第69話 もう一つの秘境の地 “矢野家”

「陽向君、陽向君

アフタヌーン・ティーはどう?


今焼けたばかりのスコーンもあるのよ。


このマフィンは?


家で採れたイチジクの実で作ったジャムも一緒にどぉ~?」


僕は、矢野君のお母さんに凄く気に入られたようだ。


僕に何の要素があって

そこまで気に入られたのか分からないけど、

僕はようやくもう一つの秘境の地、


“矢野家”


に招待されていた。


矢野君のお母さんは凄く気さくな人で、

家ではピンクハウスのようなヒラヒラ・ピラピラの

服を着ているような人だった。


年甲斐もなくと思うようだけど、

ピシッとしたスーツを脱いで、

ピラピラの服を着ると、

180度変わって本当に少女のような人に激変した。


「初めて彼女の “素” を見た人は、

お前みたいになるんだよ」


そう言って隣で

ティーを啜っていた佐々木君は静かに笑った。


“ねえ、もしかして佐々木君の初恋って……”


そう耳打ちしたところで、

佐々木君に口をつままれた。


なるほど……

佐々木君のルーツはここだったのか……

だけど、何故矢野君に移り変わって、

それが、今は僕……?


そこも謎だったけど、

深くは追い求めないことにした。


矢野君のお母さんはティーカップをつまんで持つと、


「そう言えばお医者様からね、

光を自宅療養にしようって話が出てるのよね~」


そう言ってティーを一口上品に啜った。


僕は驚いて、


「え? 大丈夫なんですか?!」


とテーブルに手をついて立ち上がってしまった。


僕のそんな態度にも

矢野君のお母さんは微動たりともせずに、


「大丈夫よ~

脳波にも、心拍にも、血圧にも、血液検査にも問題ないから、

時期に目覚めるわよ」


そう言ってスコーンにジャムを付けると、

パクっと口に頬張った。


“彼女のこの落ち着いた態度は何なんだろう?


自分の息子が意識不明なのに、

心配しないんだろうか?


もしかしたら、本当は死ぬほど心配しているけど、

こういった態度をとることで

自分を落ち着かせているんだろうか?”


辺りを見回すと、

矢野家のガーデンはイングリッシュガーデンの様に

綺麗に整えられている。


確かにここに座ってまどろんでいると、

下界の煩わしさなんか忘れてしまいそうだ。


「陽向君はフラワー・コーディネーター志望なのよね?

どうしてその道を選んだの?」


不意に矢野君のお母さんに尋ねられた。


僕はガーデンを見渡すと、


「ここは凄く心が落ち着きますね」


とそう言った。


「陽向君、自然が好きなのね。


ここはね、主人の叔母だった……」


と彼女が言いかけたとき、


「一花さん……?」


と僕が答えた。


彼女は僕を見ると、

ニコリとほほ笑んで、


「そうよ、一花おばさんのガーデンだったの。


私も、光もここが大好きでね、

彼女が亡くなった時に、私がもらい受けたのよ。


彼女の事は光から聞いてたのね」


と言いながら、

バラの木に歩み寄って行った。


「このバラはね、市場には出回ってないけど、

一花って言う品種なの」


彼女の指したバラの先を見ると、

綺麗な、まるで透き通るような

深いブルーの花をつけたバラが

そこには咲いていた。


「サファイア……」


僕は思わず言葉に出してそう言っていた。


彼女は僕を見ると、懐かしそうな眼をして、


「サファイアは彼女の誕生石なの……


彼女は色んなものに

サファイアの入ったアクセサリーを持っていたの。


でもね、ちょっと前にここで働いていた使用人がね、

彼女の数点のアクセサリーを持ち出してしまってね、

何処に行ったかわからなくなってしまったの……」


彼女がそれを言った時、

フッと前に貰ったサファイアのブレスレットの事を思い出した。


そのブレスレットは矢野君に貰ったチョーカーと一緒に

保管してあるので、今手元にはない。


「茉莉花さん、もしかして、そのアクセの中に、

ブレスレットとか入ってませんか?


すごく可愛いデザインなんですけど、

多分、銀だと思うんですが、

凄く華奢なチェーンに、

こう小さなお花みたいなサファイヤがちりばめられていて……」


僕がそう言うと、


「そうそう、

そんな感じのデザインだったわ。


それ、どうしたの?

質屋で買ったの?


もし彼女のだったらね、

留め具の所にね、I・Yって小さく彫ってあるの」


「家に大切に保管してあるんですけど、

結婚式の時に、

男性のΩの花婿さんに貰ったんです。


自分を幸せにしてくれたから、

僕にも幸せが来るようにって……」


僕がそう言うと、彼女は目を輝かせて、


「あら…… あら、あら、あら」


と言いながら、僕の手を取った。


「きっとそのブレスレットは一花叔母さんの物よ。

私には分かるわ……


彼女はね、恋のキューピットと呼ばれていたのよ」


「え……? それって?」


「彼女はね、難しい状況の恋人をまとめるのが上手だったのよ。


現にね、生まれる前から、

自分の両親のキューピットになったらしいし、

かくなる私もね、彼女に導かれたようなものなの……」


「茉莉花さんもですか?!」


「そうなのよ、

私ね、小さい時から、

夫の事が、とても、とても大好きだったの。


幼稚舎がいっしょでね……


でもね、矢野家の人でしょう?


いくら私がαって言っても、

普通の家庭の出だし、

知り合える機会なんて無しに等しいでしょう?


それに、彼には婚約者もいたし……


でもね、私の所に、一花叔母さんの無くなった

サファイアのペンダントが舞い降りてきたの。


それがきっかけ!」


「そうなんだ……」


「そうよ、ほら、このペンダント!」


そう言って彼女は胸の中からそのペンダントを取り出した。


「あっ……このデザイン!

僕の貰ったブレスレットとそっくりだ!」


「だから言ったでしょ?


きっと、一花叔母さんが、

貴女の事応援してるのよ!


それにね、そのブレスレット、

このネックレスと対になってるのよ。


それと、イアリングもね。


こっちはまだ見つかってないの……」


そう言って彼女が目を伏せたときに、

突然彼女の携帯が鳴った。


「ちょっとごめんなさいね、

病院の様だわ」


そう言って彼女は携帯を取ると、

席を外して話し出した。


僕は何事だろうとソワソワとして待っていると、

電話を切った彼女が興奮したようにして、


「光が目覚めたって!」


そう大声で叫びながら、

僕たちの所に戻って来た。




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