発酵床の作り方
残暑も穏やかになってきた今日この頃。俺は庭先で木材を組付けていた。
今作っているのは鶏小屋だ。先日家族が増えたからね。さすがにずっとゲージのままでは可哀想だから小屋を作ってやろう、ってなわけだ。
まだ小屋は完成していないものの、庭にはあれから追加で手を加えた。
まずは庭を覆っていた柵だ。烏骨鶏が侵入してきたという事もあり、小動物に対する防御力が皆無だったので柵の低い位置にネットを設置して侵入できないようにした。これで大半の動物の侵入を防ぐことが出来るだろう。空を飛べる動物は無理だけど。
そして次に今烏骨鶏達が入っているゲージだ。ゲージもある程度の隙間があるので全面をネットで覆った。これに関しては柵にネットを張った際に結構余りが出てしまったのでおまけ程度だ。とはいえ、これで蛇やハクビシンなど、烏骨鶏に対して害を与える動物の侵入を防ぐことが出来るだろう。まぁ、今小屋を作っているから出来上がり次第お役御免になってしまうがね。
他は……特に変わり無しだな。畑のジャガイモが芽を出して成長したくらいだ。とはいえ、ジャガイモの成長速度は早いな。ぐんぐんと芽を伸ばしてどんどんと葉を茂らせている。収穫時期はまだ先だが、今から楽しみだ。
さて、鶏小屋だが……今までに庭を囲う柵やクロエの住む小屋を作った経験から得た要領で、存外簡単に組み立てる事が出来ている。
あ、ちなみにこういった作業をするときに常にいたサクラコは現在学校だ。今日は平日だからね。学生はしっかり勉学に励みなさい。
そうこうしている間に、鶏小屋の組み立てが終わった。後は目の細かい金網を鶏小屋の周りに取り付ければ終わりだ。
「うぅむ、結構切るの大変だな……」
金切り鋏で鶏小屋に合った形状に金網を切っているが、これがなかなか難しい。金網じゃなくて、加工の簡単な網戸のネットにすればよかった。ただまぁ、金網のほうが強度に優れているから長い目で見れば網戸のネットに比べて遙かに良いんだろうけど。
「結構、握力使うんだよなぁ。でも、これ、でっ……!」
バチンと軽快な音を鳴らしながら金網を切る。ひとまずは、鶏小屋の形に切り終わった。あとはこれを周囲に取り付けて作業終了だ。
「……終わったぁぁぁ」
俺は地面に寝転がり作業終了の悦に浸った。
「何してるの?」
突然現れたサクラコが、地面に寝転がる俺の顔を覗き込むように問いかけてきた。
「おー、サクラコかー。学校終わったのか―?」
「うん、終わったから来たよー」
今は15時過ぎ、小学校の授業であれば終わっているものだろう。
「それで、孝文は転がって何してるの?」
「ほらそれ。鶏小屋が完成したから嬉しさのあまり寝転がりながら突っ伏してたってわけよ」
鶏小屋を指さしながらサクラコに言う。
「わぁ、すごいね!これ作ったの!?」
サクラコは鶏小屋の周りをグルグルと回りながらそう言った。
「おー、作ったぞー。この後クロエの小屋の横に設置するんだけど、その前に設置場所に”発酵床”を作ってみようと思ってるんだ」
「発酵床?」
「腐葉土とか米ぬかとかを混ぜて土を発酵させるんだ」
「発酵って何?」
おぉー、発酵って何、か……なかなか難しい事を聞いてくれるな。俺も詳しくは知らないんだけどなぁ……
「いいかー、サクラコ。この世界にはな、微生物って言う目には見えないほど小さな生き物も暮らしているんだよ。その微生物はな、この世界の色んなものを分解して、細かくして他の生き物にとって良いものに変えてくれるんだよ」
