The girl who imbibed by the Raven §3

 私と相川凛は、意外にも何のお咎めも無くスタジオを後にする事が出来た。出演してくれた他事務所のVTuberの中の人達、配信技術スタッフ達にも心からお礼をし、ウィンドが入っているビルを後にした。スタジオの1階下のオフィスで配信を観ていた矢崎もスタジオへ上がって来ていたが、特に何も言う事もなく、ただ私達がスムーズに出ていける様に周りの大人達を退けてくれていた。

 タクシーに2人で乗り込み、ギターケースを抱える凛の肩に頭を乗せた。そしてそのまま私の家に帰って来た。

「ただいま」

「おかえり」

「おかえり」


 翌日は朝から大忙しだった。問い合わせ用のフリーダイヤル以外にも、どこから流出したのかオフィス中の電話が常に鳴り続ける。ウェブページの問い合わせフォームからも七海ハルのクビ撤回を求める要望や脅迫紛いのメッセージが殺到し、またしても公式サイトがサーバーダウンしてしまった。前回の海外からの不正アクセスと同様の被害では無く、単純に多くの人間が訪れサイトが応答不能となってしまったのだ。

そんな慌ただしいオフィスを会議室から眺めながら、矢崎竜は笑っていた。

「いやーこりゃまた、いつ臨時総会が開かれるかなぁ〜」

「そんな悠長な事言ってないで、どうしたら良いかアイデア出してくださいよ!」

V WIND統括マネージャーの奥山優子も半ば笑いながら呆れた様に声を掛ける。その他V WIND所属タレントそれぞれに付いているマネージャー全員、企画担当、法務部などの人間も集まり、そして何のアイデアも見出せず困り果てていた。

「アイデアも何も、これまで通り七海ハル、V WINDの活動を続けていきゃ良いんだよ。彼女らが堂々とファンの前に立てば皆納得する」

「いやでも上の人たちが黙ってないですよ……」

一人が愚痴る。

「昨日の騒動があってからもう半日以上経って未だ何も言って来てないんだ。今はみんなで好き勝手やって、最後に僕が責任を取れば良い」


 同時刻、ベッドの中で那賀見優はゆっくりと瞼を上げた。隣では凛が口で呼吸しながら爆睡している。彼女の顔に掛かる髪を耳の方へかき上げその顔を再び眺める。

「かわいい」

ポツリとそう言ってしまう。彼女が隣に居るという事実が堪らなく嬉しかった。彼女を起こさない様にそっとベッドから出た。既に太陽は昇りきっており、部屋の中にはカーテンの隙間から眩い光が差し込んでいた。いつかの時の様に、朝ごはんでも用意してやるか。そう思いスーパーマーケットへ出かけようと思った。歯を磨きながらiPhoneを手に取ると、ミーちゃんから今朝着信があった履歴が残っていた。Discordを開いてみると『ハルちゃん! 昨日は大変な事してくれたね!?』

