私は勢いよくドアを開けると、バケツを持ち上げていた鬼瓦さんの足を軽くひっかけた。

 本当はグングニルの力でドアを蹴破ってもよかったのだが、わざわざ設備を破壊することもないだろう。


「――っ!!?」


 外にいた女子達は声にならない悲鳴をあげ、頭から水をかぶった。


「こんなところで水浴び?」


 私はきっと学校で見せたことのない冷たい目をしているだろう。

 ずぶ濡れで尻餅をついた鬼瓦さん達が、怯えた目でこちらを見上げている。


 こんなことをしても何もならないのはわかっている。


 でも、私は覚悟を決めたのだ。

 カズと対等であろうとすると。


 それはカズのピンチには一緒に戦い、カズがバカにされれば怒るということだ。


 そして、彼の強さに少しでも追いつくために、自分を無駄に着飾る努力である『余裕』なんてものは捨て去るということなのだ。


 そんなことが、いずれ死に逝くだけだった私を助けてくれたことへの恩返しになるかはわからない。


 いいや、そういうことじゃない。


 ただ、私がそうしたいのだ。

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