「へぇー、微生物さんって凄いんだね!」
「だから、鶏小屋の床を発酵床にすれば臭い匂いもしにくくなるし、飼う上でもとても都合よくなるんだよ」
「へぇー!」
ひとまず、これで好奇心旺盛なサクラコの疑問は納得してくれたかな。
「ほら、これから材料は揃えてるから発酵床作るぞ。ランドセル置いてきなさい」
「はぁーい」
サクラコは駆け足で家に走っていくと、庭側に設置された大開の窓から室内にランドセルを放り投げて戻ってきた。
「……サクラコ、ランドセルは投げないで丁寧に置きなさい」
「えー、投げたほうが早いのにぃ」
「はぁ……次から気を付けるんだぞ。さぁ、作業をするぞー」
「あいっ!」
俺とサクラコは協力して鶏小屋の設置予定地に事前に用意していた腐葉土と米ぬかを運んだ。
「さぁ、作業を始めるぞー。まずは設置予定地の土を耕して柔らかくするぞ」
「スコップで掘ればいいの?」
「そうだな。サクラコに鍬は大きすぎるし重すぎるだろうからな。掘った土は一箇所に纏めて山でも作っててくれ。クロエと烏骨鶏達の遊び場になるだろ」
「あいっ!」
俺達は作業を開始し、ザックザックと土を掘り返して柔らかくしていく。なんだか、土が硬く感じるな。
「孝文、土かたーい」
「そうだなぁ……クロエがそこら中を走り回るから押し固められたのかもな」
烏骨鶏達がそこら中をついばんでほじくり返されていそうなものだが、まだここに来て日が浅いから本調子じゃないのかもしれないからな。とはいえ、土が硬くて掘り返せない程では無い。現にサクラコの力でもスコップで掘り返せているから別段作業が滞っているわけじゃないからな。
「どれくらい掘ればいいの?」
「あー、まぁ、このくらいで大丈夫だと思うよ。後は腐葉土と米ぬかを混ぜて攪拌させるだけだし」
現在土は鶏小屋の設置予定地をスコップの掘る部分――20cm程を掘った所だ。後は不要な土を取り除いて、そこに腐葉土と米ぬかを混ぜ込めば大体は完成、というわけだ。
「そんじゃ、土を取り除いて腐葉土を入れるぞ」
「どれくらい入れるの?」
「そうだなぁ……7割くらいは腐葉土でいいぞ」
「7割って?」
そっか、まだ割合知らないよな。
「じゃあ、このくらいまで腐葉土を入れようか」
俺は手でこのくらいと指し示した。これなら分かるだろう。
「分かったー!腐葉土はこれくらいで、あとは米ぬか入れるの?」
「そうだな、そんな具合だろうな。ひとまず腐葉土入れてくぞー」
俺達は掘った穴に腐葉土をドサドサと入れていく。腐葉土は他の土と違って黒っぽいからどこまで入れたか分かりやすいな。
それにしても腐葉土は独特な匂いがするな。別に臭いわけでもないし、良く薫る土、って感じの匂いで俺は好きなんだよな。
「こんなもんでいいだろ。それじゃ、次は米ぬか入れてくぞー」
「はーい」
サラサラとした目の細かい米ぬか。腐葉土の上に被せるように入れていくが、結構俟ってくしゃみが出そうだ。
「真っ白で、綺麗だね!」
「あぁ、そうだな。猫村さんに感謝しなきゃだなぁ」
この米ぬかは猫村さんに頂いたものだ。米を作っているだけあって大量に余っているらしいのでいつでもくれるとの事。栄養価の高い米ぬかはクロエや烏骨鶏達の餌にもなるので、俺としてはいくらあっても困らないだろう。本当にありがたい話だ。
「おじさんがくれたの?」
「あぁ、そうだぞー。米ぬかは栄養いっぱいだから餌にも使えるから助かるよ」
「そうなんだー。……でも、あんまり美味しくないね」
