第7話 少女の村


 いつの間にか辺りは真っ暗だ。


 虫のさざめきと草木の揺れる音。

 月明りが木漏れ日のように、優しい匂いの草道を淡く照らしている。


 俺たちはクリムちゃんの案内を受けて、静かな村の大通りを歩いていた。


 ――自然が豊かで、のどかな村だ。


 村に来て数分だが、俺はすっかりこの村を気に入っていた。


 水のせせらぎに、時折小屋の方から聞こえてくる動物の鳴き声。尻尾を振る音。

 ひとたび息を吸えば、澄んだ空気が体中に染み渡り――。

 何とも言えない心地よさに全身が包まれる。


 例えるなら……そう。

 おばあちゃんが住んでる田舎……そんな表現がしっくり来るだろう。

 俺はこういうのどかで落ち着いた場所が好きなのだ。


「こっちだよ!」


 導かれるまま進んでゆくと――。

 村の奥には、石造りの土台に、古びた井戸。そして緑に囲まれた、小さな一軒家が佇んでいた。

 窓から洩れる光は夜の闇を照らし、古い家屋ながら、なんだか暖かな雰囲気を感じられる。


 どうやらここが、クリムちゃんと、そのおばあさんが住む家らしい。


「おばあちゃーん! かえったよー!」


 クリムちゃんは背伸びして取っ手を捻ると。

 前のめりによろけながらも扉を開き――。


「さ、お兄ちゃんたちもはいって――」


 クリムちゃんが言いかけたその瞬間。


 ――ゴン、と。


 扉の奥で、何かがぶつかる音がした。


「あだッ!?」


 ――次いで、年老いた女性の断末魔も。


 ……なんだ今の音。


「……」

「…………」

『…………』


 ――嫌な予感がする。


 俺たちは扉の奥をそーっと覗くと。

 そこには首元にケープを巻いた長身の老婆が。

 頭を抱えて、小刻みに痙攣しながら……うつ伏せに小さくうずくまっていた。


 多少しわがれているものの。

 妙に張りのあるうめき声が、あたりにむなしく響き渡る。


『……のう、お嬢ちゃん。この御仁がまさか――』

「……お、おばあちゃん寝てるみたい。気にしないではいってねお兄ちゃんたたたたたちちちちちち」


 どうやらクリムちゃんは誤魔化すつもりらしい。


「いやクリムちゃん。これは寝てるんじゃなくて扉にノックアウトされたんだよ」

「……ノックをしなかったからねぇ――」

「思ったより余裕ありますねあばあさん」


 しかしクリムちゃんは余程テンパっているのか。

 取り繕うかのように、あわあわと手を振りながら会話を続ける。


「……おばあちゃんね! 占い師なんだけど、マイペースで、占い中によく居眠りしちゃうんだ! だからこれも占い中に寝ちゃったんじゃないかなぁ!」


 それは無理があると思う。


「……ていうかおばあさん、大丈夫ですか?」

「うぅ……ごめんなさい、おばあちゃん……」

『ふむ――コブは出来てないみたいじゃな。軽傷じゃ』

「……まあ冗談はこれくらいにするかね」


 そう言っておばあさんは何事もなく立ち上がると。

 身体をはたいて、おもむろにクリムちゃんの方へと歩いてゆき――。


 ――彼女の頭上へ、こつんとチョップを食らわした。


「あいたっ!?」

「これクリムや。あれだけ言ったのにまた森へ入ったね。この時期は魔素マナニウムが不安定で、何が起こるか分からないと言ったじゃあないか」

「ごめんなさい……」


 そのままおばあさんは膝を落とすと。

 落ち込むクリムちゃんの頬を、しわがれた両手でそっと撫でた。


「……まったく。年寄りの寿命を縮めるんじゃないよ。――無事でよかった」

「おばあちゃん……」


 彼女はそのままクリムちゃんを優しく抱きしめる。


 うぅ……良い話だ……。


『おいシロウ。ひょっとして泣いとるのか?』

「グスッ……べづにだいでだいげど泣いてないけど――」

『……分かったから鼻水は何とかせい。……うおっ!? おいこら! ワシの身体で拭くなアホ!』


 俺たちのやり取りをよそに、祖母と孫娘の感動物語はフィナーレを迎える。

 おばあさんは、泣きじゃくるクリムちゃんをゆっくり抱き上げると――。


 そのままひょいと、米俵のように担ぎ上げた。


「それはそれとしてお仕置きはさせてもらうよ。とりあえずお尻叩き10回3セット行ってみるかいよーいスタート!」

「やああああああああああ!?」


 彼女はリズムに乗って小さなお尻を激しく叩き始めた。


 ドン! ドン! カッ カッ ドン! カッ カッ ――


 フルコンボだドン!


