電話の向こうの幼馴染

月之影心

電話の向こうの幼馴染

 僕は社正宗やしろまさむね

 親元を離れて暮らす普通の大学2年生。


 僕には幼稚園に入るか入らないかの頃から付き合いのある同い年の幼馴染が居る。


 二本松浩奈にほんまつひろな

 彼女もまた親元を離れ、僕とは別の地域で一人暮らしをして大学に通っている。


 浩奈は特別美人というわけではないが、その愛くるしい顔と少しおっとりした雰囲気に、男なら確実に目が行ってしまうスタイルで、思った以上に人気のある子だった。


 僕と浩奈は実家が隣り同士というのもあり、出会ってから高校卒業までほぼ毎日のように顔を合わせていて、学校が休みの日にはどちらかの部屋で一日過ごす事もあったし、一緒に買い物に行く事もあったくらい仲良くしていたので、高校生の頃の一時期、二人は付き合ってるのではと噂された事もあった。


 だが実際は勿論付き合っておらず、ただの幼馴染以上の関係にはならなかった。








 それ以上になりたいと思っていたのは僕だけかもしれないけど……。








 アルバイトを終えて部屋に戻って玄関を開けると同時にスマホに着信が入った。




 【浩奈】




 僕はすぐに応答をタップした。




「もしもし?」


『まあくん?浩奈です。ご無沙汰。』


「お~久し振りだな。元気?」


『うん。元気だよ。まあくんは?』


「僕も元気。相変わらずだよ。」




 玄関のドアを閉めて鍵をして部屋の奥に入り、荷物を机や椅子に置きながら、スマホを右の耳やら左の耳やらに移し替えて話を続けた。




「急にどうしたの?何かあった?」


『ううん。別に何も無いよ。まあくんとお喋りしたくなっただけ。忙しかった?』


「いいや。今バイトから帰ってきたところだから大丈夫。」


『あ、じゃあ晩ご飯まだなんじゃない?後にしようか?』


「今日はめんどくさかったから外で済ませてきた。だから大丈夫だよ。」




 本当は昼に学食で食べてから何も摂っていない。


 今は僕も浩奈と話がしたい気分だった。




『そうなんだ。良かった。』


「別に気にしなくてもいいのに。それで何を喋りたくなったんだ?」




 その後は他愛の無い会話をしていただけ。


 浩奈が最近部屋の模様替えをしただの、近所の公園の紫陽花が綺麗だの、相変わらずのおっとりとした口調で楽しそうに語ってくれて、それに僕が相槌を打ちながら聞いている感じ。


