不思議な女性との出会い編 第一話

 退職してから3日、俺、喜多 孝文きたたかふみは休日を満喫していた……と言いたいところだったが、困っていた。

 それもそのはず、これまでの休日といえば平日の疲れから寝て過ごしていたので、休みらしい休みを過ごしていなかったのである。


(さて、どうしたものか…)


 もちろん、土地を見に不動産屋に行ったり、車を買いにディーラーに行くという選択もできた。だが、俺はどうしても休日を有意義に過ごしてみたかったのだ。

 とはいえ、どうしたものか。


 ……そうか、こういうときは文明の利器に頼ればよいのだ!


 俺は、パソコンを起動しこう入力する。


『休日 過ごし方 ひとり』


 ……うん、なんとも寂しくも哀愁漂う検索ワードだ。

 とはいえ、調べてみると結構検索に引っかかる。


・映画を見てみる

・ショッピングをしてみる

・カフェ巡りをしてみる

・ジムで身体を鍛える

 等々…


 ふむ、外でやる事が多いな。まぁ確かにせっかくの休日だし街に出てみるのも良いだろう。ひとまず、行くだけ行ってみるか。


 俺は、ひとまず街に出るために身支度を整えた。



 バイクで最寄り駅まで行き、そこから電車に乗りそこそこ栄えている街に出た。

 平日にも関わらず、人が多い。私服姿の人はおそらく学生だろう。制服を来ている人ももちろん学生。スーツを着ている人は社会人だろう。こんな初夏の暑い時期にスーツ姿で外を歩くなんて俺には真似できない。


 さてさて、街に出てきたはいいものの、どうしたものか。

 ひとまずぶらぶらと散策してみる。だが…


(表通りは人が多いな…人を避けるので精一杯だ。裏通りでも通るか。)


 俺は人混みを避けるために裏通りへと移動した。


 裏通りに人は少なく、かつ日陰になっていたので散策しやすそうだった。

 だが、裏通りに来てみたものの、ビルなどがあるくらいでお店らしいものはあまりない。

 傍から見れば不審者に見えかねないが、周りをキョロキョロと見渡してみる。すると、ビルの脇から猫が出てきた。

 綺麗なトラ柄のその猫は、私のすぐ目の前までやってくると、クルリと方向を変えて歩み進んでいく。まるで、ついて来いと言っているかのように。


(首輪はつけて……ないな。家猫というわけではなさそうだ。でも、その割には毛並みが綺麗だな。…ま、元は散策するために来たんだ。ついていってみるか。)


 俺は、そのトラ猫についていくことにした。


 ゆったりと、だがどこか毅然と歩くそのトラ猫は、時折俺の方を振り返ってはまた歩き出し、と繰り返している。

 このトラ猫はいったい何がしたいのだろうか。そして、俺はいったい何をしているのだろうか。


(仕事を辞めた3日後に街中で猫の尻追いかけてるなんて思わなかったな。)


 とはいえ、何故か楽しい。


「お前は、俺をどこに連れて行ってくれるんだい?」


 喋るはずもないトラ猫に喋りかけてみる。


「ン゛ナ゛ァァァ…」


 綺麗な見た目に反してずいぶんと野太い声だった。

 だが、俺の問いかけに返してくれたかのように感じて少し嬉しく感じる。


 突然、トラ猫は座り歩みを止める。


「どうした?」


 すると、穏やかで涼しい風が吹いてくるのを感じた。

 風が吹いてきた方を振り向くと、そこには一軒の喫茶店のような店があった。


 その店の看板には『Katze』と書いてあった。読めないが、雰囲気からしてドイツ語だろうか?

 そこでふとトラ猫のいた方を振り向いてみると、いなくなっていた。あの猫はいったい何だったのだろう。


(喫茶店か?…入ってみるか。)


 ひとまず、喫茶店らしき店に入ってみる事にした。トラ猫を追いかけてきただけだが、そもそもここがどこだかが分からない。歩いた時間は10分程度だったが、路地を沢山曲がった事だけは覚えている。そして、基本的に日陰を歩いていたとはいえ、初夏の蒸し暑さで少し疲れたので休みたかった。


 ドアを開けるとチリンッと軽い鈴の音が聴こえた。ドアの上部分に来客を知らせるための鈴が取り付けられている。これから鳴った音だろう。

 店内は適度に涼しかった。

 内装を見てみると多少の古めかしさは感じたが、建物自体は比較的新しいものだという事が分かる。古めかしさはレトロな装飾品で古風に魅せているのだろう。

 客は俺以外にいない。奥にある席に座っている小柄で長めの髪を後ろで纏めた可愛らしい見た目の女性は、エプロンを付けている事から察するにおそらく店員だろう。


「いらっしゃいませ!お好きな席へどうぞ!」


 その女性は勢いよく立ち上がり、俺に向かいそう言う。

 窓際にも席はあったが、ちょうど日差しが入り込み始めていたので壁側の席へと座った。

 メニューらしき物があったのでパラパラと捲ってみる。酒類のメニューが無い事からこの店は喫茶店だという事がわかる。

 メニューに一通り目を通した頃、パタパタと足音が聞こえた。


「お決まりですか?」

「コーヒーと、何か軽い食事をお願いできますか?」


 ちょうど小腹が空いていたので何か食べたかった。ここで何かをオススメされたらそれにしておこう。オススメするくらいなら美味しいだろうし。


「でしたら、サンドイッチがオススメですよ!あっ、コーヒーはアイスですか?」

「では、サンドイッチをお願いします。コーヒーはアイスで。」

「畏まりましたっ!」


 元気いっぱいにそう応えると、女性は奥にあるキッチンへとまたしてもパタパタと小気味の良い音を立てながら駆けていった。


(随分と元気だな。さっきのトラ猫とは大違いだ。)