「美味しくないって……あっ、こら舐めるな」
横でサクラコが米ぬかを舐めて舌を出しながら苦い顔をしていた。そりゃそのまま食ったら美味しくないだろうに……
「ほら、さっさと終わらせるぞ」
「あいー」
俺達は米ぬかを掘っていない地面と水平になるくらいまで入れる。
後は混ぜるだけだが……ついでにこれも混ぜておくか。
俺は腐葉土と米ぬかを持ってきた際に忍ばせておいた小さな袋を取り出し、バラバラと米ぬかの上に撒きだす。
「それ何?」
「これはなー、生ゴミだよ」
そう、これは生ゴミだ。野菜の端切れや芯等、料理では使用しない部分。ご近所さんが野菜を大量に持ってくるから少し処理に困っていたんだよ。
「ゴミなんて入れちゃダメだよー!」
「いや、いいんだよ。さっき言っただろ、微生物が細かくしてくれるって。要はこの生ゴミは微生物の餌って事さ」
最終的にはこの生ゴミは分解されて匂いも発する事なく土に還るわけだ。
「微生物さんのご飯なの?」
「そうそう。米ぬかも食べるだろうけどそれだけだと飽きちゃうだろうからなー」
ま、ここに混ぜる生ゴミは少量だがな。流石に貰った野菜から出た全ての生ゴミを入れてしまったらそれだけで掘った部分が埋まってしまうだろう。
今回は発酵を促進させるという意味と、自然なゴミ箱の試作品というわけだ。これで上手くいけば発酵を使ったゴミ箱を同じ理屈で作れるだろうし、動物達の餌用として発酵飼料の作成にも繋がる。
「さて、全部投入したし混ぜていくぞー。スコップで満遍なく混ぜろー」
「あいっ!」
ガッサガッサと俺達は混ぜ込んでいく。これで発酵を促す事が出来るだろう。上手く発酵できれば、土が熱を発するはずだ。発酵熱ってやつだな。
「よし、もういいぞー」
程良い具合に混ざったのでこれでいいだろう。後はこの発酵床の上にさっき作った鶏小屋を設置するだけだ。
俺達は鶏小屋を発酵床の上に来るように設置固定した。
「よし、これで完成だな」
「これで終わり?」
「そうだぞー。後はここに烏骨鶏達を入れるだけだ」
「じゃあ、はやく入れてあげよう!」
おー、はりきってるなぁ。
最近サクラコは動物が増えた事もあってか、いつも以上に元気だ。ま、動物を育てる事は学びが多い事だ。これで色々と勉強してほしい。
「さぁ、烏骨鶏達よー。新しい小屋に入るのだー」
サクラコは1羽ずつゲージから捕まえては今のような言葉を言いながら新しい小屋へと入れていた。
「お、早速脚で床を掻いてるな。いいぞいいぞー、その調子で発酵を促してくれ」
烏骨鶏達は今まで入っていたゲージよりも3倍ほど広くなった小屋に多少困惑していたが、慣れてくると床をついばんだり、掻いて掘ったりしだした。
この掻く動作によって発酵が促される。ぬか漬けを定期的にかき混ぜるような感じだな。
「嬉しそうだね!一番大きい子が頷いてるもん!」
「うん?……あぁ、そうだな。広くなって住みやすくなったはずだからなぁ」
本当に烏骨鶏達が嬉しがっているのかは分からない。俺には動物の感情は分からないからな。いや、ほとんどの人間は分からないか。だけどなんだろうな、サクラコってたまにまるで動物の感情や言いたい事が分かっているかのような事を言うんだよなぁ。これが子供故の直観的なやつなのか、テレビで紹介されるような動物の言葉が分かる人のような物なのかは分からないが、まぁ動物に興味を持ってるって事だし深く考えないようにしとくか。
「うぉっ」
突然膝カックンされた。こんないたずらするのはサクラコか?
