The girl who loved by the Raven §1.5 SIDE:RIN

このストーリーは『The girl who loved by the Raven』 §1と§2の間を、相川凛の視点で描いたものです。



 相川凛は思わず那賀見優の家を飛び出してしまった。エレベーターに飛び乗りエントランスへ出て、彼女のアパートをそそくさと後にする。外は重たい雲に覆われ、今にも泣き出しそうだ。

 「私はなんて無力なんだ」と彼女は言っていた。それはこっちのセリフだ。私の一番大事な仲間、友人、恋人である優を助ける事が出来ない自分こそ無力だ。彼女のミスの揚げ足を取る様に延々と彼女の配信は荒らされ、更に個人まで特定されてしまった。ネット上で他人に嫌がらせをする事しか楽しみの無い屑共が! 私の怒りは収まる所を知らなかった。

 今まで何度も彼女の家まで往復した駅までの道を辿る。人通りの少ない住宅街なのでラッキーストライクを取り出し吸おうと思ったが、彼女の家に置いて来てしまった。恐らくローテーブルの上だろう。ライターも一緒だ。吸わなくても良いのに、今吸えないと思うと無性にイライラする。目に入ったローソンに入り1箱買ってしまう。ライターも一緒に。

 今時珍しいコンビニの前に置かれた灰皿で1本吸い出す。青い煙を吐くが、今は全く美味しく感じない。4月の終わり、曇り空は不愉快な湿度をもたらす。まるでもう梅雨に入ったかの様に。

 私が最近になって再びタバコを吸う様になってしまったのは、紛れもない自分自身へのストレスからだ。私は一度バンドを組み、同じ志を持つ仲間達と共に音楽に生きて来た。だがその夢に破れ、このバーチャルの世界ならまだ何か出来るかもしれない、と自分に言い聞かせ“逃げて”来たのだ。それなのに近頃はゲームの実況プレイや他の子とのコラボ企画、企業からの案件等ばかり。たまにカラオケ配信をする位で全く音楽に関われていない。その事への不満からだった。流行りのJ-POPやボーカロイド曲のカバー動画を上げればそこそこ、いやかなりの再生数は稼げる。だが過去に2つ上げたオリジナルソングはそれらに比べ遥かに少ない再生数で止まってしまう。作詞・作曲を自分で行い、そこそこ有名なボーカロイドプロデューサーに編曲してもらったにも関わらず、だ。自分の才能が無い事をこういう形で突きつけられると辛い。再生数にハッキリと現れるのが怖い。そしてそれに伴って、徐々に事務所も私の音楽方面での活動に対して余り積極的で無くなって来た。そんな負のスパイラルに陥ってしまっているのだ。

 そんな自分の事は今はどうでも良い。今は優の為に何か出来ないのか? もう一口タバコを吹かす。


 駅から電車に乗り最寄り駅に着くまでもずっと考えた。が、何も良い解決方法が思い浮かばない。駅を出て家まで歩く。やはり今は優の隣に居てあげる事が最善なのだろうか。優は今にでもVTuber『七海ハル』を辞めてしまいそうだ。いや、もういっその事辞めた方が彼女も楽なのでは無いだろうか……。いや、彼女は自分から望んで、憧れてこの世界に飛び込んで来たのだ。逃げて来ただけの私とは違う。彼女はVTuberを始める前は生きる希望も目的も無くダラダラとバイトを繰り返すだけの日々だったらしい。その中で唯一の楽しみがVTuber、主に『六聞ミズホ』先輩の配信を観る事だったのだ。その彼女に憧れ、優は自分の殻を破りこの世界の門を叩いたのだ。本当にすごい事だと思う。

 ふと、初めて事務所のスタジオで彼女と会った時の事を思い出す。正直言って根暗そうな、オタクっぽい女だなと思ったのが第一印象だった。歌に関して素人の彼女が、スタジオで上手く歌う事が出来ずに困り果てていた。彼女の困り顔を見て私は少し助けてやろうと思った。音楽に関しては私の方が多少知識も技術もある筈だ。兎に角その根暗そうなテンションをぶち壊してやろうと、私はスタジオで暴れ回った。そうすると意外にも彼女もノって来て、2人して飛び回り叫び回る悲惨な音源を収録をした。まぁその後勿論録り直したのだが。あの時から、彼女とは何かが通じ合ってる様な気がした。収録後一緒にカフェで巨大なバーガーを貪りながら話す中でも、何故か彼女には全てを打ち明けられる様な、そんな不思議な感覚がした。初めて感じた感覚だった。要するに私は、彼女に一目惚れしていたのだ。


