第61話 嘘

「陽向! 良かった。

ここにいると聞いたから待っていた」


矢野君は驚きでワナワナとしながら

後ろに立つ寺田さんを無視して僕に話しかけてきた。


「もしかして佐々木君に聞いたの?」


「ああ、すまなかった。

何度も連絡したんだろ?


自分の中で整理をするのに結構時間がかかってしまった……」


「仕方ないよ。


事が事だったしね。


それで、もう大丈夫なの?」


「ああ、もう大丈夫だ。


俄には信じられなかったけど、

何とか受け入れる事が出来たよ。


これからはもっと、前向きに行くことにするよ。


お前には凄く心配かけたから直ぐに知らせておきたくて……」


「うん、僕は大丈夫なんだけど、

え〜っと……」


そう言って寺田さんの方をチラッと見た。


寺田さんは呆然として矢野君の事を見てたけど、


「誰だ? こいつ?」


と、矢野君はやっぱり彼の顔を見ても何も思い出さなそうだ。


でも、当の寺田さんは、


「僕の事怒ってるかもしれないけど、

知らない振りはあんまりじゃない?」


と矢野君が記憶喪失になった事を知らないので食ってかかった。


「いや、ほんとに知らないんだよ。


事故に遭って記憶がなくて、

13歳以降の記憶が無いんだよ。


それで、お前はどんな知り合いなんだ?」


矢野君がそう尋ねると、

寺田さんはいきなり何を思ったのか、


「君の恋人の咲耶だよ。


本当に覚えてないの?」


と、さも現在の恋人のように言い始めたので、

僕は言葉を失った。


矢野君も寺田さんの事は家族に聞いて、

彼の事は知ってる筈なのに、

眉一つ動かさずに彼の顔を見入った。


そして淡々とした口調で


「お前が俺の恋人なんだったら、

何故今まで俺の前に現れなかったんだ?!」


と尋ねた。


「君は忘れてるかもしれないけど、

家族に反対されて僕達は引き裂かれたんだ!


君にもずっと会わせて貰えなくて、

接近禁止令が出されたんだ!


だから僕にはどうしようもできなくて!」


“何て直ぐにバレる様な白々しい嘘を!”


僕はそう思って二人の行方を見守った。


「俺はお前の事なんて1ミリたりとも覚えていない!


恋人がいた事さえ思い出せないのに、

今の俺にお前がわかるわけがないだろう!


俺がお前の恋人だったて言う証拠はあるのか?!」


「本当に何も覚えてないんだね……」


寺田さんがそう言った時、

彼の顔が少し笑った様な気がした。


「だから何度も言ってるだろう?!

本当に何も覚えてないんだ」


矢野君がそう言うと、寺田さんは矢野君に近づいて、

彼の頬に手を当てた。


「ねえ、僕咲耶だよ。


君がまだ15歳の時からずっと付き合ってた咲耶だよ」


と彼の頬を撫でながらそう言った。


彼の行動を見たとき、

僕の頭の中は真っ白になった。


“彼に触らないで!

矢野君は僕のαだ!”


そう言う思いが頭の中を駆け巡った。


その時寺田さんがまぁ君を矢野君の前に押し出して、


「ほら、この子を見て!

君の子だよ!


僕たちがあれほどに愛し合って出来た子だよ!


僕の頸にだって見てよ。

番の証が!」


そう言って彼は自分の頸を矢野君の前に曝け出した。


僕は思わず、


「何言ってるんですか!


貴方は矢野君とは……」


そう言った所で、


「これは光と僕の問題だから二人きりにして貰えないかな?」


そうきたので、僕は更に開いた口が塞がらなかった。


でも返す言葉も見つからない。


僕は矢野君の方をチラッと見ると、


「陽向すまない、

お前に会いに来たつもりだったけど、

暫く二人だけにしてもらえるか?


お前は先に帰っていてくれ」


矢野君のそのセリフに僕は何も言い返せず、

唇をギュッと噛んで走り去った。


“信じられない!

信じられない!


何故?  家族から彼の事は聞いて知ってるはずなのに、

何故なんの抵抗もなく寺田さんと話せるの?!


もしかして寺田さんのセリフを信じたの?!


それとももしかして、寺田さんの方が正しいの?!”


僕は一目散に佐々木君のアパート目掛けて走った。


勢いよくピンポン、ピンポンと部屋のインターホンを鳴らすと、

佐々木君が出てきた。


「お前なっ、あれだけ静かに押せと言ったのに

何故お前は……」


ときた所で僕の異変に気がついた。


「お前、どうしたんだ?

唇が切れて血が出てるぞ?


それにそんな真っ青な顔をして」


佐々木君がそう言って僕を心配してくれてるセリフも遮ったようにして、


「寺田さんが、寺田さんが矢野君に接触して!」


言葉にならない様な言葉で佐々木君に訴えかけた。


「は〜? 寺田って光の元彼の咲耶の事か?」


「病院で偶然知り合って……

そしたらそこに矢野君が僕に会いに来て……」


「あ〜 確かに俺が光にはお前の居場所を教えたな。


それで光も咲耶に会ったのか?」


「会ったどころじゃないよ!


寺田さん、小さい子供が一緒にいて、

その子、矢野君の子だって……


それに彼の頸の痕は矢野君に噛まれたものだって!」


「あいつ、光にそう言ったのか」


「そうだよ! だから僕もこんなに慌てて……


矢野君、彼は噛ませてくれなかったって言ってたし、

子供もDNA検査で自分は父親では無いって判明したって!


ねえ、矢野君の言葉が間違ってるってことないよね?」


「そんな訳無いだろう?


それで光は今どこに居るんだ?」


「分からない。


二人きりにさせてくれって、

二人で何処かに行ってしまった……


ねえ、どうしよう?


僕、どうしたら良い?」


僕は能天気な所があるけど、

この時ばかりは流石に体が震えた。


まさかこんな展開になるとは微塵も思いもしていなかった。


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