第68話 初めまして
「僕ちょっと飲み物買ってくるね」
佐々木君にそう言った後、
ベッドに眠る矢野君に目を移すと、
僕はそっと病室を後にした。
“フゥ~”
病室のドアを静かに閉めて小さくため息を付くと、
僕は購買に向けて歩き出した。
“矢野君、一体どうしたんだろう……”
夕べ遅く、僕は矢野君と偶然に秘境の地で出くわした。
その時に些細な事で言い争いをして
その場を去ったけど、
不思議なにおいに誘われて、
僕は再び秘境の地へと足を踏み入れた。
その時に地に倒れている矢野君を見つけ、
佐々木君に助けの電話を入れた後、
佐々木君の転機のおかげで矢野君はこの病院に運ばれた。
そして今に至る。
矢野君はまだ眠ったままだ。
ポケットを探り小銭を取り出すと、
前面からコツコツとハイヒールを踏み鳴らす音が響いてきた。
前を向くと、向こうから凛とした綺麗な人が
颯爽と歩いてくる姿が目に入った。
如何にも、ザ・出来る女という出で立ちだ。
僕はこういった女性が少し苦手だ。
意識してはいないけど、
きっと自分の事を卑下している部分があるのだろう。
“男なのに、女性に負けている”
こういった女性を見ると、
そう言った思いが少なからずとも芽生える。
僕が少し緊張して彼女の通り過ぎるのを
ドキドキとして見送っていると、
彼女は僕をチラッと見てそのままスッと通りすぎていった。
僕は
“ハ~”
っと息を吐くと、
早足で階段を下りて行った。
購買に来ると、
色んなものがコンビニの様に並んでいるのを見て、
少しお腹が減っていることに気付いた。
僕は朝食にクロワッサンとコーヒーを手に取ると、
同じように佐々木君の分も手にした。
お金を払い急いで病室に戻ると、
さっき廊下ですれ違った女性が病室に立って、
佐々木君と何やら話をしていた。
まさか彼女が矢野君の病室にいるとは予想もせず、
僕は彼女の姿を見た途端、
金縛りの様になってしまった。
「こちらは?」
彼女の口からそう言ったセリフが出た。
佐々木君の方を見ると、
「これは長谷川陽向と言って、
倒れている光を見つけてくれた俺の友達です。
そして光の……」
そう言って彼女に説明していた。
彼女は僕に近づくと、
ぐるりと僕の周りを一回りして、
ヒョイっと僕の顔の前に彼女の顔を近づけた。
途端、佐々木君が、
「茉莉花さん、待ってください!」
というや否や、彼女は僕に抱き着いて、
「あなた良い匂いするわね。
もしかして、光の番?」
そう言って僕の顎をクイッと持ち上げた。
僕は訳が分からず、
彼女にされるがままに、佐々木君の方を横目で見た。
“佐々木く~ん、
これ誰?”
瞳で尋ねると、
佐々木君はその女性の肩をつかんで、
「茉莉花さん、悪ふざけはそこまでにして下さい!」
そう言って彼女を僕から引き離した。
僕は益々訳が分からずポカンとしていると、
「ごめんなさいね~
私、可愛いΩの男の子が大好きでね、
もう、可愛いΩの男の子が、
光の番になってくれないかって、
ずっと思ってたの~」
と、さっきのザ・出来る女とは
180度違った感じで僕にじゃれてきた。
「あの……
あの……
あなたは……?!」
ドギマギとしながら尋ねると、
彼女はしなやかで綺麗な手を僕に差し出すと、
「矢野光の母親の矢野茉莉花よ。
よろしくね!」
そう言って、そのしなやかな手で僕の手を握りしめた。
それに驚いた僕は、
病院中に響くような声で
「え~~~~~っっっ!!!!!」
と叫んでしまった。
「いや、スマン、
茉莉花さんが来ることを伝えるの、
すっかり忘れていたわ。
この人、正真正銘、
光の母親だから」
佐々木君にそう言われ、
僕はニコニコする彼女を横に、
腰が抜けそうな思いだった。
「あなたが陽向君だったのね。
さっき廊下ですれ違った時、
そうじゃないかな?って思ったのよ!
声かければ良かったわね~
もう、貴女が光の嫁だなんて!
私、嬉しくってほら、
心臓がドキドキしてるのよ!」
そう言って彼女は持った僕の手を
自分の胸の所に当てようとしたので、
今度は僕は
「ワ~~~ッッッ!!!!!」
っと彼女の手を振りほどきながら
叫んだ。
「茉莉花さん!
何やってるんですか!
陽向がびっくりしてるじゃないですか!
まったく、油断も隙もありゃしない!
その性格を直さないと、
また光にどやされますよ!」
そう言いながら佐々木君が僕の方を見た。
僕は更に困惑した顔をすると、
「スマンな、
茉莉花さんは見た目とは違って少女みたいな人なんだ。
矢野グループの代表の妻なんだから、
もっと立場をわきまえろって言われてるんだけど……」
と、佐々木君がそう言うと、
彼女は佐々木君のお尻をつまんで、
「あなたもつまらない男ね!
ほんと、あんなヒヒ爺ばっかり、
息が詰まっちゃう!
あ、でもたっくんは別だよ~」
とおちゃらけた。
「全く、いい年して、
何がたっくんなんですか!
それより、ドクターは何と言ったんですか?」
佐々木君がそう尋ねるのも他所に、
「たっくんはね~
私の夫でね~
もうすっごくかっこいいのよ!
光にそっくりでね~」
と僕に何やら一生懸命伝えようとしているらしい。
まあ、たっくんが矢野君のお父さんなのだろう、
と言う事は分かった。
でも僕も、そのドクターの話が気になった。
彼女は佐々木君をプンプンしたようにして見ると、
「光は今日、東京に連れて帰ることになったわ!
今、酒井先生がこっちに向かってるところよ」
と言い捨てて、また僕の方を見ると、
「ねえ、ねえ、光の番って事は、
番の契約の印があるって事よね?!
ねえ、見せて、見せて~」
と何だか拍子抜けだ。
「あの……矢野さん……?」
僕がそう言うと、
「ん~ イヤン! お母さんって呼んで!」
とまあ、フレンドリーなのか、
何も考えて無いのか、
それとも裏があるのか、
何だか考えるのが怖い。
「陽向、大丈夫だ。
この人、こんなだけど、
東大を首席で卒業するほど頭いいから。
それに、裏表無い人だから、
これが彼女の素だから」
そう言って佐々木君が助言した。
「じゃあ……茉莉花さんで……」
そう言うと、
「まあ、仕方ないわね。
じゃあ、茉莉花さんでいいわ!
これから光との事、
い~っぱい、聞かせてね!」
と目をキラキラとさせている。
僕としては、
“息子がこんな状態なのに
大丈夫か?!
心配じゃないの?!”
と不安になったけど、
彼女は結構あっけらかんとしたもんだった。
「あの……
自己紹介が遅れましたけど……
長谷川陽向です……
よろしくお願いします」
そう言うと、
「分かってるわよ!
色々と仁に聞いてるからね!」
と彼女は佐々木君の方を向いて
ウィンクをした。
佐々木君も、
「ああ、茉莉花さんにはすべて俺の方から打ち明けてあるんだ。
スマンな、事後報告で」
と、すまなそうに僕に語り掛けたので、
「いや、全然大丈夫だよ」
と、ニコニコとして僕を見つめる茉莉花さんを横に、
そう佐々木君に言った。
それからとんとん拍子に矢野君は東京の病院に転移され、
そこで治療にあたることになった。
でも、1か月たっても、
矢野君はまだ目を覚まさなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます