The girl who plays with the Raven §1
他人の膝の上で横になるなんて、何年ぶりだろうか。カイ……私の彼女になってしまった相川凛の、意外にも透き通る様な白の太腿の上に私が陣取る。さらりとした気持ちのいい肌と私の頬がくっついている。暖かい。彼女はルームウェアの黒いショートパンツに黒のタンクトップという出立ち。どれだけ黒が好きなんだ。
19時半を過ぎ、2人とも無言で怠けている。だが嫌な、居心地の悪い無言ではない。傍に彼女がいるという安心感、心地よさの様な暖かさに満ちていた、のだが。
「あの……優さん?」
「はい?」
「そろそろ足が痛いんですが」
「ああ、これは失礼凛さん」
私は一瞬起き上がるフリをして、寝返りを打つ。目の前に迫った彼女の腹部へ私は顔を埋める。彼女の匂いがする。
「いや起きないんかーい」
彼女の言葉を無視して、シャツをぺろとめくり上げお腹に噛み付く。意外にも無駄な肉は無く、皮膚とわずかな脂肪を前歯で捉え、その先にある腹筋に気付く。
「っ……ちょ、くすぐったい!」
「えっちな声あげないでください」
「はぁー?」
私が上を向き、凛と目が合う。本当に顔の良い女だ、と改めて思う。何故か彼女が戸惑ったような表情で頬を赤らめる。彼女は私にマウントを取りたがる癖に、少し攻めるとあっという間に崩れてしまう。
「かわいい」
「はぁ〜〜?」
私の脳内音声等全く理解している筈もなく、彼女はただただ照れている。こういう関係も、ありかもしれない。
優が帰り、一人ポツンとソファに横たわる凛。彼女の残り香を鼻腔の奥に感じる。スマホを取り出し、彼女が昨夜アップした『命に嫌われている。』を再び聴く。ちゃんと聴こうとヘッドフォンを取り出す。彼女の歌唱力は確実に上がっている。私と初めて一緒に歌った時からその片鱗は見せていたと思う。彼女と出会った日は昨日の事の様に覚えている。ヘッドフォンから入ってくる彼女の絞り出す様な、痛みさえ感じるシャウトが琴線に触れ、同時にとめどない涙が溢れる。
私は彼女が好きで堪らない。
『夢も明日も何もいらない。君が生きていたならそれでいい。』
1分近くあるアウトロのピアノが尚更感傷的にさせた。
2月に入り、珍しく1-3期生全員でオンライン上での打ち合わせが行われた。
『あーみなさんお疲れ様です』
開始時間の11時となり奥山が切り出した。各々お疲れ様です〜。等と答える。
『えーとですね、今回皆さんに集まっていただいたのは、次の企業コラボについての案内です』
おぉ〜と何人かが言った。
『今回はですね、『株式会社アールエンターテイメント』さんとのゲームコラボレーションになります。ではすいません、吉田さんよろしくお願いします』
そう奥山が右に向かって言うと、一人の男性が奥山に代わり画面上に登場した。
『皆さん初めまして! 株式会社アールエンターテイメント広報の吉田と申します。よろしくお願いしますー!』
「よろしくお願いします〜」
ハッキリ顔を覚えていた訳ではないが、恐らく先月矢崎と舞波メロンとで打ち合わせをしていた人物だろうと思った。
『今回はですね、弊社が運営しています『グランドスラム・レジェンズ』にですね、皆様をプレイアブルキャラクターとして出演して頂きたいと考えております。でですね、先日皆さんに送らせてもらった資料を見てもらいながら説明させて頂きたいのですが――』
グランドスラム・レジェンズとは、今流行りのアクションRPG系のアプリゲームだ。異世界を舞台に自分で育成したキャラクターを戦わせる、まぁよくあるゲームだ。だが豪華な声優やイラストレーターの起用、緻密に構成された世界観やストーリーで人気を博している。
その後も吉田さんからゲームについて延々と説明をされたが、つまりは私達のキャラクターと限定イベントを実装するので、声の出演をお願いしますという訳だ。
正直言ってギャラは今までの企業案件とは桁違いの額だ。声の出演と、今後行われるであろうイベント出演数件を含むにしてもだ。アールエンターテイメントは中国系の会社が出資してるお陰か、掛けている金額も違うらしい。
