The girl who imbibed by the Raven §1

 ああ、もう何もかもめちゃくちゃだ……。風呂場で血が溢れ出る左手を冷水で流しながら私は力無く座り込んでいた。もうイヤだ……。涙がなぜか溢れてくる。

私のYouTubeの配信ページは未だ配信中のままになっており、杞憂するコメントで溢れている。

私はなんとか立ち上がり、左前腕をきつくタオルで巻く。そして再びPCの前に座り、マイクのミュートを解除する。

「いや〜ビビったわ〜〜。急に玄関開いたと思ったらママが普通に入ってくるんやもん! 来るなら一言言ってよねぇ〜」

『親フラで草』『ハルママオッスオッス!』『いぇーいママさん見てるー?』等といつもの様なコメントが返ってくる。

「いやいや、友達の所に遊びに来たついでに寄っただけだったっぽいから、すぐ帰ってったよ」

と作り笑いを浮かべコメントに返事する。

巻きつけた白いタオルは赤黒く染まり、ポタポタと床に血溜まりを作っていた。

 優の部屋の外、玄関の横に座り込み泣きながら相川凛はその配信を見ていた。Twitterでこの配信のURLと共に『お願いだから、配信を止めてくれ』と呟いていた。


「彼女の活動は今や会社のただの負債でしかありません。即刻彼女をクビにすべきです」

「そうだ。怒り狂っている中国人共を治める為にも、彼女を切る事が何よりの近道だ」

ウィンド(株)の臨時株主総会でお偉方の役人達からご高説を賜る。元々ネット上でのタレント活動等全く見向きもしていなかった、それどころか投資の無駄だ等と最初は言っていた癖に、VTuberブームと共に莫大な利益を上げ始めた瞬間これだ。矢崎竜は呆れ顔で彼ら株主達を見ていた。

「ですが、我が社のタレント部門でトップを誇る人気の彼女を切り離す事は、大量のファン離れにも直結します」

タレント部門統括マネージャーとして、奥山優子も参加しており意見する。

「だがしかし、スポンサーも付いているその、3年生? 3期生? の奴らもかなりの人気になったじゃないか。もはやその那賀見とかいう女一人切った所で何の損にならんだろう」

「ですが彼女を“見捨てたという結果”がイメージダウン、不信に繋がり、現在他の子を応援しているファンも見限ってしまう可能性もあります」

「だったらいっそまた新しい子でも入れればいいじゃないか? 素人を雇うんじゃなく3期生みたいなプロを」

「そうだ。既にこの前の中国出資のゲーム会社……なんと言ったか? 例の炎上騒ぎの所為で契約途中破棄を食らって本来の半分の額しか入ってきてない。それを取り戻す為にも」

静観していた矢崎が漸く口を開く。

「本当にあなた方は目の前のお金にしか興味が無いんだな」

「なんだと? 会社なんだから利益優先するのが当然だろう?」

一人の初老の男が言い返す。

「確かにそうですが、V WIND、タレント部門というのはお客さんに夢を売り、そして彼らの心を奪い取り成り立っているんです。彼女らが必死に活動する姿に共感や感動し、好きだ、応援したいと思い、初めて付いてきてくれるんです」

「君は究極なロマンチストの様だな」

別の老人が言い、冷ややかな笑い声が会議室に起きる。

「ええ、そうです。あなた方が無理矢理引き込んだ3期生の面々は確かに面白い。だがしかし、人を惹きつける何かを彼女らは持っていない。1、2期生からそれを学ぼうともしない。スポンサー企業以外からの収入が少ないのがその決定的な証拠だ」

矢崎はバッサリと言い切り、奥山は驚いた様子で矢崎を見ている。

「はぁー……まさか君がここまで会社運用に向いていない男だったとは。残念だよ矢崎くん」

「この臨時総会を開く前に決めた事なのだが……。我々株主は、君の社長職辞退を要求する。今日欠席している者達にも既に意思確認済みである」

矢崎と奥山以外の全員が立ち上がり、上座に座る矢崎を全員が見下す。

「分かりました。こんな会社、僕が存在する必要がありません。ヤレヤレ、僕は新たな風を呼び込み、巻き起こし、そしてその風を受けて更に前へ進める様にという信念を込めてウィンドという名前を付けましたが、どうやらあなた方は札束で扇ぐ風にしか興味ない様だ」

