The girl who imbibes the Raven §2

 『私も七海さんの後輩になれて幸せです♡』

この一文を見て、私は鳥肌が立った。後輩に好かれているという優越感やそれらに類似した感情では無い。単純な不快感からだ。だが明確に何故不快感を覚えたのかが分からない。そしてどう返信して良いのかも分からずフリーズする。

「ねぇ」

カクテルグラスを手にカイが戻ってくる。なんだかトーンが低い。

「なに?」

私はiPhoneをロックしテーブルの上に置いた。その横に彼女はグラスを置き、ソファに座る私の上に覆い被さる様に近寄って来た。

「前の、返事……頂戴よ」

「え」

目の前5cm位まで迫った顔のいい女の声に脳みそが記憶を蘇らせる。去年末、私はこの子、相川凛に告白されてしまっていたのだ。時間を頂戴とその時は言ったものの、正直忙しくて全く返答なんて考えてもいなかった。私は正直にそう答えた。

「そっか……」

「ゴメン……」

ユイが浴びているシャワーの音と、アンプから流れるしっとりとしたロックミュージックが部屋を埋める。

「なんで優が謝るの。やっぱキモいよねレズとか。ごめん」

「いや、そういう事じゃ……」

でもユイには聞かれたく無くて少し声を小さくしてしまう。

「涼…凛ちゃんの事、私も好きだよ。でもそれは多分、友達として好きって事だと思う……」

飼い主に叱られた犬の様にあからさまに落胆し、彼女が私の左隣に座る。

「多分……?」

消えそうな声で訊いてくる。

「うん……だって、男の人とも1回しか付き合った事無いし、まして女の子ともそういうの無いし……私」

「じゃ、じゃあ、試しに付き合ってみるっていうのは!? イヤだったら別れて、またこの関係に戻ってさ……」

「え、えぇ〜……。あの、正直分からないんだけど。もし付き合ったとして、私達の関係は何か変わるの?」

「そ、そりゃあ……もっと親密に……こう……」

もじもじと顔を赤らめ言葉を詰まらせる。パンクロック少女が見せる乙女らしい仕草に私の中の何かの感情が昂ぶるのを感じる。

「じゃあ、こんな事したり……?」

そう私は好奇心に任せ身体を浮かせ彼女を向き、そしてそのまま近づく。

そして、唇を奪う。

「ッ!?」

彼女は更に顔を真っ赤にして、私を優しく突き放す。

「私酔ってんのかな、それともライブ後だから何か、ハイになっちゃってんのかな」

ぼそと言う。彼女は涙目のまま硬直している。シャワーの音がもう止まっている事に気付かなかった。

「……なんか優にリードされるのヤダ」

そんな子供っぽい口調で反発しながら、今度は向こうからキスしてきた。可愛い。

これが恋愛対象としての感情なのか、可愛い子をいじめるのが楽しくて湧き出る感情なのか分からない。でも、なんだかとても満たされている気がした。

「いいお湯でしたぁ〜〜」

部屋着に着替えたユイが浴室から出て来た。

「うおッ!?」

「フガッ」

ビクついて急に動いたカイの頭突きをもろに私の鼻に受けた。

「痛っ〜〜〜」

「ご、ゴメン!」

「何してるんですかー?」

「え?! いや、あのハルが熱あるっぽいとか言うから、こう、デコで測ってたんよ!」

鼻を押さえ悶える私を尻目にあたふたと言い訳を零す。

「ハルちゃん大丈夫ですか?」

「う、うん……。久々に飲んだからボーっとしちゃってるだけかも」

「もう寝ます?」

「いや、大丈夫だよ。私もシャワー浴びるわ」

「あ、シレっと順番抜かしすんなよ」

「病人なので優先されるべきだと思いまーす」

ソファを立ち上がり、ユイに私の表情は見えない様にしながらカイへウィンクを送ってやる。なんだか、いつに無く彼女の表情が輝いている様な気がした。


 シャワーを浴びながら、キスの味を思い出す。『凛ちゃんは私を見誤ってる。私はあなたが思う様な良い子じゃない。クズ人間に惚れているんだよ』そう言えたらなら良かったのだろうか。