 小一時間程話をしただろうか。




『あ、そろそろお風呂沸かさなきゃ。』


「うん。分かった。」




 そして浩奈が提案してきた。




『ねぇ。電話しながら一緒にお風呂入ろうよ。』


「え?」


『昔は一緒に入った事もあるんだからいいじゃない。』


「幼稚園の頃とは違うだろ。」


『別に電話なんだから見えるわけでもないし。』


「そりゃそうだけど。」




 とか何とか言いながら、たまにはそれも面白いかもと思い、僕も風呂の準備をする事にした。


 スマホにイヤホンマイクを挿して話を続けつつ、バスタブを洗ってお湯を溜めていった。




『お湯溜まった?』


「うん。もう大丈夫かな。」


『じゃあ入ろう!』




 イヤホン越しに布の擦れる音が小さく聞こえる。


 電話の向こうで浩奈が服を脱いでいるのかと思うと嫌でも気持ちが昂ってくるのだが、そんな事感付かれるわけにはいかないので、努めて平静を装いつつ僕も服を脱いでいった。




『服を脱ぐ音だけ聞くのって何だかエッチだね。』




 敢えて意識しないようにしていた事を、浩奈の方からあっさり言われてしまって少なからず動揺してしまった。




「そ、それはそうと浩奈のその携帯って防水じゃないよな?大丈夫か?」


『一応、食べ物とか入れて保存するビニール袋に入れて口閉めてるよ。』




 考える事は同じようだ。


 僕もスマホをビニール袋に入れてイヤホンマイクを出し、袋の口をジッパーで留めてある。


 まぁ湯船に浸かるくらいなら平気だろう。




《雑学》

 因みに、最近のスマホの防水・防塵性能には等級があって、『IP○○』という表記がされている。

 例えば『IPX8』とか『IP6X』とか。

 『IP』は固定で、その次が『防塵等級0~6』、最後が『防水等級0~8』といった具合。

 数字が大きいほど性能が優れている、と言うか、より過酷な条件でも正常な使用が可能という意味。

 但し、いくら『IPX8』の等級が付いているからと言っても何でもかんでも防水が保証されているわけではない。

 防水テストに関しては『常温の水道水』が基準なので、風呂のように温度が常温では無かったり、消毒液の混入しているプールに持って入る場合などは注意が必要だ。




 電話なので姿は見えないと分かってはいるものの、さすがに浩奈の声が聞こえる状況で風呂に入る為であれ全裸になるというのはどうにも気恥ずかしい。


 お互いに体にお湯を掛けたりスマホを置いたりとドタバタしながら数分。


 一旦湯船に浸かろうと浩奈が言ったので、僕もお湯の中へ体を沈み込ませた。




『ふぅ~!いい湯加減~!』


「こっちはちょっと温かった。」




 暫く『う~』だの『あ~』だの言いながら、体がお湯の温度に馴染むまで会話らしい会話をせずに居た。




『姿は見えないけどこうして一緒にお風呂に入るのも久し振りだねぇ。』


「そうだなぁ……幼稚園の頃以来かな。」


『ねぇねぇ。まあくん彼女は出来た?』


「はあ?」




 浩奈が唐突に話題を変える。




『だって大学生になって1年経ったし、そろそろ居てもおかしくないでしょ?』


「毎日女子の少ない学校と主婦メインのスーパーのバイトの往復なのに彼女なんか出来るわけないだろ。」


『そうなんだ。それは寂しいね。』


「別に彼女作りに大学行ってるわけじゃないんだから寂しくなんかないよ。そういう浩奈は彼氏出来たのか?」




 聞いてから『しまった』と思った。


 もしこれで浩奈が『いるよ』とでも答えられたら、多分僕は落ち込んでしまうに違いない。


 昔から気分が顔だけでなく声色にまで出やすい性質たちなので、電話越しだとしても付き合いの長い浩奈にはあっさり見抜かれてしまうだろう。


 浩奈の顔を見なくなって1年以上経っているが、僕はまだ浩奈と幼馴染以上の関係になりたいという思いは持ち続けている。


 だが、杞憂だったようだ。




『聞いて喜べ。浩奈ちゃんは未だフリーですよ!』




 おどけたような浩奈の声を聞いて、内心ほっとしている自分が居た。


 やっぱり僕は、ずっと浩奈の事が好きなようだ。


 電話のスピーカーからはパチャパチャと水の跳ねる音が不定期に聞こえてくる。




『しかも今なら!珠の様な肌がおまけに付いてきてお値段据え置き!』




 浩奈はきゃっきゃとはしゃぎながら、下手なテレビショッピングのような口調で自分を売り込んでいた。




「何?浩奈は僕と付き合いたいの?」


『そういう質問にはお答え致しかねますぅ~。』


「ぐっ……!対応の悪いオペレーターだなぁ。」




 浩奈のに付き合いつつ、僕の方から『付き合いたい』と言って良いものかどうか逡巡していた。


 浩奈と付き合えるのには何も問題は無いどころか、そんな嬉しい事は無い。


 だが、もし浩奈にそんなつもりが無かったなら、今まで親しい幼馴染として長年過ごして来た今の関係が壊れてしまう事になる。


 それならば、今まで通りくだらない話をしたり、今日のように他の誰ともやらないような事を一緒に楽しんだり出来る方がよっぽどいい。




「けどさ。僕と浩奈が付き合うって何か不思議な感じしないか?」


『不思議?』


「うん。高校の頃なんか周りから散々『付き合ってんじゃないのか?』って言われて、当事者は全くそんなつもり無くて否定してたのに……って思うとさ。」




 電話の向こう側がしんと静まる。


 僕の話を聞く事に集中してくれているのだろうかと思ったがそうでは無かったようだ。




『私は一度も否定した事無いよ?』




 やけにあっさりした声で浩奈が言う。




「え?」


『もぉ……やっぱりまあくんは鈍いなぁ。』


「え?どういう事?」




 浩奈の言っている事がイマイチ理解出来ずに言葉を詰まらせてしまっていると、スピーカーからバシャバシャと水の波打つ音が聞こえてきた。


 浩奈がバスタブの中で姿勢を大きく変えたのだろうか。




『あのね。いい機会だから言っておくよ。』


「う、うん……?」


『まあくんは感情がすぐ顔だけじゃなく声にも態度にも出るんだよ。』


「それは……分かってる……」


『つまり、まあくんが私をどう思っているかも出てるんだよ。』


「ぅぐ……」




 バレバレって事?




『でもまあくんは言葉にしないでしょ?』


「まぁ……うん……」


『それどころか思ってる事の逆の態度取っちゃったり。』


「うぅ……」




 思った以上に浩奈は僕の事を見抜いているようだ。


 小さくちゃぷちゃぷという音が聞こえる。




『私は悲しかったなぁ。』


「悲しかった?」


『だってあの時まあくんが否定するから、まあくんが私の事が好きなんだろうなぁって思ってた事も否定されたと思ったんだから。』


「それは申し訳……んん?」


『何よ?』


「え?浩奈って僕と付き合ってもいいって思ってるの?」




 ついド直球で訊いてしまった。




『だから鈍いって言ってんのよ。』


「え……いつから……?」


『もうずぅ~っと前からよ。本当に鈍いわね。』




 別に鋭いとは全く思っていないので構わないとは思っていたけど、さすがに連呼されると胃が痛くなってくる。




「あ、あんまり鈍い鈍い言わないでくれ。自覚はしてるから。」


『なら、今何を言うべきか分かるよね?』


「え?今なの?」


『今じゃなければいつなのよ?』


「あ、はい……」




 僕は小さく咳払いをしてマイクを指で持って口元に近付けて言った。




「浩奈、僕は浩奈が好きだ。僕の彼女になって欲しい。」




 電話口からは、ぱちゃぱちゃとお湯の音が聞こえてきていた。


 僕は目を閉じたまま、浩奈の言葉を待っていた。
















『え~だって遠距離になるしぃ~』




「おいぃぃぃ!!!」








 その後、恋愛談義に花を咲かせつつ、たっぷり2時間程話をして電話を切った。




 二人仲良く湯冷めをしたと知ったのは、休みを合わせて帰省し、浩奈と話をした時だった。

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