「――これに懲りたらもう危ない真似するんじゃないよまったく! ――おっと、そこでポカンとしているアンタら二人。さっさと家に上がりな。……孫を助けてくれたんだろ?」


 そう言って俺たちの方へ笑いかけると。

 元気なおばあさんは和太鼓を叩くかのごとく。

 悲鳴をあげるクリムちゃんを担いだまま、ずかずかと家の奥へと入って行った――。



□■



 ――数分後。

 俺たちは居間に通されると、クリムちゃんの祖母――パレットさんから、豪勢な食事を出されていた。


「うう……お尻がいたい……」


 パレットさんはお尻叩きの達人らしい。


「どうやら孫娘が世話になったみたいさね。詳しい話は後にして、ひとまず腹も減ってるだろうから食事にしようじゃないか。遠慮せず食べとくれ」

「良いんですか!?」


 二人暮らしの食卓に並んだ、溢れんばかりの料理。

 それらが、キラキラと光を帯びて、まるで輝いているかのような錯覚に見舞われる――。


「――い、いただきます!」


 空腹をこらえきれず、俺は勢いよく手を合わせると。

 恐る恐る、目の前の皿に乗ったパンへと手を伸ばした。


 硬さそうな見た目とは裏腹に。

 香ばしく焼かれた生地は、咀嚼の度に、甘みが口内へと溶け込んでゆく。


 ――美味い!


 次は肉料理、その次はシチューと。

 すっかり夢中で料理を頬張る俺に、周囲から暖かな視線が注がれる。

 特にパンをシチューにつけるのがまた美味いんだこれが!


『気持ちの良い食いっぷりじゃな。まるで鼠の頬袋…………ワシにも息子がいたらこんな感じじゃったのかのう……』

「そう美味そうに食べてもらえると、こっちも食事を用意した甲斐があったもんさ」

「おかわりもあるからね、お兄ちゃん!」


 ――うまい! ――うまい!


『おいシロウ! 野菜もしっかり食わんか! 背が大きくならんぞ?』

「ちゃんと食べてるよ! オッサンこそ人形のクセに器用に酒飲んでんじゃねぇ! どういう原理だそれ!?」

『お! 御祖母殿もいける口じゃなぁ!』

「久しぶりの大勢の食事だからね。飲まない方が勿体ない」


 そんな感じの会話を交わしながら、やがて俺たちは食事を終える。


「ごちそうさまでした! ……ぷはぁ、美味かった!」

「おっと、客人は座ってな。片づけはこっちでやるさ。それより傷の具合はどうだい、ぼうや?」


 ぼうや……俺の事か。

 確かにパレットさんから見ればそうなるな。


「さっきクリムちゃんが塗ってくれた薬草……? のおかげで、だいぶ楽になりました」


 俺は背中と膝に巻かれた包帯をさすりながら、質問に答える。


 実際、すごい効き目だ。

 多少塗り目がスースーするものの、先程までの痛みは嘘のように消えていた。

 まるでゲームのように、綺麗さっぱりダメージが回復した、という訳だ。


「そいつは良かった。あんたは若いから、明日には包帯も取れると思うよ。とりあえず今日はもう遅いしこのまま泊っていきな、お二人さん」

「ありがとうございます」

『かたじけない』


 俺とダインのオッサンは礼を言うと、食後の一服にと出された、紅茶のような飲み物をちびちびとすすった。

 あー沁みるわー。


『……しかし御祖母殿よ。ワシらが訪ねて間もないというのに、よくこれだけの食事を用意できたのう。特にシロウは育ち盛りでよく食うようじゃし。まるでワシらが来るのを見越しておったような――』

