The girl who imbibes the Raven §1

 那賀見優は公園のブランコに腰掛けていた。青い支柱に二つぶら下がったブランコ。の、右側。

正面から観ているアンタからすれば左側。平日の昼間に成人女ひとり。GUで買った黒いシェフパンツに、GUで買った黒いパーカー。下品に股を広げ鎮座し、ハイネケンの缶を左手に握り、無駄に青い12月の空をぼけーっと眺めている。白い吐息が、空色に溶け混じる。


 私は、何をしていたんだっけ。


× × ×


 2020年12月31日から2021年1月1日へ。年と日付を跨ぎ尚も那賀見優は踊り、モニターに映る七海ハルもそれにシンクロし舞台上で踊っている。モニターの中の彼女は、白を基調とした華麗なドレス衣装を纏い、正にアイドルと言える可憐さだ。一方の私は、いつものダンスの練習着にトラッキング用センサーを着けているだけのこれまで全くのダンス経験もないただのオタクだ。ダンスもこのライブの為に2ヶ月程前から習い始めた付け焼き刃に過ぎない。幸いにも、古谷あかりと相川凛もダンスの経験は無く、実力差はそこまででは無い。だが1期生の3人は流石に数度のライブを経験しているだけあり、差は歴然だ。

 今回のV WIND年越しライブは、今の情勢を鑑みて実際のライブ会場は使用せず、スタジオからのインターネット配信のみのライブとなった。視聴者から見れば、3DCGで構成されたライブ会場に、私たちのアバターが立ち、歌っている様に見える。更に曲に合わせ背景や、会場自体を変えてしまう事も出来る、フルCG舞台の配信だからこそ出来る強みだ。だが1期生1周年記念ライブの時のような、ARによる実際のライブ会場へのアバターの投影とは違う為、あたかもそこに私たちが居るようなリアルさは欠ける。

 一年前の今頃。私はV WINDの1次オーディションに受かり浮き足立っていた頃だろうか。ふとそんな事を思い出す。まさかたった一年後にこんな事をしているなんて想像もつかないだろう。私は自然と笑ってしまう。ダンスも歌詞も身体が覚えている。こんな過去の思い出に浸りながらでも歌える。その間にも曲がフィナーレへ近づき、1・2期生全員が横一列に並ぶフォーメーションへ移動する。

そして曲が終わり、堂々とポーズを決める。

「「「ありがとうございましたーッ! 今年もよろしくお願いしまーーーすッッ!!」」」

 全員でそう叫び、アンコール曲を締めくくった。ライブ配信が終わった合図を告げる赤いランプが消灯し、皆が舞台袖へはけようとしたその時、舞台正面下や袖で構えていたスタッフ達が『待て』と仕草で指示する。イヤモニからも「皆さんまだはけないでください」と声が聞こえた。あぁ、去年私がPCの向こうから観たのと同じ事が起きようとしているのか。燃え上がっていた気持ちは一瞬で冷め、意外にも私はアッサリとその現実を受け入れた。それは1期生の面々もそうだったように思えた。

視聴者が観ているライブ映像は真っ黒の画面に切り替わっていた。

『重大告知!』

その四文字が画面上にデカデカと表示される。

『常に進化するV WIND――。我々は新たなる風を受け、次なる高みを目指す――』

ナレーションの声優が意気揚々と謳い上げる。何“我々”なんて言葉を使ってくれているんだ、と心の中で愚痴る。去年とは別の声優だが、聞き覚えのある声で大御所である事は分かった。コメントでもその声優に対して興奮している投稿も散見する。横では古谷あかりと相川凛が舞台正面に設置されたモニターを呆然と見つめていた。

『V WIND3期生、活動開始ィーーー!!!』

新たに加わる“3期生”3人のシルエットが浮かび上がる。

『うおおおおおおおおお』『きたあああああああああ』等とコメントも盛り上がりを見せ、ライブ配信はそのまま終了した。


「皆さん、ライブお疲れ様でした! 今年もよろしくお願いしますね」

去年からV WINDのマネージメントを統括する立場に変わった奥山優子が舞台上へ現れ、私達へ挨拶した。

「また去年と同じ様な形で“後輩”のデビュー発表をしてごめんなさいね。でもこれから、どうか仲良くしてあげてね」

正直、どう反応して良いか分からなかった。他の5人も同じだった。舞台上に立ち尽くし、軽く頷いたり、小声でわかりましたと答えるくらいだった。

「分かる? これが私達が去年味わった屈辱よ」

奥山が退がったのを見計らい、1期生『三葉ピース』を演じる久根別莉子が私達2期生へ向かい言葉を放った。

「ピーちゃんやめなよ……」

同じく1期生『一ノ瀬マリー』を演じる上磯真紀がピースの肩に手を置き制止する。

1期生“不動のアイドル”『六聞ミズホ』を演じる木古内葉子は、静かに舞台袖へ消えて行った。それに続き2人も去って行った。私達2期生の3人は呆然と舞台上に取り残された。私達の確執は根深く、遺恨を持ったままだった。同じ確執が私達と3期生の間にも生まれ始めているのだろうか。