 私がシャワーから上がると、2人はソファで深夜の元旦特有のお笑い特番を観ながら談笑していた。

「上がったよ〜」

「うぃ〜」

「ドライヤー借りるね」

「あぃ〜〜」

カイは結構なペースで飲んでいたらしく既に出来上がってる様だ。

私は冷蔵庫からもう1本ハイネケンの缶を取り出し、カシュッと開ける。一口飲みながら、カイと入れ替わるようにソファへ座る。

見ていた番組が丁度CMに入り、ユイはスマホを手に取り何かを眺めていた。私も机の上に置いたままだったチータラの袋を開ける。2人とも食べなかったのか。

チータラを咥えながら髪を梳かしていると彼女がスマホ画面を見せて来た。

「先輩、リプ来てますよ」

「うお、いきなり先輩呼び」

「癖ですね、へへ」

「その割にはきちんと使い分けてるみたいですけど〜?」

からかう様に彼女へ言い返す。画面には、先程私も見ていた渕梨リンゴからのリプライだった。

「あーこれね。返信するの忘れてた」

「もしかして、“ハルちゃん”に憧れて入って来たんですかね」

彼女は嬉しそうな顔をしてこちらを見てくる。

「んーどうなんだろうね。私がミズホ先輩に憧れていたのと同じ様な事が起きるのかな」

「仲良くなれると良いですね」

またニッコリとこちらを見てくる。そうだね、と返す。番組のCMが明け、うるさい芸人達の声で賑やかになる。

『可愛い後輩ちゃんよ、これからよろしくね』

キスを飛ばすふざけた絵文字を文末に添えて、適当に思いついた文を返信した。

「それ、本当に想って言ってます?」

ぐさりとユイが横から言ってくる。

「言うねぇ……。まだ会った事もない後輩ちゃんなんだから、とりあえず歓迎する雰囲気は出すべきでしょう? 私達と1期生の間みたいなヘンな軋轢は生みたくないよ」

「へぇ〜大人ですね、先輩」

彼女はニヤと悪い笑みを浮かべた。と思えば、急に抱きついてくる。

「ちょっ」

「ま、私の方が先輩の事好きですけどね〜〜」

「はいはい、可愛い可愛い」

「扱い雑ぅ〜〜」

 その後カイもシャワーから出て来て、また3人でソファで飲みながら話したり、テレビに向かってツッコミを入れながらダラダラと深夜時間を過ごした。ユイが一番最初にうとうとと睡魔に拐われてしまったので、カイのベッドに横にさせた。布団を被るとあっという間に気持ちよさそうに睡眠に落ちていった。彼女の為に部屋の電気も消してあげた。一方の私はシャワーを浴びた所為か眠気が来ずテレビをボケーっと眺めた。テレビの明かりが部屋を照らす。年末年始はこういう特番が夜通し流れているからどこか特別感がある。同じく私の左でテレビを眺めていたカイが身体を寄せて来て、不意に私の手を握って来た。何故かドキドキする私に、小声で話しかけてくる。

「ねぇ。私達付き合い始めたって事でいいの?」

「う、うん。まぁ……」

「まぁって何だ、失礼な」

そう言いながらまたキスをされ、ソファに押し倒された。

「ん……」

思わず息が漏れる。私の唇の間をすり抜け、凛の舌が這いずって入ってくる。受け入れた私の歯を撫で、舌が絡む。ウィスキーの淡い味がした。彼女が私のシャツの下から中へ手を這わせてくる。

「ちょっと、急にがっつきすぎ!」

一旦身体を離し、小声で抵抗する。

「だって、優が堪らなく欲しいんだ」

「……ばか。可愛い」

思わず本音が漏れる。暗くて分からないが、また凛は赤面しているに違いない。自分から攻めて来る癖にやり返されるとたちまち崩される。そんな可愛い子犬の様な彼女を、私は静かに受け容れた。


 翌日は3人とも昼過ぎまで爆睡し、ようやく起き上がりダラダラとみんなで部屋を片付け、私とユイはカイの家を後にした。

「先輩、どこか寄って帰ります?」

「いや〜こんな荷物だし。それに今夜の配信の準備何もしてないんだ。ごめん」

「了解です〜。また今度カフェでも行きましょ!」

「うん」

 駅で別れてから電車を乗り継ぎ、最寄駅まで数駅という所まで来た。元日という事もあり電車はガラガラだ。去年は流行したウィルスや、それに伴う緊急事態宣言が出たりと何かと外に出る事に対して敏感になっていた。マスクを着ける事も当たり前の様になり、街中で皆がマスクを着けている光景はどこか異様だ。学生時代、電車内の皆がイヤホンを着け、スマホを眺めている光景を見て異様だと感じた事もあった。これが昔の人々が描いた未来の図なのだろうか。