矢崎は自身の前に置いていたラップトップPCをパタンと折り畳み会議室を後にした。奥山も慌てて続き退室する。


 5月31日。茹だる様な暑さ。既に夏の様子を呈している。私の無断配信の後、YouTubeとTwitterのログインパスワードが変更されており、ログインが出来なくなっていた。それから1週間以上経つ。会社からも何の連絡も無いし、こちらから連絡したいとも思わない。だがしかし、配信をしなくては、私の生活が掛かっている、これは私の仕事なのだ。いっそ、個人のYouTuberとして活動を始めてみるか。いや、私のファンだった人間達は“七海ハル”というキャラクターの中にある私を好いているだけなのだ。決してその中の人など愛してはくれないのだ。

私はiPhoneを取り、古谷あかりに電話する。

「アッ、ひ、あ、おはようござます……」

2コール程で怯えながら彼女が電話に出る。

「おはよ。あのさ、私とコラボで配信に出させてくれない? んでスパチャは半額私に頂戴?」

「いや、でも七海さんとは今コラボしちゃだめって云われていて……」

「知ってるよンな事。それとも私に逆らう訳?」

「いや、そんな事……」

「んーそーだなー。適当にマイクラでもやるか。それなら通話繋いでゲームやるだけだし」

「はい……分かりました……」

「今夜出来るよね? スケジュール空いてたし?」

「はい……」

「んじゃ、20時くらいにまたディスコで打ち合わせしよ」

「はい……」

そう一方的に言い切り通話を切る。はぁ古谷あかり、哀れ、かわいそうな子。仕方ないよね、私なんかに手を掛けようとしちゃったんだから。

そう思いながら冷蔵庫を開けハイネケンを1本取り出す。ベランダに出てショートピースに火を付ける。最近のクソみたいに余った時間で、これをやるのが日課になっていた。カンカンに照る太陽を浴びながらベランダで優雅にアルコールとニコチンを摂取する。贅沢だ。この前Amazonで安いキャンプ用の折りたたみ椅子も買い、ベランダにほぼ常設している。傍にボトルホルダーと、小物を置ける水平なテーブルも付いており便利だ。

 私はふと左腕を見る。凛との“事故”で切り裂いてしまった5cm程の傷口は塞がってはいたが、若干痕が残った。その痕を指でなぞりながら、昔のことを思い出す。私は嘗て六聞ミズホが『自分は汚いカラスだ』と言っていた事に対して、なら私も何でも啄きまわし、喰らいつくカラスに成ってやろうと思った。実際それから売れる為なら何でも演ってきた。この地位に立ち、私も汚いカラスに成ったのだと偶に思っていた。この傷跡は、私が遂に誰かに噛みつかれ、肉を引き千切られた痕なのだろうか。

何だか変な事を考えている。その意味不明な思考回路が嫌になり、また新しいタバコに火を点けた。空になったタバコの箱をクシャと握りつぶし足元に投げる。タバコ買いに外出るか……。ボケーと空を眺めながらハイネケンをまた一口啜る。

 外は灼熱だ。丹念に日焼け止めを塗り、薄い長袖のパーカーを羽織り外を歩く。駅前のタバコ屋でショートピースだけ買って帰ろうと思った。が、タバコを買い、500mlのミネラルウォーターをコンビニで買い、それから特に宛てもなく電車に飛び乗ってしまった。月曜日の13時過ぎ。電車内の乗客も少ない。

 イヤホンもポケットブックも持たずに出てきてしまったので、ずっと外の景色を眺めていた。都心から離れるにつれ背の高いビルは少なくなり、工場や倉庫街、山やその斜面に築きあげられた住宅地が目につく。1時間程揺られ、特に理由もなくとある駅で降りた。まだここは都内なのか? と思いたくなる様な、アニメででしか見た事がないザ・田舎という感じの駅に少し感動した。ホームは上下線の2つの線路しかなく、4人しか座れない小さなベンチだけがホームの真ん中に鎮座し、少し先には雑草がうっそうと生え散らかしていた。

真っ青な空の下、まるで真夏の田舎の情景にしか見えないその駅のホームをiPhoneのカメラで収め、改札へ向かう階段を昇る。意外にも交通系電子マネー対応の改札に驚きつつ駅舎を出る。何もない。少し離れた所にスーパーマーケットが見える。既にぬるくなった水を一口飲み、炎天下を意味もなく歩く。