「――なんでVTuberを始めたの?」

「まーガールズバンドなんて腐る程居るけど、バーチャルの世界ならまだ何かアイデンティティ? みたいなモン作れるかなーっと思って」

「すご……やっぱかっこいいね」


 そうこうしている内に家に辿り付いてしまう。部屋に上がり徐にギターを手に取る。アンプとエフェクターを繋ぎ、アウトプットにヘッドホンの延長ケーブルを差し込む。ヘッドホンを着け、適当に弦を弾く。鼓膜に響くギターの音色。エフェクターで音は歪み、どこか寂しい音を奏でる。このコードから始まるのは、あの曲っぽいな、等と思う。私の好きな音だ。

 ―― 音楽だ。そうだ。彼女を守る事も、アンチをこの世から消し去る事も私には出来ないけれど、音楽で彼女を勇気づける事なら出来るかもしれない。私には音楽しか無いんだ。

そう思い立ち、直ぐにマネージャーへメッセージを送る。

『フルトラッキングで私が演奏するライブ配信をしたい』

『出来れば生のバンド音をやりたい』

『昔コラボした他の事務所のドラムとかベース出来る子を集めて3Dライブが出来れば最高』

そう連続でメッセージを送りつけ、もう一度ギターを弾く。何音か出し、そして私の好きなロックバンドの曲のイントロを弾く。連続する複雑で攻撃的なリフ。つん裂く様なギターの音が激しく私を駆り立てる。私は無意識にヘッドバンギングをしながら一人部屋の中で延々んとギターを抱き続けた。


 翌日。Twitterを開くと優がファンに向けてメッセージを載せていた。自分の写真を掲載したサイトや、その他アンチに対して暴言等を行う事は自分自身のマイナスになるから止めてくれ、と書いていたのだ。どこまで優しいヤツなんだアイツは。優という名前に偽りない、良い子だ。私はそのツイートを見て、優はまだ折れていないと確信する。その為にも。私は最近サボっていたギター練習の為に近所のスタジオに来た。みっちり6時間程弾きまくり、まるで初心者の頃の様に左手の指先から血を流した。

 そしてその翌日も朝からギターを練習しにスタジオに行こうと思った。ライブの為に頑張らなくては、そう思うと少し自分のテンションも上がっている事に気付いた。今になって優の所を飛び出した事が少し恥ずかしくも、彼女を不安にさせてしまったかもしれないという思いになってきた。優の所に言って謝ろう。そう思い優の家に寄る事にした。


 いつもの駅で降り、優のアパートを目指す。足取り軽く、たった2日ぶりなのに彼女に会うのが楽しみで堪らない。私は飼い主が大好きな犬か、と自分に思ったりした。

 エントランスの暗証番号を入力しエレベーターホールへ入る。ポケットから彼女の部屋のキーを取り出しながらエレベーターに乗る。5階に着き、彼女の部屋の前まで来る。取手に手を掛けてみると、鍵は空いていた。何か言うべきか、とも思ったがまだ寝ているかもしれないと思い、そっとドアを開ける。

 すると、目の前にしゃがんでいる男の背中が見えた。私の頭上から足先にまで電流が流れたかの様な嫌な感覚が走る。その男が優に跨っている。そう分かった瞬間、咄嗟に私は背負っていたギターケースを振り上げ、男の後頭部へ叩き落としていた。

「優!!」

声の限り大声を上げた。声はうわずり、裏返っていたかもしれない。

「痛ってぇ〜!!」

腕を床に付いた男がこちらを睨みつけながら振り返ってくる。その表情に一瞬背筋が凍る。その隙を見て、優が部屋の方へ逃げていったのが分かった。もう一撃食らわそうと思ったが玄関では狭く、もう一度振りかぶる為にはスペースも時間も無い。そう一瞬躊躇っている所に男が起き上がりこちらに向かってくる。だがソイツは太腿あたりまで下ろしていた自分自身のズボンの所為で足が絡まり、私に倒れ込む形で覆い被さってくる。

