第71話 過激な母、茉莉花

記憶を失くしてしまった矢野君に非は無いけど、

僕には解せないことが一つだけあった。


“何故僕の事だけ忘れているの?”


辛い記憶を持った咲耶さんとの事をすっぽりと忘れている、

と、言うんであれば、話も分かる。


でも、あれだけ愛し合って、

番にまでなった僕を、僕だけを、

何故、綺麗さっぱり忘れてしまえたのだろう?


彼の心は、本当は僕に無かったんじゃないだろうか?


僕があまりにも可哀そうだったから、

その事に絆されてしまったんじゃないだろうか?


もしかして僕のフェロモンの性?


だから矢野君は番いたくもなかった僕と

番う羽目になってしまったんじゃないだろうか?


それで後に引けなくなって僕を愛してる振りをしただけ……


そう言う思いしか、

もう僕の中には残っていなかった。


僕は茉莉花さんと

怒って出た言った佐々木君を唖然と眺める

矢野君の前に立つと、


矢野君はチラッと僕を見ただけで、

直ぐに茉莉花さんの方を向くと、


「お袋、咲耶はどうしたんだ?


お袋たちが咲耶の事を良く思ってないことは

十分承知している。


だが、頼むから、咲耶に合わせてくれ」


矢野君のそのセリフにぼんやりと、


“そうなんだ……

彼の両親は咲耶さんの事を

良く思っていなかったんだ……”


と思いながら、

内心、少しその事に喜んでいる自分がいた。


今まで状況を静かに見守っていた

茉莉花さんの方を見ると、

彼女は矢野君の所までスタスタと歩み寄り、

胸の前で腕を組むと、矢野君を見下ろした。


「何だよ、

そんな威圧掛けても、

俺は絶対、咲耶とは別れないからな!」


矢野君のそのセリフを茉莉花さんは静かに聞くと、

一つの小さな小瓶を彼に渡した。


「何だこれは?」


矢野君は訝し気にその小瓶を見ると、

コルクのふたを開けて匂いを嗅いだ。


「ここで開けちゃだめよ」


そう言うと、矢野君の手から蓋を取り上げて

小瓶に戻した。


そして不敵に笑うと、


「咲耶君ねぇ~


まあ、貴女の好きにしたら?」


と茉莉花さんは矢野君に言い除けた。


“茉莉花さん、何言ってるの?!”


僕は彼女の意図が分からなかった。


でも彼女は続けて、


「でもね、条件があるわ……」


と付け足した。


矢野君は首をかしげて彼女を見ると、

茉莉花さんは矢野君の持った便に手を置いて、


「これを咲耶君に飲ませてごらん。

でも絶対彼に気付かれちゃだめよ」


そう言うと、矢野君は瓶を日に透かして、


「毒か?」


と尋ねた。


僕はギョッとして茉莉花さんを見たけど、

彼女は涼しい顔をして微笑むだけだった。


「馬鹿ね、貴女に毒なんか渡すわけないでしょう?

殺すんだったら、

失敗するかも分からないあなたにさせる訳無いじゃない!


私が直接手を下すわよ!」


と、またまたポーカーフェースで答えたので、

僕は彼女が本気なのか、

冗談を言っているのか全く分からなかった。


「毒じゃないなら、何なんだよ?」


今度は瓶を振りながら尋ねる矢野君に、


「あなた、真実が欲しいんでしょう?」


そう答えると、


「もしかして自白剤なのか?」


と矢野君の答えは頓珍漢な方へと走りだした。


でも茉莉花さんは、フフフと笑って、


「そうね、そうとも言えるかもね。


きっと咲耶君が、光の失くした記憶の全てを語ってくれるわよ」


そう言うと、


「じゃあ、陽向君、帰りましょう。

ドクターの話だと、後2,3日は様子を見てみるそうだから、

退院はまだ先の様よ」


そう言うと、僕を従え、病室を出ようとしたところで、


「あっ、そうそう、これ。

忘れる所だったわ。


咲耶君の居場所と携帯番号よ。


じゃあね」


そう言って二つに折りたたんだメモをベッドの上に置くと、

ニコリとほほ笑んで颯爽と病室を後にした。


「茉莉花さん! 待ってください!」


「陽向君、ほら帰るわよ!」


「矢野君についてあげてなくても良いんですか?!


息子でしょう? 心配じゃないの?」


僕がそう言うと、茉莉花さんは真剣な顔をして立ち止まった。


「陽向君、貴女、良くあんな薄情な子と一緒に居たいと思うわね。

私だったら、絶対いや!


嫁の陽向君を忘れているなんて、

そんなのありえる?!


一体、誰に似てあんなに愛嬌無いんだろ!


あ~ いや、いや!


可愛げの欠片も無い男なんて!


何でたっくんに似なかったんだろう!


陽向君、今に光を、ギャフント言わせるわよ!」


そう言って茉莉花さんは本気で怒っていた。


たっくんとは矢野君のお父さんで、

矢野君に顔はそっくりだ。


でも、彼の愛嬌は良く、茉莉花さんにベタぼれだ。


僕は頭から蒸気が見えそうなほどに怒る茉莉花さんを見ると、

なんだか自分の心を代弁してくれているようで、

少し錘が軽くなった。


「あっ、そう言えば、茉莉花さん?


さっき矢野君に渡した小瓶は何だったんですか?


本当に矢野君が言ったように、自白剤なんですか?」


素朴な疑問を訪ねてみた。


すると茉莉花さんは僕を見てウィンクすると、


「あ~ あれね、

あれは単なるΩの発情促進剤よ」


と涼しい顔をして言うので、


「え! あれって、医薬用目的で使う以外は

使用を禁止されてますよね?」


そう言うと、


「こんな時に使わなくて一体いつ使うの?!


これは立派な医療緊急事態よ!


今に咲耶君の化けの皮を剥いであげるから!」


そう言って茉莉花さんは涼しい顔をした。




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