第17話 刺激的な一日

 翌々日の朝のこと。


「ただいまー、ふぅ……」

「あ、おかえりなさいっ! 場所わかりました?」


 店に入った雫に、カウンターの中からアーリアが声を掛けた。


「うん、おかげさまで! ほらっ!」


 雫は言いながら、革製の大きなバッグを突き出す。


「おお、よかったです! お疲れ様でした!」

「アーリアちゃんも掃除ありがとね! 次はこれを絞ってもらえるかな?」


 雫はバッグの中から次々に果物を取り出し、カウンターに置いていく。

 そう、今日は在庫が少なくなってきていたため、異世界に来てから初の買い出しに出掛けていたのだ。


「わかりました!」

「うん、よろしくね! あ、その目の前にあるのが果物を絞る道具なんだけど、使い方わかる?」

「はい、似たようなのはこの国にもあるので!」

「そっか! それならよかった。ナイフはそこにあるのを使ってね」


 雫はアーリアに果物絞りを任せ、自分はバックヤードへと入った。

 そこでバッグから数々の瓶を取り出し、棚に並べていく。


(これでよしっと。ふぅ、本当に材料があってよかった)


 目の前に並べられた炭酸水やトニックウォーターを見ながら、雫はほっと胸を撫で下ろした。


 以前ビビアンが言っていた通り、バーで必要な物はこの異世界でも揃えられた。

 これで一安心だ。


 その後、雫はアーリアと一緒に果物を絞ることに。

 そうして全てを終えた頃、時計を見ると針は12時半を少し回っていた。


「少し早いけど、もう開けちゃおうか!」

「はい! じゃあ私、ランプ付けてきますね!」


 アーリアはそう言って、一旦外に出てからすぐに戻ってくる。

 これにて営業開始だ。


「よし、それじゃあアーリアちゃん! 今日もお客さんが来るまで勉強しよっか!」

「はい、お願いします!」


 一昨日はビビアンとゴンズが愛飲しているウイスキーと、営業後にカクテルの概要について。

 昨日は四大スピリッツ――ジン・ウォッカ・ラム・テキーラについて説明した。


(じゃあ、今日はよく使うリキュールについて教えようかな)