 押し倒され、私とその男は玄関ドアから通路へ飛び出す。「誰か!!」とすかさず叫ぶが男が私の顔を抑えてくる。私は必死で男から身を解き廊下の手すりを頼りに立ち上がる。その瞬間、優が熱湯? を男に浴びせる。ナイス! そう思いながら転がっていたギターケースを再び手に取り、熱さに悶えている男の顔面へ、右から振りかぶったフルスイングの打撃をお見舞いしてやる。

 その男が手すりに頭を打ちつけ気絶してしまった。一瞬殺してしまったかとも思ったがどうでもよかった。

「優! 優大丈夫か!?」

玄関を再び入り、廊下で力なく座り込んでいる優の肩を揺らす。

「うん……大丈夫……」

放心状態だ。私はぎゅっと彼女を抱きしめ、「ごめん」と一言溢す。彼女をリビングのソファまで運び座らせる。そして私は引き出しに入っていたダクトテープを手に取り、再び通路へ出る。

 外では他の部屋の人間が数人ドアから顔を出してこっちを見ていた。

「何見てるです!? 早く警察に通報して下さい! 強盗です!」

「あ、ああ分かりました!」

2つ隣の男が慌てて部屋の中に戻っていくのが見えた。

 私はその醜いクズ野郎の手足をテープでグルグル巻きにし、口にもテープを貼り付けた。このクズ野郎、まだ息をしている。死んでしまえば良かったのに。

 再び部屋の中に戻り、優の様子を一瞬確認してからポケットのXperiaを取り出し110番に電話を掛けようとする。ふと、廊下に優のiPhoneが落ちている事に気付いた。通話中だ。『もしもし? 大丈夫ですか?』と声が流れていた。私はそれを手に取る。優は、あの一瞬の間に警察へ電話していたのか。すごいぞ、強い子だ。そう彼女を心の中で褒めた。

「もしもし? 電話かけた者と同居している者です。はい。強盗が押し入って来たんです。私がなんとか捕まえました。はい、住所は――」

 私は冷静にその電話に応対する。一部始終が通話で伝わっており、状況はすぐに理解してもらえた。そして一通り通報した後、優の隣に戻る。優は生きている。だが虚な目はどこを見ているか分からない。身体はガタガタと震えている。その彼女の姿を見て、堪らず私の方が泣きそうになってしまう。いや、何泣こうとしているんだ。泣きたいのは彼女の筈だ。お前は優の隣に居てあげるべきだろ。そう思い、彼女に毛布を掛けてあげ、そしてそっと彼女の左手を握り、警察が着くのを待った。


 その日の夜、彼女は私の家に泊めてあげる事にしたのだが、どうも様子がおかしい。まるで朝に起きた事の記憶がすっぱり抜け落ちてしまっている様に、彼女は飄々としている。家に着く前「私のタバコ吸ったから買っておかなきゃ」等と突然言い出した時には、驚くというよりも恐怖に近い感覚を覚えた。何かしらのショックによって、変になってしまっているんだ。医学的な事は分からないが、直感的にそう思った。

 翌朝、香ばしい肉と油の香りによって目が覚める。時計を見てみればまだ8時半だ。彼女は私の寝ている間にどこかへ買い物へ行き、そして朝食を作っていたのだ。それに一緒に買って来たであろう未開封のラッキーストライクがテーブルの上に置かれている。

「優、大丈夫か……?」

「え、うん。何ともないよ?」

「何ともないって……えぇ……」

「トースト食べる?」

「良いの?」

「良いから聞いてるんだけど?」

「ありがとう、貰う……」

明らかに変だ。私は怖くなり浴室へ逃げる様に入った。溢れる涙を、手に掬った水道水を顔面に叩きつけ一緒に洗い流す。

 優は一度きちんと病院で診てもらうべきだ。奥山にも聞いてみよう。きっとそういう会社の保障みたいなものが使える筈だ。


 その騒動があった数日後。私が奥山優子に進言した事もあり、優と一緒にV WIND事務所で話し合い、休暇を取る様に優に強制させた。だがそれが彼女を余計に反発させてしまった。

 彼女が初めて見せる怒りの感情に、私は完全にビビってしまった。矢崎に手を出しそうになった優を思わず蹴り飛ばしてしまったが、彼女は全く折れる素振りを見せる事なく事務所を後にしてしまった。私は泣き崩れた。私は、なんて無力なんだ。

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烏を喰うオンナ -The girl who imbibed the Raven- @Trap_Heinz

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