今日はその打ち合わせのみ行い、配信の予定も無かったのでだらだらと過ごす事にした。ゲリラで配信しても良かったが、ゲームにしろ何か話す事にしろ何もやりたい事が浮かばなかったので潔く諦めた。
『グランドスラムのギャラやばくね?w』
と浮かれているバカ女からDiscordでメッセージが送られて来ていた。もちろんその送り主は涼咲カイだ。
「バカ野郎、メッセージでそういう事を残すんじゃない」
と返信すると、スマホが鳴った。凛からLINEの着信だった。
「いや、電話してこいって意味ではなかったんですが」
『えーいいじゃん。どうせ暇でしょ?』
「まぁそうですが」
『じゃあまたウチ来る?』
「いやいや週何回行ってんのよ、通い妻か」
『えーケチー』
「今日の私は何もしないと先程決めたのだ」
『なんだぁ〜。にしてもさぁ、額ヤバくね?』
凛の卑しい笑いを堪えきれない声が伝わる。
「いやまぁそりゃ凄いけどさ。中国というか、外国の企業ってやっぱちゃんとお金掛けてんだな〜って印象」
『日本がタレントに対する扱いが酷いだけなんかな』
「さぁね〜。矢崎さんにどれだけピンハネしてんですかーって聞いて来て」
『それはヤバ! 流石の私でも聞けないわ〜』
「ま、そんなワケで今日は私完全オフになりますんで〜」
『はいはーい。ごゆっくり〜』
「あい〜」
通話を切り再びDiscordのチャット画面を見ると、先程の彼女のメッセージが送信取り消しされていた。可愛い奴め。
さて、大きな仕事も決まり優雅な休日でも過ごそうと思った。だが、考えれば特にしたい事も無い。何もしない、というのが贅沢な時間の使い方か? リフレッシュの為に近所の銭湯にでも行ってやろうかとも思うが、今の時期他人と密になるのは嫌だ。何より軽はずみに外出したが為に今流行りのウィルスに罹るなんて恥だ。車でもあったら気軽に人のいない場所まで遠出出来るのにな、とかも思う。そういえば今は暇になった人たちが多く自動車学校に通っているらしい。なんとも馬鹿らしいと私は思ってしまう。やはり今日は何もしない。適当に他の子の配信でも見ながら過ごそう。
V WIND入る前は、暇さえあれば六聞ミズホちゃんの配信のアーカイブを見返していたのに、今はまるっきりしなくなった。そう思いながら彼女のYouTubeチャンネルを開いた。つい昨日配信していた雑談放送のアーカイブを再生する。
『こんばんはー! みなさん聞こえてますかー?』
相変わらず可愛らしい声で、可愛いアバターを揺らしこちらを見てくる。最近は皆が様々な個性を出し始めた所為で芸人事務所などと揶揄される事もあるが、逆に最初から変わらないスタンスで活動するミズホは“不動のアイドル”等と二つ名が付く程までになっていた。いつ見ても本当に、全てが可愛らしい。彼女の“中の人”が努力し、彼女を彼女たらしめるカタチを形成している。素直にすごいと思う。ミズホの中の人、木古内葉子とはプライベートの部分まで触れ合った事は無い。同じ1期生の他2人ともあまり関わりを持たないらしい。彼女は自分のルールを守り、地位を獲得し守り続けているのだ……。
1年前と全く変わらない彼女の声を聴いている内に、私はいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。気づいた時には1時間半程が経ち、時計は12時45分を指していた。程よくお腹も空いていたので、カップラーメンでも食べようと思ったがストックを切らしてしまっていた。仕方がない、近所のスーパーにでも行くか。
最近はレジ袋が有料化された事もあり、私はダイソーで買った紙袋を持ち歩く様にしている。最初は1枚3円くらいなら買うわ、と決め込んでいたが、なんとなく洋画とかで見る紙袋を腕に抱えて持って帰るあれを真似したくなり買ってしまった。流石にその袋にフランスパンを刺して歩ける程の度胸は無いが。
カップラーメンやら菓子を買い漁り家に戻った。少し生活に余裕が出来て来た事もあり、500mlのクリスタルガイザーや350ml缶のハイネケンはAmazonで箱買いするようになっていた。少し割安だし、何より重い飲料をスーパーから家まで運びたく無い。そろそろ私が愛してやまないチーズカレーヌードルも箱買いするか。早速お湯を注いだチーズカレーヌードルが出来上がるまでの間Twitterを眺めていたら、音無イチゴの配信が丁度始まっていたので見る事にした。