振り返って見てみると、膝カックンをした正体はクロエだった。どうやら頭突きをしたその先が俺の膝だったというわけだ。
「クロエか。ごめんなー、今まで放っておいて。サクラコー。クロエと遊ぶぞー」
「うん、遊ぶー!」
サクラコが走り出すとクロエも続いて走り出す。それを俺は歩きながら追っていく。
まるで休日に家族サービスでもしてるお父さんのような感覚になるな。世の中のお父さん、毎日お疲れ様です。
歩いてクロエとサクラコを追っている最中に、懐のスマホが鳴った。電話かな。
「はいもしもし、喜多です」
『久しぶりだな』
「え、松田さんですか?お久しぶりですね」
なんとびっくり、電話の相手は前職でお世話になった松田さんだった。
『いやな、実はだいぶ前に喜多がやってた試験の治具が見つからなくてな、どこにあるか心当たりでもあれば教えてほしくてな』
「えぇ、全然構いませんけど……どの試験ですかね」
試験で使う治具が見つからないか……相当前にやった試験なのか?
『SINCAPの治具なんだよ』
「あぁ、側突ですか……あれなら、倉庫にぶち込んだはずですよ。流石に番号までは覚えてないですけど、俺達が使ってた倉庫のどれかに入ってるはずですね。ケースにラベル貼ってたのでそれ見れば分かるはずですよ」
まさかの側突試験の治具だったか……滅多にやらない試験だから倉庫に入れてたんだよな。いつも仕事をしていた試験棟から倉庫までは少し距離があったから行くのも面倒だろうし探してなくて当然か。
『おー、倉庫だったか。あっちまでは探してなかったわ、ありがとうな』
「棚卸とかしてたら場所変わってるかもしれませんがね」
『大丈夫だ、俺達の棚卸の適当さは知ってるだろう?』
……確かに適当にやってたけども。
「孝文ー、何してるのー?」
今電話中だから静かにしなさい。という念を込めてサクラコの方を向いて静かにしろとジェスチャーする。
『なんだ、誰かいるのか?』
「えぇ、引っ越した先で仲良くなった子が遊びに来てましてね。動物の世話とか一緒にしてるんですよ」
『おー、動物飼いだしたか!そういやお前、動物飼いだしたら呼ぶって言ってなかったか?』
あー、確かにそんな事言った気がするな。よく覚えてるなぁ。
「よく覚えてますねぇ。今ヤギと鶏を飼ってるんですよ。どうです、休日にでも来ますか?」
『おう、もちろん行くさ。須藤さんとか清水さんとかも一緒にいいか?家族同伴になるかもだけど』
おぉ、なんだか懐かしいメンバーだな。
「もちろんですよ。結構広い庭なので、バーベキューでもしますか」
『いいな、バーベキュー!肉は俺達が用意しとくか!良いの持ってくから期待しとけよ!』
おー、こりゃ期待できそうだ。黒毛和牛を頼みますぜ。
そうだ、あの人も呼んでみるかな。
「ははは、それじゃ期待しときますよ。……あぁ、俺の友達も呼んでいいですか?」
『そりゃお前主催なんだから好きにして大丈夫だろ』
「そうでしたね。じゃあ、こっちはいつでも大丈夫なのでそちら側で日程決めちゃってくださいね」
『おう、決まったら連絡するわ』
「孝文はやくー!」
サクラコさんや、もう少し待ってくれんかね。
『ははは、お前結構懐かれてんのな』
「みたいですね、すみません松田さん。そろそろしびれを切らしてヤギと一緒に突っ込んできそうなので」
『おうよ、決まったら連絡するわ。治具の場所もありがとよ』
「いえいえ。では連絡待ってます」
そうして電話を終えた俺は、しびれを切らして駆けつけて来たクロエとサクラコに突っ込まれるのだった。
バーベキューの準備、しておかなきゃだな。
●用語説明
SINCAP:新車の側面衝突安全評価テストの事。重要保安部品が正常に機能しているかを実写に組付けた上で確認する。米国運輸省が1997年から実施している。略称は側突。
●作者の独り言
子供でも分かるように発酵について説明するの難しすぎじゃん?
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