 ひとまず、ここの場所を調べなければ。

 懐からスマホを取り出し、地図アプリを開く。どうやら駅からそう遠くはない場所のようだ。まぁそれも当然か。トラ猫のゆっくりとしたペースで10分程度歩いたくらいなので、そんなに離れているわけがない。


 調べ終わると女性がコーヒーを持ってきた。


「お待たせしました!サンドイッチは少し待って下さいね!」


 女性は笑顔でそう言うとまたキッチンに戻っていく。

 出てきたアイスコーヒーを見てみると、少し不思議だった。

 グラスにはコーヒーと、大きな黒い氷が1つ。色から察するに、この氷はコーヒーを凍らせたものだろう。


(なるほど、これはなかなか面白いアイスコーヒーだな。)


 一口飲んでみると、程よく酸味の聞いたさっぱりとした美味しいコーヒーだった。この喫茶店、当たりな気がする。サンドイッチが楽しみだ。

 俺は、少しずつ溶けるコーヒーをチビチビと楽しみながらサンドイッチを待つとした。





 ……遅い。サンドイッチが来ない。もう30分は待っただろうか。

 コーヒーの氷もほぼ溶け、小さな塊となっていた。

 待っている間、時折キッチンからガシャンガシャンと音がしていたので、女性はまだキッチンにいるだろう。しょうがない、女性に聞いてみよう。

 俺は席を立ち、キッチンへと向かう。


「お姉さーん、サンドイッチできましたかー?」


 キッチンを覗きながらそう言うと、女性はホットプレートの前で頭を抱えていた。


「すすすすすすみません!!!も、ももも、もう少々、お、おお待ちいただけますかっ!?」

「めっちゃどもっとるがな。落ち着きなさい。」

「はぅっ!?」


 しまった、つい声に出ていたようだ。


「えっと…何かお困りですか?」

「……すみません、私、料理が苦手で…」


 料理が苦手、とな。でもここは喫茶店だったよな?なんとも不思議な人だ。


「ま、まぁそんなに落ち込まないで下さいよ。サンドイッチはもう大丈夫なので、コーヒーをもう一杯いただけませんか?」


 すると、女性は申し訳なさそうな表情をしながらも、元気にこう言う。


「…わかりましたっ!すぐにお持ちします!」


(こりゃ空元気だなぁ。料理が苦手だけどオススメはサンドイッチってのがちょっと気になるけど…)


「美味しいの、頼みますよ?」

「はいっ!」


 席に戻りつつ、俺はそう言った。


 席に戻ってすぐ、女性はアイスコーヒーを2杯持ってやってきた。


「お待たせしました!」


 すると、女性は俺の向かいの席に座った。

 なるほど、2杯あったのは1杯は自分の分というわけか。


「先ほどはすみませんでした。」


 女性は、テーブルにおでこをつけそうな深さで謝罪をした。


「いえいえ、別に気にしてませんよ。…でも、なんでまた料理が苦手なのにサンドイッチがオススメなんですか?」

「あっ、その…本当のオススメは、兄が作ったサンドイッチだったんですよね…」


 兄が作ったサンドイッチ、か…だが、見たところ兄らしい人物はいない。


「お兄さんは今日はお休みなんですか?」

「いえ、その…」


 女性はバツが悪そうな歯切れの悪い口調だ。何かありそうだ。


「あ、別に無理に言わなくてもいいんですよ。すみません。」

「い、いえ!お客さんが謝らないで下さい!…実は、兄はついこの間亡くなりまして。この喫茶店は元々兄の店だったんですよ。」


 なんと衝撃の事実。…でも、それなら納得だ。この子は、お兄さんの店を潰したくなかったんだろうな。だから無理してでもサンドイッチを作ろうとしたんだ。


「なるほど…言いにくい事を言わせたようですみません。」

「いえっ、全然!むしろ私の方がお客さんに失礼を…」

「…お姉さんはお兄さんのこの喫茶店を、潰したくなかったんですよね。だから無理してでも苦手な料理を。」


 女性はハッとした表情を浮かべ、俺の顔を見る。


「そうなんです!私、このお店を残したくて!」

「苦手な事に挑戦するその姿、尊敬しますよ。頑張ってくださいね。」

「はいっ!がんばりますよぉっ!」


 女性は片手を突き立て、がんばるぞーと意気込んでいる。

 が、急に俺の方を凝視して、真剣な顔になる。そして、ゆっくりと目を閉じて深呼吸すると…


「…相談に、乗っていただけませんかっ!」


 何を言い出すかと思えば、相談を投げかけてきたのだ。

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