怒っている絵文字付きだ。

『ウソウソ! YouTubeもTwitterも使えるようにしといたよ! いつも通りに活動して大丈夫だよ!!!』

『色々あったけど、これからも宜しくお願いします!』

その文章を読んで、思わず涙が溢れる。すぐに歯磨きを終え、部屋の外に出てミーちゃんへ電話する。掛けるとすぐに電話に出た。

『ハルちゃん! お疲れ様!』

「お疲れ様……。ミーちゃん、昨日はゴメン……」

『全然良いよ! ディスコ見てくれた? むしろこっちのチームも吹っ切れてスッキリしたし、また宜しくね!』

彼女が無邪気に笑う。後ろでは延々と鳴り続ける電話の着信音や、人の話し……というより怒声の様な声が飛び交っている。

「なんだか、すっごく大変そうだね……」

『良いんだよこれは裏方の仕事なんだから! だからハルちゃんはいつも通り活動して! それがファンを、そしてウチらも助けるから!』

「分かった。ありがとう。また、これから、も……よろしくぅ……」

『ちょっとハルちゃん泣かないでよ〜〜うわあぁ〜〜〜ん』

まるで喧嘩した後の子供の様に2人して泣いてしまう。ミーちゃんの後ろから『何やってんだお前ら』等と笑い声が聞こえてくる。

 私はまだ、ここに居ても良いんだ。


「こんばんはー。みなさん生きてますか?」

『それはこっちのセリフなんだよなぁ』『お勤めご苦労はんです!』『ハルさーーん!!!』

「ですよね、皆さんのセリフですよね。どうもハルさんでーす。わたしは生きてます」

『昨日の飛び入りライブヤバかった』『ハルさん辞めないよね……?』

「涼咲カイのファンの皆さんにはご迷惑をお掛けしました。でも皆さんのお陰で私の首は繋がりました」

『涼ちゃんとは付き合ってるの?(厄介百合オタ)』『マジでキスしたんですの? 許せないですわ!』

「ご想像にお任せします」

私の下らない会話に付き合ってくれるリスナーに迎え入れられ、私の日常の一部が戻って来た。相変わらず荒らしのコメントもたっぷり送られてくるけど。

 V WIND公式ウェブページにも今回の件に関して正式な回答が掲載された。七海ハルの度重なる苦労に対し休養する様に指示したにも関わらずそれに従わなかった為、強制的な措置として配信権限を剥奪した事。そしてそれが過剰な措置であった事、ファンに対して何も公表しなかった事に対し、正式な謝罪とした。

そんな私はといえば、確かにYouTubeのコメント欄やTwitterの私のハッシュタグが荒らされてる事に対してはどうしても腹が立ってしまうけれども、至って健康正常で普通な日常を送っていた。凛もまた私の家に入り浸る様になり、幸せそのものだった。


 私が活動を再開してから1週間程経った頃であった。今日は私と凛で2駅行った所にある巨大なショッピングモールに行き、普段買わない様な輸入物の食材、調味料や紅茶を手に入れ上機嫌で帰路についていた。

「優さん〜もう1個袋持ってよ〜〜」

「イヤよ、こっちはビンとか入っててそっちより絶対重い」

「嘘だーーー」

2人とも両手に大量の袋を抱え、そんな会話をしながらアパートの前まで到着した。が、何か様子がおかしい。入り口前に10人弱程の人間がたむろしている。私達がエントランス入り口に近づくと、何人かがこちらをチラチラと見てくる。「あの左の子か?」「おいカメラ準備しろ」と小声が聞こえる。私と凛は怪訝な顔を向けながらエントランスへ入ろうとするが、その人間達が一斉に迫って来、あっという間に囲まれる。

「オイ、なんだよテメーら!」

その人の輪から弾き出されながら凛が吠える。

「那賀見優さんですよね!? あの七海ハルさんを“演じて”いる?!」「先月秋田被告に押し入られた那賀見さんですよね!?」「あの日の事詳しくお伺いできますか!?」「お願いします一言!」「被告にはどう罪を償って貰いたいですか!?」

大量に浴びせられる言葉に、優は頭が真っ白になり動けなくなってしまう。

「どけテメーら! クズ共が!!」

凛が強引にそいつらを引き剥がし、私の腕を引っ張る。私は力なく彼女に着いていく。彼女が暗証番号を打ち込み、ロックを解除しエントランスへ入るが、そんなのお構いなしに私達に続いてアパートの中まで入ってくる。エレベーターに乗り込みなんとか2人で5階の部屋を目指す。

が、エレベーターを降りた瞬間、ドアの前には先に別のエレベーターか階段で上がって来たであろうマスコミが待ち構えており、再び言葉を浴びせてくる。咄嗟に凛はスマホを耳に付けて「もしもし警察ですか!? アパートの中までクソマスコミ共が不法侵入して来てるんです、助けてください!!」と大声で叫ぶ。

それにビビったのか、私達を睨みながらそいつらは渋々下がっていく。凛は震えながら部屋の鍵を開け、私を玄関に押し込む。私はどうしていいか分からず廊下の壁に持たれて力なく座り込んだ。

「二度と来るんじゃねぇクソが!!」

玄関の外で彼女の怒声が響く。そして、彼女も玄関から入ってくる。

「優! 優、大丈夫か……?」

彼女は涙目になり、必死に私の肩を揺さぶる。

「え、うん……大丈夫。ありがとう……」

「……」

凛は何も言ってあげられず、静かに優を抱きしめた。


『都内某所の高級アパート。ここに暮す一人の女性が先月、“ネットストーカー”に襲われる事件が発生した――』

『彼女の職業は“YouTuber”。一体どうやって犯人は彼女の住居を特定したのか?』

夕方のニュースでは、こんな勝手な特集が組まれ報道されていた。

 この背景には、私の家に押し入って来た秋田の裁判が今月開始され、今まで全く注目していなかったマスコミがこの事件に急に飛びつき、『新しい時代の新しい犯罪』等と騒ぎ立て始めたのだ。ネット犯罪に詳しいと自称するコメンテーターやアナウンサーが好き勝手自論を語るだけの番組に、私は呆れる他なかった。

