ch.6 決着

 ◆


 トゥトゥはよろよろと海岸線を歩いていた。

 カヌーの材料を探しているのである。

 この際、丸太を削っただけの舟でも構わない。

 生き延びるための賭けに勝つ方法としては、どうにか島を脱出して他の海龍のテリトリーに抜けるというのが、真正面から殴り合うよりはまだいいように思われた。

 白い魚龍には難題を押し付けておいたから、多分しばらく戻って来ない。

 あの魚龍は、龍とセムタムの間にある約束を破っている。

 <挑みの儀>を無視してセムタムを害したならば、その加害者は龍とセムタムによって罰せられなくてはならない。

 問題は、いつその懲罰が下されるのかだ。

 生きていなくては意味がないのである。

 トゥトゥは、俺は鮫なら食ってもいい、と言った。

 ハナハイ島あたりの鮫の管轄が別の海龍なのをトゥトゥは知っていたし、だから白い魚龍が鮫を引き連れていた時にはびっくりした。

 白い魚龍が自分の取り巻き以外の鮫を捕獲してくるには、他の海龍のテリトリーを侵さなければならないだろう。

 喧嘩になれば、足止めに役立つ。

 その間に逃げる。

 程よいサイズの丸太になりそうなホピの木を見つけたので、トゥトゥは黄金色の剣を抜いて打ちかかった。

 それ以外に何も持っていなかったからである。

 剣はホピの木の幹に軽々と弾かれて、トゥトゥは地面にすっ転がった。

 万全の状態であれば違う結果になったのであろうが、あいにくと重傷者である。

 いかに体力自慢といえど無理なものは無理。

 起き上がったトゥトゥは大型の獣のように体を震わせて砂を払い落とした。

 赤い髪が火花の如く舞い踊る。

「役立たずの棒かてめえ」

 と、トゥトゥが黄金色の剣を投げ捨てると、真っ青な晴天だというのに、ホピの木に雷が駆け下った。

 口をあんぐりと開けて、焦げたホピの木が後ろに傾いで倒れていくのを見送る。

「その愚かな言葉は己に向けておくがいい」

 はっと右を見ると、横にこの世ならざる容貌の青年が立っていた。

 金色の髪、険のある赤い瞳、そこに入った黒い縦線。

 トゥトゥはそれが誰であるか、よく知っている。

「アララフ―――」

 赤い瞳がぎらりと光った。

 トゥトゥの周囲でばちっと放電の音が鳴り響く。

「その名で呼ぶのは侮辱だと知っておるだろうが、下郎」

 輝ける青年と変化した<黄金の王>アララファルは転がっていた剣を拾い上げた。

 そしてトゥトゥに突き出す。

「挑みの儀」

「何」

「態度を改めろと言うておろうが!」

 その怒声に合わせて周囲の白砂が舞い上がり、トゥトゥを打ち据えた。

「あの女は挑みの儀を執り行った」

 けほけほと口に入った砂を吐き出しながら

「ドクが!?」

 トゥトゥは<黄金の王>に食ってかかる。

 <黄金の王>は愉快なものを見るように目を細めた。

「お前より余程に根性が据わっておる。イムサプルパに食ってかかるとはな」

「無茶だ。ヌーナは止めなかったのか」

 とトゥトゥ。

「<黄金の王>よ、頼む。やめさせてくれ。ドクが死んじまう!」

 電光石火の速さで<黄金の王>はトゥトゥの頬をはたいた。

「どこまでも愚かな。決闘はすでに始まっている」

 <黄金の王>はついと顔を上げて海を見る。

 トゥトゥも頬を押さえながら同じ方向を見る。

 彼方に―――

「まさかドク」

 ―――白い、冗談のように小さな点があった。

「それでもお前はこの島から逃げようというのか」

 トゥトゥは黄金色の剣を抱えて走り出した。

 胸の傷が開こうとしている。

 それでも構わない。

 砂浜を蹴りたてて走る。

 あれはカヌーの帆だ。

 トゥトゥは沖に向かって、アムの名を叫んだ。

 俺はここにいる、ドク!