 手入れされていない雑草だらけの畑、水を張り稲を植える準備をしている田んぼ。その広大な田んぼの真ん中に聳える地主の物と思われる立派な家。私は生まれてからこういう風景の中で暮らした事は無いが、何故か懐かしさの様な物を感じられずにはいられなかった。生ぬるい風が私の頬を撫でる。ポケットからショートピースを取り出し火を付ける。自然の中で吸うタバコってこんな美味しいんだ。空気が美味しいのだろうか? そんな事を考えながらトボトボと歩く。いつもなら道端に投げ捨ててしまう吸い殻だが、道端の溝を流れる綺麗な水を見ると捨てる事に強い罪悪感を覚え、タバコの箱の中へ吸い殻を押し入れた。きっとポケットの中臭くなるだろうなぁ。

 暑い、限界だ。道端に設置されていた自販機でまた新しい水を買い、ぐびぐびと勢いよく飲む。時計は15時を回っていた。本当に何もせず1時間程この田舎道を歩いただけだったが、自分でもよく分からない満足感とすっきりした感覚を得る事が出来た。同時に都心へ戻りまたPCの前で配信者として働かないといけないのか、という感情も芽生える。あれ? 私って自分でやりたいと思ってVTuber目指したんじゃなかったっけ……。

 駅に着くとタイミング良く新宿行き電車に飛び乗れたので、そのまま家に帰る事にした。電車に乗った瞬間、私は眠りに落ちていた。

「次は終点新宿〜新宿〜〜」

車内アナウンスの声でハッとし起きる。乗った時は心地よく感じた冷房の冷気は私の汗と共に体温を奪い去り、寒いだけの嫌がらせにしかなっていなかった。

また人に溢れる新宿に戻って来てしまった。KIOSKでボディシートを買い、トイレで顔や身体を拭く。それから駅を出て何か食べて帰ってもいいかな、等と思いながら東口をブラブラする。全く人間が活動自粛しているとは思えない人混みに少し吐き気すら覚える。その時、後ろから肩を叩かれる。

「あ、やっぱりハル先輩だ!」

「え?」

声を掛けてきた子がマスクを取りニコっと笑顔を見せる。渕梨リンゴの中の人、松前悠だった。

「お一人ですか?」

「あぁ、うん」

「どっか行くんですか?」

「いや、特に決めてない……」

「はぁー。何か食べに行きません?」

「あぁーうん」

そうして彼女に乗せられるがままオムライスを専門に扱っているらしい店に足を運んでしまった。

「ここ来てみたかったんですよねぇ〜。んふーまさかハル先輩と一緒に来られるなんてっ」

彼女は上機嫌そうにニコニコしている。彼女には嘗ての自分を重ねている部分もあったが、こうして私なんかに親しくして来る事に、どこか古谷あかりの様な雰囲気も感じる。

「おまたせしました〜」

と店員が料理を運んでくる。私はオリーブとトマトのソースのオムライス。彼女はホワイトソースのオムライス、それに2人ともセットでチキンスープも付いて来た。

「うわぁ〜〜美味しそう!」

最近の女子らしく、皿に手をつける前にそのオムライスをスマホの写真に収める。

私は小さく「いただきます」と言い、スプーンを口へ運ぶ。熱々のソースとトロトロの卵。トマトソースの酸味と卵・チキンライスの甘さが混ざり絶妙だ。思わず頬が緩む。そんな私を見て彼女も大きく一口頬張る。

「あっちゅ! でもウマ〜〜」

と感想を述べながら再びスマホを取る。

「あの、ハル先輩とご飯に来てるってツイートしても良いですか?」

「私は良いけど、そっちこそ今私とは絡むなって運営から言われてるんじゃないの?」

「ん〜、配信はNGって言われてるだけなんで、別に良いんじゃないですかね」

彼女はあっけらかんと言ってのける。強いというか図太いというか、私は思わず笑いそうになる。

その時彼女がTwitterを開き、アカウントを切り替える瞬間を見てしまう。彼女の声優としてのアカウントと渕梨リンゴとしてのアカウントは当然持っているだろうと思ってはいたが、切り替える瞬間、それ以外にも5,6個はアカウントを持っている事が一瞬見ただけで分かってしまった。彼女の闇を一瞬垣間見た気がした。

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