ふと左側に座っている20代位の男性がYouTubeを見ているのがチラと見える。何を見ているかまでは分からなかった。だがこういう風に私もあちこちで見られているのだろうか、と想像して少し優越感に浸る。「私YouTubeの登録者数50万人居るんですよ」なんていきなり話しかける程常識外れでは無い。が、たまに誰かに自慢したくなる時もある。実際、VTuberの中の人です、なんて言っても全く何の自慢にもなりゃしないんだろうけど。

 漸く自分のアパートへ辿り着き、だァーーーと色々な感情が含まれた大きな息を吐き出す。

「ただいま」と一人静かな部屋に向かって言う。ここまで引き摺って来たキャリーバッグの腹を玄関で開け、袋に溜めていた洗濯物を取り出す。今着ている服も全て脱ぎ捨て、洗濯機へ叩き込み洗い始める。そのままベッドに飛び込み、脱力する。

「あぁ〜〜」

と声とも言えない音を喉から出し。唇に、胸に、股に、身体中に、昨日の彼女感触が残ってる気がする。ヒトと付き合うのって、大変だ。


 1月7日。ライブの余韻も程よく抜けた頃。今流行りのオンライン会議ソフトを使用し、V WIND3期生との顔合わせが行われた。V WINDプロデューサーにして、運用しているウィンド株式会社代表の矢崎竜。統括マネージャーに昇進した奥山優子。そしてV WIND所属のVTuberの中の人全員。という言い方はダサいのか知らないけど、会社では一丁前に“タレント”と呼ばれている。

矢崎から3期生メンバーの紹介と、それぞれ自己紹介が行われた。そして彼女らのデビュー配信を9日土曜日に行う事が告られた。

 正直言って、私達1・2期生の人間達は、この強大な後輩達を恐れた。

『松前 悠(マツマエ ユウ)』。この私に愛のリプライを送って来た『渕梨(フチナシ)リンゴ』の中の人。声優学校在学中にも関わらず既にアニメ数本へ出演し、既に一定数ファンも居る将来有望視されている声優の卵だ。

『川尻 愛美(カワジリ マナミ)』。『音無(オトナシ)イチゴ』の中の人。現在YouTuberとして既に生身で活動中であり、チャンネル登録者数も20万人を誇る。イギリス人の母と日本人の父の間のハーフで、その美形を生かしモデルとしても活躍していたらしい。なんでこんな人がVTuberを目指すんだ。

そして『石田 瞳(イシダ ヒトミ)』。コイツが一番“ヤバい”。『舞波(マイナミ)メロン』の中の人だが、去年末までとあるゲームのeSport日本代表チームとして活躍していた。現在彼女個人での活動はしていないが、圧倒的人気を誇っている。更にゲーム関連企業のスポンサー数社も引き続き持っており、このV WINDと連携して行く算段の様だ。

 VTuberの中の人の“前世”等としてネット上では執拗なストーキング行為や、昔の身内からの情報が漏れて個人を特定される行為が多々発生しているが、この3人にしては公然の秘密の話。ネット上で活動する為に、まさにアバターとしてV WINDの威を借りるだけに過ぎないのだ。

 火を見るよりも明らかだ。彼女らは一躍有名になり、瞬く間に私達を追い抜かして行くだろう。表向きは和やかにこの顔合わせは終わったが、みんなはどう思っているんだろう。

14時を既に回っており、カップラーメンでも作ろうと電気ケトルで湯を沸かし始める。キッチンでiPhoneを取り出す。Discordに1件通知が来ていた。渕梨リンゴからメッセージが来ていた。

『お疲れ様です! 今通話出来ますか?』

というシンプルな一文だった。「お疲れ様〜いいですよ〜」と軽い文章で返す。

カチッとケトルが沸騰した音がした。チーズカレーヌードルにお湯を入れ、画面上の時計をチラと見る。おまけにマグカップにティーパックを入れ、紅茶も淹れる。

そこへリンゴから着信が来た。そのままiPhoneで通話に出る。

『あ、お疲れ様です! 渕梨です! リンゴです!』

可愛らしい声が意気揚々と話し出す。

「あ、どうも……。七海です」

『すごーい! 本物だ〜〜!』

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