『こんいちご〜。今日もマイクラ進めてくよ〜!』
もう彼女も完全に配信に、そしてVTuberとして活動する事に慣れた様子だった。もちろん彼女も、あっという間に中の人など特定されている。今では元々持っていたチャンネルで生身のYouTuberとしても普通に活動している。よくそんなに頑張れるもんだ。
『あ! ユイ先輩いるじゃーん! ユイせんぱーーい!!』
と元気に荒巻ユイにマインクラフトというゲーム上で絡みに行っていた。このゲームではV WINDの人間が遊ぶ為の専用サーバーを運営が用意しており、1-3期生全員がこのサーバー上でよく遊んでいる。荒巻ユイは配信はしていなかったが、一人で何か作業していた様だ。
『ユイ先輩、いま、何、やってるんですか』
とゲーム内のテキストチャットで話しかけていた。その瞬間『AramakiYuiは溶岩遊泳を試みた』という死亡ログが表示された。
『ちょ、先輩!? 大丈夫っすか!!!』
イチゴが爆笑しながらユイが死んだらしき場所に辿り着き、地面に散らばった彼女のアイテムを集めた。そこへユイのキャラクターが現れる。
『eritora.... kieta..?』
と半角入力のままユイが急いでチャットしたのが分かった。
『先輩…エリトラは…拾ってないっす…』
イチゴが泣き真似しながらテキストチャットを送る。このゲームでは、死亡した際にアイテムが地面に落とされるが、溶岩等にアイテムが触れてしまうと消えてしまうのだ。
『AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』
『yui no eritoraaaa』
『AAAAAAAA....』
という悲痛なユイの怒涛のチャットに、イチゴも視聴者等も笑いに包まれる。
『で、でも先輩! ステーキとか卵とか、土は回収しときましたんで!!』
『arigato....』
というユイのポンコツ具合からなんとも言えない撮れ高を生み出していた。
その後は2人で通話しながら突発的にコラボ配信を行い、ユイの巨大な家の建築を2人で協力していた。そんな仲睦まじい様子を見ながら私はラーメンを啜っていた。
やはり3期生メンバーは皆、配信者として能力が高い。イチゴに限らず3人とも特技を生かした配信も上手いし、先輩へ気軽に絡みに行ける。それに伴いもちろんファンも付いてくる。そのファンとの接し方・捌き方も上手い。既にプロなのだ。
「やっぱすごいな〜〜」
と口をもごもごさせながら、素直な感想を溢す。
3月5日。ゲーム『グランドスラム・レジェンズ』の音声収録の為に、都内のスタジオを訪れた。収録はスケジュールの合う人間でまとめて行く事となっており、一ノ瀬マリー、荒巻ユイ、渕梨リンゴ、そして私の4人とそれぞれのマネージャーとで向かった。控室は4人一緒の部屋で、軽くゲームの音声監督の方からゲーム性やストーリーを説明してもらって、イメージを掴んだ。特にイベントシナリオの音声は私達V WIND9人の掛け合い会話もある。今日居ない人のセリフは別撮りとなる為、相手がどういう風に喋るのか想像しながら録らなければならない。まぁ演出家が大凡の演技の目安は付けてくれるだろうが。
「マリ先輩のイラストめっちゃ可愛いですよね〜」
何気なしに一ノ瀬マリーへ話しかける。
「ねぇ〜! この服、ライブ衣装に欲しいよね〜」
「たしかに〜」
ゲーム用のキャラクターデザインが完成し、そのデザインが印刷されたプリントを皆で見ていた。
「というかこんな凄いコラボが来るとは思ってなかったよね〜」
「ですよねー。お金の掛け方とかハンパないですもん」
「矢崎さんのコネすごいですねぇ」
ユイも会話に混ざってくる。
「私はてっきりメロンちゃんのスポンサーだと思ってた」
私がこの前見た光景から推測を話す。と話している所へリンゴが割って入ってくる。
「あの、実はこれ私が……」
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