「……ああ。それならさっきクリムから聞いただろ?」


 片づけを終えてテーブルに戻ってくると。

 パレットさんはいつの間に身に付けたのか、怪しい占い師が纏うようなベールと、大きな水晶玉を持ち出していた。かっこいい。


 ちなみにクリムちゃんは何か準備をしているのか、今は席を外している。


「見ての通り、あたしゃ占いを生業にしていてね。これでも昔は国一番の占い師として、王宮にもお呼ばれしたもんさ」


 言いながら机の上に水晶玉を置くパレットさん。

 キレーだなぁ。俺、水晶玉って初めて見たかもしれない。


「あんまりクリムの帰りが遅いもんで、心配になって久しぶりに占ってみたら――。あんたら二人があの子を連れて来ることを予感したって訳さ。感謝してるよ」

『……なるほど。そういう理由じゃったか』


 オッサンが納得したように頷く。


「そうそう、あんたら二人の素性もだいたい検討がついてるよ。……特にそこのぼうや、シロウって言ったかい」

「……え、俺?」

「あんた……この世界の人間じゃないだろう?」

「――!」


 ――驚いた。

 占いってそんなことまで分かるのか。


「……って事は、やっぱりここは日本じゃないんですね」

「ああ。お前さんが想像している通りさね」


 パレットさんはそう言うと、椅子に深く腰掛ける。

 そうか……予想はしてたけど、いざ面と向かって言われると、複雑だ。


『…………シロウが、異世界人……?』


 ダインのオッサンの方を見ると、黙り込んで何やら呟いているようだ。

 まあ普通は驚くよなぁ。

 俺も椅子に背中を預けて、天井を仰ぐ。


「――占い。占い、かぁ……」


 現代日本だと眉唾物でも。

 このファンタジー世界なら、何か超常的な力で本当に未来を見通せたりするんだろうか――。


 俺がそんな事を考えていると。

 パレットさんはまるで俺の心の内を見透かすように、語りかけた。


「――“不思議な力”として、すべてを片付けるのは勿体ない気がするがね」

「――え?」

「……いま、そんな事を考えていただろう?」

「…………うん」


 ……びっくりしたぁ。

 なんで俺の考えている事が分かったんだ?

 もしかしてファンタジー世界らしく、魔法で心が読めるとか?

 なんだかテンション上がってきた!


「『なんで考えている事が分かった?』って考えてるね」

「はい。……ひょっとして魔法……とかですか!?」

「いや、普通に表情で分かっただけだよ」

「え」

「ほっほっほっ……落胆した顔も面白いねえ」


 ちくしょう……ただの読心術かよ!


「ぼうやは考えが顔に出やすいみたいだからバレバレなのさ。……おっと、変顔したって無駄だよ。裏表のない性格ってのは美点だからね、無理に直さなくたっていいじゃないか」

『フハハハハ! 言われておるぞシロウ!』

「いや、あんたも酷いよ」

『――』


 突然黙り込んで変顔を始めたオッサンは置いといて。

 俺は唇を尖らせながら、先程言われたことについて、パレットさんに尋ねてみる。


「それより『不思議な力として全部を片付けるのが勿体ない』……って、どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味さね」


 俺の質問に答えると、パレットさんは目を閉じてほう――と息を吐き。

 ひとつひとつ、子供に大切な事を言い聞かせるように話し始めた。


「世の中にはね、なんて、本当は存在しないのさ。――少なくともあたしゃそう思っている。不思議な事って言うのはね、人間の頭が『理解できない物』として、無意識に振り分けているに過ぎない……そういう考え方があるんだ」

『ほう……万物法則論か。面白い考え方じゃな』

「えーと……どういう意味?」

「簡単に言うとだね――」


 ――空気がなければ火は燃えないように、全ての物事にはこうあるべしというが存在する。


 超常的な力と言うのは、そのがまだ見つかっていないだけであり。

 それさえ判明すれば他の自然現象と何ら変わらないのだ。


 そこから発展して、この世全ての事柄には何らかの“意味”が備わっており、全ての出来事は一定の法則の元、必然となっている。


 これこそが『万物法則論』という考え。

 そう言ってパレットさんは続ける。


「“魔術”と呼ばれる力がその証明さ。あれは魔法という超常的な力を、解明されている範囲の法則で、擬似的に再現したモノなのさ」

『あくまで一説じゃがな』

「へぇー……」


 ちょっと話が難しくなってきたな……。

 要するに魔法……じゃなくて、魔術は現代科学と同じように、何か原理があるって事なのか……?