 ネットが普及し始めてからずっと問題となっているネットストーカー、サイバーストーカー。ネット上で情報をかき集め、その人物を特定しストーキングする。その犯罪が今流行りのSNSやネット配信を行なっている人間は容易に出来るからどうのこうのと言いたいらしい内容だった。真相は、私の昔を知るバイト先の人間がやった話だというのに。

「マジでありえねー。プライバシーって言葉を知らんのかアイツら」

凛がテレビを見ながらぶつくさと文句を言っている。人間に囲まれて言葉を浴びせられた瞬間、あの日の事、恐怖心、不快感、上に跨るアイツの体温、声を一瞬思い出した。が、今は落ち着いている。私は大丈夫だ。

 そしてまたしても思う。誰がこの情報を漏らしたのか?


 松前悠も同じ夕方のニュースを見ていた。またしても思っているでしょう先輩。誰が七海ハルの、那賀見優の住所を漏らしたのか。マスコミがどうやってその情報を得たのか、と。

でも、まだまだですよ。今夜にはもっと……。悠は口元が緩むのを止められなかった。

「可愛い可愛い私の先輩。食べてしまいたい程愛おしい先輩」

悠は、また一つTwitterのアカウントを削除した。


 その夜、信じられない事が起こった。また例の如くネットストーカーを主軸にした特集を別のニュース番組が組んでいたのだがそこで『V WINDの七海ハル』だと明言してしまったのだ。

『登録者数70万人のYouTuber』『それも素顔を晒さない、バーチャルな存在』『1年の活動でYouTube上で稼いだ推定金額』等、そんな情報まで教えてくれる。

一般のYouTuberよりも自分を晒さない分犯罪に巻き込まれるリスクは低い。ゲームや雑談をするだけでオタクが金を落とすコンテンツ、と。

頭のおかしい犯罪者予備軍のオタクが襲って来たのは、楽な仕事で高級アパートに住んでいる女の自業自得だ、とでも言いたいみたいだ。こいつらは私達を擁護したいのか批判したいのかどっちなんだ。

バーチャルYouTuberという存在が、こんな形で世間一般人の目に触れ、存在を認知された。

当然、一般人からは『そんな仕事をしている女の自業自得だ』というレッテルが貼られた。

 その番組に対し、ウィンドから即刻抗議が行われ、ネット上でも大いに盛り上がった。悪い意味で。勿論翌日その番組を放送した局が謝罪を表明し、報道の内容を取り消した。そんな言葉だけで一度発信した内容が消える筈も無く、私の個人情報をばら撒かれた様なものだ。

 それから数週間はアパート前には常に数人マスコミの人間が集まっており、私の心を常に曇らせた。過去数回、他の住人が出入りする際に便乗してアパートに侵入し、私の部屋まで来た輩も居た。そういう人間達が不法侵入しない様に最近では警備員の人間が1人エントランスに常駐する様になった。

他の部屋の住民からの抗議もアパートの管理会社へ入っており、最悪の場合私を退去させると言うのだ。こっちは被害者なのに何故こんな扱いを受けないといけないのか。私の怒りと悲しみは深くなる一方だった。


「今日もありがとうございました〜。ほんといつも皆さんありがとうございます。ここからはスパチャ読みに入りたいと思うので、どうぞ残りたい人だけ残っといて下さい」

『ええんやで』『こっちこそ楽しい時間をありがとう!』『続きも楽しみにしてる』『おつです〜』『ハルさんがんばえ〜!』

そんな未だ私を応援してくれるコメントと共に、大量の私への脅迫まがいの荒らしコメントが流れる。

 その時、プツと私の中の何かの線が切れた。思わず涙が溢れ出て来た。涙を必死に止めようと、嗚咽が漏れる。『大丈夫?』等とコメントも流れている。

最近、あの日秋田に襲われた記憶も鮮明にフラッシュバックするようになり、毎晩吐き気に襲われる。だからこうやって深夜に配信して気を紛らわせていたのに。もう無理だ。限界だ。


 私『七海ハル』はVTuberを辞める。

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