第27話 在庫危機

 ある日の閉店後。


「あ、マスター! もうタリスカーなくなっちゃいそうですよ!」


 ボトルをカウンターから陳列棚に戻しているアーリアがそう口にした。


 見ると、確かに残り3分の1ほどしかない。

 もうストックもなかったはずだ。


「あ、ほんとだね。よし! それじゃあ発注しないと!」


 雫は引き出しの中から紙を一枚取り、ペンを持ってカウンター席に腰を下ろした。


(まさか発注をする日が来るなんて。嬉しいな)


<バー ドロップ>を開店する際、雫は目測を誤ってメジャーな銘柄は各3本・その他余程マイナーな酒以外は2本ずつと、大量に酒を仕入れた。

 余裕を持ってとの判断だったが、それでも余りにも過剰すぎる上に、蓋を開けば客など全くといっていいほど来なかった。


 なのでオープンして以来、酒を発注することなんか一度たりともなかったが、とうとうその時が訪れてくれた。

 それはドロップが繁盛しているという証拠。嬉しくない訳がない。


「ビビアンさんは沢山飲んでいってくれるから、タリスカーは2本頼んでおこっかな! それとグレンフィディックも要るよね。後は……」


 雫はついニヤニヤとしながら、発注書に数字を書いていく。

 その様子をアーリアは不思議そうな顔を浮かべて、口を開いた。


「あの、マスター。頼むって一体どこに?」

「ん? そんなの酒屋さんに決まって……」


 雫は言葉を詰まらせ、そのままピタリと硬直した。

 直後、シーンとした店内に手元から滑り落ちたペンが床とぶつかる音だけが響いた。


 そう、気付いてしまったのだ。


 ここは異世界。酒屋どころか、洋酒そのものが存在しない。

 故に酒を入手することはできないということに。


 これまで酒を発注する習慣がなく、その上でフルーツや炭酸水などの材料を普通に入手できていたため、そのことをすっかり忘れてしまっていた。


「ま、マスター……?」


 放心状態の雫に、心配そうにアーリアが声を掛ける。

 その瞬間、雫はハッと正気に戻るも、事態の深刻さに改めて気付いて頭を抱えた。


(ヤバいヤバいヤバいヤバい。どうしよう……えっ? どうすればいいんだ?)