 混乱する頭で考えを巡らせる間にも、パレットさんの話は続く。


「大切なのは受け入れる事。できない、わからないと考えを放棄するより、その事実を受け止め、なぜ出来ないのか、どうすれば出来るようになるかを考える。たとえ答えが見つからなくたって、考え続ける事が人生を豊かにするのさ」

「…………」

とは全ての人間に平等に与えられた唯一つの能力スキル。その心意気があれば、いつかあんたを生物としての“高みレベルアップ”へ誘ってくれるだろうさ」

「…………」

『おいシロウ。頭から湯気が出とるぞ』


 キャパオーバーで目を回してる俺に対し、「ちょっとややこしい話だったかね」とパレットさんはバツの悪そうに笑った。


「……と、とりあえず不思議な力にも何か原理があるっていうのは分かった」

『まあそこだけでも理解すれば十分じゃろ』

「だねぇ」


 俺はどうも、こういう学術じみた話は苦手らしい。とりあえず後で要点だけ纏めて自分なりに頭の中で噛み砕いてみるか。


 それにしても――。


「……さっきの話からすると、この占いにも何か原理があるって事ですか?」

「――おっ、さっそく実践してくれたかい。年寄りの長話をきちんと聞いてくれるとは嬉しいねぇ」

「おばあちゃん子ですから」


 そう言うと、「さぞかし立派な御祖母殿に育てられたんだろうね」と、パレットさんは嬉しそうに笑う。


「……さて。占いの話だったね」


 そう言うと。パレットさんは神妙な面持ちで向き直った。

 そのただならぬ様子に、思わず俺も襟を正したくなるほど。


 やがてパレットさんは言葉を選ぶように逡巡した後、その張りのある声を小さく絞り出した。


「――どこから話したものか。……お二人は、【世界の記憶アカシックレコード】というモノを知っているかね?」


 あかしっく……れこーど?


『なんじゃそれは? シロウ、知っておるか?』

「いや……」


 何かのゲームでそれっぽい名前は聞いたことある……。


 ――けど駄目だ、意味までは分からない。


 と言うか、とにかく難しくてややこしい設定の多いゲームだったから、そういうのは殆ど読み飛ばしていたっけ。

 こうなるなら、もっとちゃんとシナリオを読めば良かったか……。


 でもRPGって、スキルやパーティを組み合わせたり、キャラを育てるのが楽しくてやってるから、ストーリーや設定には特に興味ないんだよなぁ……。


「くそぉ……俺にもっとシナリオを楽しむ心があれば――」

『急に意味不明な事を言うでない』


 やばい、考えが逸れてしまった。

 今はパレットさんの話だ。


「そうか……知らないのかね」


 パレットさんはどこか残念そうな様子で呟くと。


 しばしの間をおいて。

 アカシックレコードについて、勿体ぶったような口調で説明を――。


「――実はアタシもよく知らないんだよねぇ」


 ずこー!


『大丈夫かシロウ!? いま凄い勢いで椅子から転がり落ちよったぞ!』

「リアクションが良いね。そういうの嫌いじゃないよ」

「くそ……真面目に聞いて損した」


 したたかに打ち付けたおでこをさすりながら立ち上がる。


 ――ていうか自分でも原理が分かってないのに、よく占いなんて出来るなこの人!


 そんな事を思いながら抗議の目線を送る。

 するとパレットさんは、相変わらず俺の心を見透かしたような様子で、あっけらかんと答えた。


「結局世の中そんなもんさね。ぼうやだって、原理も知らずに使ってる道具とかあるだろう? 考えた所で全部が分かる訳じゃないのさ」


 ……まあ、それはごもっともか。

 確かに俺だって、電気やガスのメカニズムなんてよく知らずに生活してるし。


 大切なのは答えを見つける事より、考える事そのもの……だったっけ?


「とりあえず占いの原理について、分かってる範囲で簡単に言うとだね。『この世界の過去に起こった出来事と、これから未来に起こるであろう事象のイメージ』――それが頭の中にふわっと浮かんでは消えていく。そんな感じさね」

「なるほど……?」


 ――よく分からん。


 まあ要するに、その『占いのイメージ?』がどうして浮かび上がってくるのかは、本人でも分からないって事か。


「そういう事さね。最近は年のせいか、大雑把なイメージしか浮かんでこないもんだから正確に把握する事は出来ないのさ。まあ若い頃みたいに、嫌なイメージを毎日鮮明に浮かばせておくよりは、気楽で良いけどね」

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