 雫がまず手に取ったのはカシスリキュール。

 カクテル作りには欠かせない、甘々とした味わいのリキュールだ。


 それを細長いコリンズグラスにほんの少しだけ入れ、少量の炭酸水を加えてバースプーンで軽く混ぜる。


「これはリキュールっていう種類のお酒でね。その中の一つがこのカシスリキュール。はい、アーリアちゃん」


 雫はそう簡単に説明してからグラスを彼女に手渡す。


「ありがとうございます! では……頂きます!」


 アーリアはそれを受け取るとゆっくり口に運び、目を閉じながらグラスを傾けた。


「――美味しい! すっごく甘くて……私っ、これ好きです!」

「それはよかった! どんな材料で割っても美味しく飲める万能なお酒だから、ぜひ覚えておいて!」

「はい! カシスリキュールは万能なお酒……覚えましたっ!」

「うんうん。じゃあ次は――」


 それから雫はカンパリとカルーアについて説明。

 続いてライチリキュールについての説明に入ろうとしたところで、店の扉が開かれた。


「あっ! いらっしゃいま……せ……」

「いらっしゃ……えっ?」


 挨拶を口にした二人は、揃って言葉を詰まらせた。

 そこに立っていたのは、このニーログーネ王国の王――ノザンチ・ニーログーネと王妃――リパンカ・ニーログーネ。


 突然王が来ただけでも十分に驚いたが、雫が言葉をなくしたのは別の理由によるもの。


 それは――


「へ、陛下……? そのお姿は一体どうされたんですか……?」


 何故か二人ともTシャツにハーフパンツの姿だったためだ。

 その上、王は長い顎髭あごひげをリボンで可愛く結び、黒い丸眼鏡を掛けている。

 一方の王妃は、ボンネットに片眼鏡モノクルを着用。


 あまりにもラフ過ぎて、とても王族がするファッションではない。


「おや、シズクには気付かれてしまったか。ビビアンといい、迷い人にはすぐ見破られてしまうな」

「そうですね。一体なぜでしょう……」


 雫の問いかけには答えず、王と王妃は不思議そうな表情を浮かべる。

 そんな二人の様子に雫も首を傾けていると、


「へ、陛下と殿下でしたか! 私、全く気が付きませんでしたっ! こ、こちらへどうぞ!」


 アーリアが慌てふためきながら、二人をカウンターに案内した。


「ほっほっほっ。そうだろう、そうだろう。では失礼するぞ」

「お邪魔させて頂きますね」


 すると、王と王妃は満足そうな表情を浮かべ、カウンター席に腰を下ろした。


 よくわからないが、酒を飲みに来てくれたことだけは確かだ。

 なので雫は疑問が残りつつも、注文を取ることにした。


「よ、ようこそ! またお越し頂けて光栄です! 今日はどうされますか?」

「うむ! もう知られてしまったから言うが、先日飲ませてもらった王の酒をもう一度くれ!」

「私もこの前のと同じものをお願いいたします」

「かしこまりました、マティーニとスイートマティーニですね。少々お待ちください!」


 雫はミキシンググラスを用意し、慣れた手つきで作業を始めた。

 

「それで、そなたは一体?」


 声に反応して顔を上げると、王の視線はアーリアに向けられている。

 自分に対してではないとわかったことで、雫は手元に視線を落としてカクテル作りを再開した。


「わ、私はアーリアと申します! 先日こちらで雇ってもらったんです」

「ほう、そうだったか! アーリアだな、覚えておこう。それでアーリアよ、ワシらのことだが……」

「はい、わかってます! ノーザンさんとリーパさんの正体が陛下と殿下だったってことは、誰にも言いません! お約束します!」

「うむ、よろしく頼むぞ!」


 そんな会話が聞こえてきてからしばし。

 

「お待たせいたしました! マティーニとスイートマティーニです」


 カクテルを作り終わった雫は二人にグラスを差し出し、目の前で注ぎ入れた。


「うむ! では、頂くとしよう」

「ええ、頂戴しますね」


 王と王妃はグラスを静かに打ち付け、口へと運ぶ。


「美味い! やはりこの酒はたまらんな!」

「ですね。本当に美味しいです。我慢した甲斐がありました」


 嬉しそうに感想を言い合う二人を見て、雫は頬を緩める。

 その後、王と王妃が二人で話し出したのを確認したところで、ミキシンググラスを洗っているアーリアに気になっていたことを耳打ちして尋ねた。


「ねえ、アーリアちゃん。よくわからないんだけど、これってどういう状況……?」

「あの、陛下達はあれで変装しているつもりなんです……。街に出る時はノーザンとリーパという、別人を装っているみたいで」

「……変装?」


 市井しせいに出る際、民がパニックにならないようにと正体を隠そうとするのはわかる。

 確かにそうしたほうがいいだろう。


 しかし、目の前に居るのはどこからどう見ても王と王妃だ。

 これでは変装になっていない。


「はい。本人達はバレていないと思っているみたいなので、私達国民は気付かない振りをしているんです……。なので、マスターも他にお客さんが居る時はその……」


(なるほど……暗黙の了解ってやつね)


「わかった、ありがとね!」


 諸々合点がいった雫は姿勢を正し、アーリアが洗ってくれた道具を丁寧にタオルで拭く。


「そういえばシズクよ――」


 その後、王から振られた話に答えたり、お代わりを作ったりしていると、再び店の扉が開かれた。



「「いらっしゃいませ!」」

「よう、マスター……って、へ、陛――」

「あ、ゴンズさん!! 今日は早いですねー!!」


 ゴンズの言葉をかき消すように、アーリアが大きな声を上げる。


「お……おう! 依頼が早く片付いてな!」


 それで察したのか、ゴンズはぎこちなくそう言いながらカウンター席に座った。


「やあ、ゴンズ殿。久方ぶりですな。いつもご苦労なことで」

「ノ、ノーザンさんではありませんか! お、お、お久しぶりです。お元気そうで何より……」


 直後、ゴンズに王がノーザンなる人物を装って話しかける。

 対するゴンズは明らかに動揺しながらも、その茶番に付き合った。


 そんな光景に雫とアーリアは苦笑いしつつ、注文を伺う。


「あ、ああ。いつもので頼む……」


 その後、王と王妃は二人だけの世界に入ったようで、緊張から解放されたゴンズは深い溜め息を吐いた。



 それから雫とアーリアがゴンズと話していると、再び新たな客がやってくる。

 その度に王と王妃が居ることに驚き、緊張した様子を見せるものの、やがて二人が純粋に酒をたのしんでいることがわかると後はいつも通りだ。



 こうして、<バー ドロップ>は普段とは少し雰囲気が違いながらも、変わらず平和な時間が流れていくのであった。

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