 酒がなくなれば、せっかく楽しみにしてくれている客達をガッカリさせてしまう。

 それに伴い、売り上げも当然減るだろう。


 そうなれば生活していけなくなるし、アーリアも雇ってあげられない。


 一応、タリスカー以外はまだそこそこ在庫があるため、すぐにそうなるという訳ではないものの、それもいつかは尽きてしまう。

 その前に何か手を打たなければならないが、その方法が雫には思い浮かばなかった。


「マスター、大丈夫ですか……?」

「あ、アーリアちゃん……。僕は大バカ者だ。こんなに重要なことを忘れていたなんて……」

「……一体、どうしたんですか?」

「実は――」


 雫は在庫には限りがあり、それが尽きたらもう入手できないという旨を伝えた。

 それをアーリアは真剣な表情を浮かべながら聞き、やがて口を開いた。


「なるほど。そのことなら、もしかしたら何とかなるかもしれませんよ!」

「……えっ?」


 項垂うなだれていた雫がガバっと顔を上げる。

 この状況を何とかできるとは到底思えないが、そう言うからにはあるいは……。


「マスターは調合師って知ってますか?」

「いや、初めて聞いたかな……」

「調合師っていうのはですね――」


 調合師とは、魔法で材料を混ぜ合わせることで薬などを作る人達を指す。

 冒険者には欠かせない治癒ポーションや解毒ポーションなどは、全て彼らが製造しているものだ。


 そして、その調合師の中でも希代の天才と名高いのが、メルヘイムという高齢の男性。

 彼は調合技術もさることながら、精度の高い鑑定魔法を使える。

 それにより、滅多に手に入らない貴重なポーションの原材料を割り出し、量産に成功したという輝かしい実績を残している。


 こういった内容のことをアーリアが説明したところで、雫は彼女が言いたいことに気が付いた。


「それってつまり、お酒を作れるってこと……?」

「はい! あ、もちろん、全く同じものって訳にはいかないと思いますけど。ただ、一つ問題があってですね……」

「な、なに?」

「その、かなり偏屈というか……。調合をお願いしても、ほとんど受け入れてもらえないことで有名なんです。何でも、陛下の依頼ですら一言で断ったとかで」


 アーリアは雫が頼んだところで断られると言いたいのだろう。

 しかし、この状況を何とかできる唯一の解決策である以上、ここで諦める訳にはいかない。


 雫は一縷いちるの望みを掛け、直接会って頼み込んでみることにした。


「わかった、教えてくれてありがとう! 無理を承知で明日、営業前にお願いしに行ってみるよ!」

「……そうですか。わかりました! それなら私もお供します!」

「え、いいの?」

「はい、もちろん! 私がメルヘイムさんのところまでご案内します!」

「あ、ありがとう! 助かるよ! それじゃあ――」


 その後、朝9時に店で待ち合わせすることを話し、二人は解散した。



 ☆



 翌朝。


 雫は諸々の準備を済ませ、待ち合わせ時間丁度に店へ。

 そこでアーリアと合流し、空きボトルに少しだけ移したタリスカーと大量の金貨をバッグに詰めてから店を出た。


 それからメルヘイムのことについて、色々と聞きながら歩くこと数十分。

 ある古びた大きな建物の前で、アーリアは足を止めた。


「ここですっ!」

「……よし、それじゃあ行こう!」


 大きく深呼吸をしてから、雫は建物の中に足を踏み入れた。


 すると、まず目に入ったのは所狭しと並べられたガラス製の道具と、色とりどりの液体が入っている瓶。

 少し暗く、ごちゃごちゃと散らかっていることに目を瞑れば、立派な研究施設だ。


 そのまま、奥に向かって歩いていくと緑色のローブを着た人物が一人、入口に背を向けて立っていた。


「あ、あの、すみませ――」

「断る。さっさと出ていけ」


 雫は勇気を出して話し掛けるも、すぐに言葉を遮られて背中越しに断られてしまった。


 どうやら噂通りの人物のようだ。

 しかし、雫もここで引き下がる訳にはいかない。


「お願いします、どうか話だけでも聞いてください!」

「メルヘイムさん、お願いします! このお酒を作れるのはメルヘイムさんしか居ないんです!」

「酒……じゃと?」


 アーリアの言葉に反応したのか、そのローブを着た人物はゆっくりと二人のほうへ振り返った。


 長い年月を生きてきたことに伴う、深く刻まれたシワ。

 しかし、それでも老いによる衰えを全く感じさせない鋭い眼光。

 加えて、立派な口髭と顎髭をたくわえたご尊老の姿が明らかになった。


「は、はい! お酒を作ってほしいんです!」


 メルヘイムの問いかけに、雫が気持ちを込めて答える。

 すると、彼はワッハッハと大きく笑い出した。


「これは驚いた! まさか、このワシに酒を作れと言うとはな。愉快じゃ愉快じゃ!」

「じゃ、じゃあ!」


 雫は顔を明るくさせ、確認を取る。

 しかし、メルヘイムは途端に顔を険しくさせ、冷たく言い放った。


「今すぐ帰れ。さすれば、今回のワシに対する愚弄ぐろうは見逃してやろう」

「……え?」

「聞こえなかったかのう? 今すぐ帰れと言っておるんじゃ。その風貌からしてお主は迷い人。それならばワシのことを知らないのも無理はない。だから今回だけは見逃してやると言っておるんじゃ」


 どうやら怒らせてしまったようだ。


「ま、マスター。か、帰りましょう!」


 そんなメルヘイムの様子に、アーリアは戸惑いながら雫に言うことを聞くよう促してきた。


 しかし、ここで「はい、そうですか」と諦められる訳がない。

 何せ、自分とアーリアの生活。それにドロップに来てくれる客達の笑顔が掛かっているのだから。


 雫はアーリアの言葉を無視し、両膝を折って頭を地面に擦りつけた。

 日本人の必殺技、土下座である。


「失礼を承知でお願いします! どうかお酒を一度飲んでから判断しては頂けないでしょうか! それとお金は可能な限り払います! ですから、何卒、何卒お願いします!」


 気持ちを込めてそう言うと、上から溜め息が聞こえてくる。


「……そこまで言うなら飲んでやろう。話はそれからじゃ」


 あまりにも惨めな姿に同情したのか、メルヘイムは雫の頼みを聞き入れた。

 まだ、ただ酒を飲むというだけに過ぎないが。


「あ、ありがとうございます! では、これを!」


 雫はバッグの中からタリスカーを少しだけ入れたボトルを取り出し、キャップを外してからメルヘイムに手渡した。


 彼は琥珀色の液体を一瞥してから、口に運んでゆっくりとボトルを傾ける。

 その瞬間、目が大きく見開かれた。


「これは……」


 言葉をこぼした後、メルヘイムはボトルを掲げ、様々な角度から中の液体をまじまじと見つめる。


 そうして、時折「ほお」だの「ふむ」だのと言葉を漏らしては、中の酒をちびりと口に含むのを繰り返すことしばし。


「……これはどこで手に入れたのじゃ?」


 メルヘイムは眉間に皺を寄せながら雫に尋ねる。


「あ、あの、それは僕が元居た世界のお酒でして。その、お店ごと、こちらの世界に転移してきたので……」


 雫は焦りながら答える。

 すると、メルヘイムは唐突に机に向かい、ペンを持って手を動かし始めた。


 そんな彼の背中を雫とアーリアが心配そうに見つめることしばらく。

 メルヘイムは席を立って紙を差し出してきた。

 

「……冒険者にでも依頼して、これを持って来させるのじゃ」

「もしかして……作って頂けるんですか?」

「いいじゃろう。これは久々に楽しめそうじゃ!」


 その言葉を聞いて、雫とアーリアは顔を見合わせる。

 直後、二人とも笑顔を浮かべ、メルヘイムに向かって深く頭を下げた。


「「ありがとうございます!!」」

「うむ。ただし、さすがのワシでもすぐにとはいかん。材料を寄越してもらってから、そうじゃなあ……三日程度はもらうぞ」

「は、はい! 全く問題ありません! よろしくお願いします!」


 それから雫とアーリアは建物を出て、再び顔を見合わせる。


「アーリアちゃん、メルヘイムさん作ってくれるって!」

「ですね! まさか、あのメルヘイムさんが引き受けてくれるなんて! これは奇跡ですよっ!」

「はあ、本当によかったぁ。あ、それで必要な物って……」


 ひとしきり喜んだ後、雫は受け取った紙に視線を落とした。

 も、当然何が書いてあるかはわからない。


「ごめん、アーリアちゃん。これ……」

「あ、はい! ……ふむふむ、なるほど。これならギルドに依頼を出せば、すぐに集めてもらえそうです!」

「そっか、よかった! じゃあ、早速!」

「はい、今から行きましょう!」


 二人は依頼を出すため、冒険者ギルドに向かって歩みを進めた。

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