 あんたが戦うなら、俺は逃げない。


 ◆


 風はぐんぐんとカヌーを運んだ。

 島影が近づいてくる。

 慎重に舵を切って上陸点を探す。

 その間、アムは何度も後ろを振り返った。

 幸いなことにイムサプルパの姿は見えない。

 それでもまだ、アムは気を揉んでいた。

 この風は<黄金の王>からの天恵だろうが、気まぐれな龍のこと、いつぱったりと止むか分かったものではない。

 それに島から脱出するときは逆風になるのだ。

 腕のように突き出た岬を回ると、一面の砂浜が見えた。

 アムは、はっとして立ちつくす。

 見間違いようが無かった。

 あわただしく帆を閉じて減速する。

 砂浜に乗り上げないように、カヌーを横付けした。

「トゥトゥ、迎えに来たわ!」

 トゥトゥは信じられないものを見た面持ちで、浅瀬を歩いてきて

「本当に来るなんてな。大したもんだぜ」

 アムに向かってセムタム式の敬礼をした。

 痛々しい傷が胸に刻まれていることを、そこでアムははっきりと認識する。

「ちょっとトゥトゥ。あなたすごい怪我してるじゃない」

「大したことない」

 浮き木に足をかけて、トゥトゥがカヌーに這い上がる。

 一日で随分とやつれた。

 それでも生きている。

 アムは泣くまいとして変てこな顔になった。

 トゥトゥの大きな手が、おずおずとアムの頭を撫でた。

「さあ船長、今からどうするんだい」

 そこでアムは我に返る

 行かなきゃ。

「トゥトゥ、帆を上げるの手伝って。全速で島を回って抜けるから」

「ほいきたドク―――」

 カヌーが空を舞った。

 咆哮が泡になって砂浜を沸騰させる。

 奇襲に耐えるすべなくカヌーから振り落とされ、砂浜に転がったのふたり前に、イムサプルパの牙があった。

 トゥトゥは剣を抜く。

 腕の中でアムはぐったりと気絶していた。

 イムサプルパはがちがちと牙を打ち鳴らし、その口角から泡が噴き出る。

 泡は、その雌を殺したい、と言っていた。

 私たちの邪魔をする、殺したい殺したい殺したい。

「悪いがな、俺は手前のとこなんかにゃ行かねえよ」

 トゥトゥはイムサプルパの鼻先に剣を突き付けて、上位捕食者の如く喉の奥で唸る。

 イムサプルパは戸惑ったようだった。

 <何故、何故、何故>

 先ほどよりも、か細く小さな泡が言う。

「何故?そんなもん決まってらあ。俺は仲間を傷つけるやつは大嫌いだ」

 イムサプルパの泡が絶叫した。

 トゥトゥは鼓膜が破れるかと思ったが、耳は塞がない。

 アムが腕から落ちてしまう。

 駄々をこねるようにイムサプルパが頭を振ると、どんどんどんどん泡が噴き出す。

 泡の音は<何故>の一色に染め上げられている。

 トゥトゥは閉口した。

 だから俺は女と付き合うのは苦手なんだったら。

 その泡の上に、

「諦めろイムサプルパ。浮かれたいのであれば、千年は格を練ってからやれ」

 <黄金の王>の心地よい低音の声が注がれた。

 イムサプルパはぴたりと首振りを止め、<黄金の王>を凝視する。

 それからやたらと可愛らしく、まるで少女のように小首を傾げた(首は無いがそういうニュアンスの仕草をした)。

「分かったなら……」

 と<黄金の王>が言うと、イムサプルパの口から控えめに泡が飛ぶ。

 ふわりと漂ってきた泡は今までの泡とは違って、何故か桃色をしていた。

 泡を<黄金の王>が突き崩すと、中に込められていた言葉が天地に響き渡った。

 それはこうである。

「千年頑張ったら、あなたに告白してもいいですか?」

 すごくタイプ、という続きの言葉を<黄金の王>は風を吹かせて散らした。

「その言葉、一億年は口にするでない!」

 神鳴りの轟音を伴って<黄金の王>は本来の龍体に舞い戻り、イムサプルパを片手でむんずと掴むや、高々と空に駆け上がった。

 後々振り返っても、この時の<黄金の王>の慄いた顔はなかなかの見ものだったとトゥトゥは思っている。

 カヌーは幸いにも壊れていなかったし、浅瀬に浮いていた。

 アムをそっと船底に横たえると、トゥトゥは砂浜に乗り上げていた浮き木を力いっぱい押し出して、帰途の第一歩を白砂に記す。

 浅瀬の泡の中には

「母者にままごとでもしてもらえ!」

 という<黄金の王>アララファルが天空で吐き散らしたと思われる言葉が封じられていた。


 

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