周りでは慌ただしくスタッフ達が機材の撤収作業を始めていた。


 楽屋へ戻り、3人静かにトラッキングツールを外したり、軽食を摂ったり各々していた。とてもライブの後とは思えない重い空気だった。

私は先に服を着替え終わり、置いてあったクリスタルガイザーを飲みながらiPhoneを取った。ツイッターを開き、とりあえず『ことよろ! 最高のライブをありがとうございました!』と感謝のツイートを忘れずしておく。そして次にV WIND公式アカウントが早速紹介していた“3期生”3人のアカウントを開き、それぞれフォローする。いや正しくは、既にフォローされていたのでフォローバックした。

 『渕梨(フチナシ)リンゴ』、『音無(オトナシ)イチゴ』、『舞波(マイナミ)メロン』、と何故だか良く分からないがフルーツ系で名前が統一されていた。どういうネーミングセンスなんだ。皆それぞれ最初のツイートを行なっており、それらをリツイートする。『後輩が出来る日が来るなんて……お姉さん嬉しいよ……』と号泣している絵文字も文末に付け、いつも通りオタクっぽい反応を示しておく。当然の如く瞬く間に拡散され、リプライが数珠繋ぎの様に付く。いつもの光景だ。

「はぁ〜〜」と露骨に溜息を吐き、iPhoneを机へ投げ背もたれに身体を任せる。

「“ハルちゃん”、この後少し飲みません?」

着替えを終えた荒巻ユイを演じている古谷あかりが聞いてくる。彼女は私の昔の同じバイト先の同僚だ。私の本名も当然知っているし、前は『先輩』等と呼んできていたのに呼び方を間違えない辺り、意外に抜け目ない頭の良い女だと思う。

「昨今の状況を鑑みて我々は〜〜」

政治家風の語り口ではぐらかそうとする。

「とか言ってハルちゃん、ビールが待ち遠しいでしょ〜?」

ニヤニヤと笑いながら同じく2期生の涼咲カイを演じる相川凛も話しかけてくる。

「まぁ〜〜そうですけど?」

「飲まなきゃやってらんねーよ!」

「らんねーよ!」

3人して下らない会話をし、笑い合う。こんなどうでもいい事の方がよっぽど私にとっては大事に思えて、愛おしく感じる。

「じゃあ行くか〜。マネちゃんお店取ってたりするかな?」

「というか今どこも時短営業じゃね?」

「涼ちゃんちで宅飲みしよーよ」

等と話しているとドアをノックする音が聞こえ、一人の女性が入ってくる。

「ハルちゃーーん! ライブめっちゃ良かったよ〜うわァァ〜〜ん!」

楽屋に入るなり私に抱きついて叫んだり泣いたり忙しい女だ。私専属のマネージャー、ミーちゃんだった。

「よしよし、ありがとありがと〜」

頭を撫でながら一応感謝しておく。何故か同期から羨む様な目線を感じた。

「ハルちゃんほんっと今日最高だったよぉ……ダンスも声もベストアクトって感じだった!」

「いやいやベストって、まだステージ3回しか立った事ないんですけど」

「いやいやいや、そうにしても最高だったって事よ! これからもバンバンマネェィジメントしていっから、私に付いてきなッ」

グっと親指を立ててなんだか鼻高そうにしているので、相手を肯定してあげることにした。彼女は無駄に熱い想いを一通り吐き出した後、そうそうに撤収の手伝いの為に楽屋を後にして行った。

「ミーちゃん、ほんとハルちゃんの事好きだよね〜。いいマネージャーさんだなぁ」

「私もなでなでして〜〜」

2人がそう言いながら私に抱きついて来た。

「暑苦しい! じゃあとりあえず挨拶して出ようぜー」

「「さんせ〜」」

気怠女3人衆こと私達V WIND2期生組は1期生の面々や、スタッフ達に挨拶を済ませ早々にスタジオを後にした。時計は既に2時を回っていた。


 タクシーに乗り込み、スタジオから一番近いカイの家に2人とも行く事にした。彼女のアパートの近所のコンビニでタクシーを降り、店内を物色する。

ああ、私も一年前はこう深夜のコンビニで一人レジに立ったりしていたな。レジに気怠そうに立っている40代くらいのおばちゃん店員を見ながら思う。あのままコンビニに勤めていたら、私もこんなおばさんに成っていたのだろうか。

「ハルちゃんなんか食べ物買う?」

「んー、チータラ」

「酒飲み〜」

「うるせー」

ユイの頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でる。ただのじゃれあいだ。同じコンビニでバイトしていた時は正直全く関わりがなかったのに、まさかこんな形で同じ職に就き、そしてここまで親密に接する様になるとは。

「どんだけ買うんだよ!」

カイが持つカゴに2人でどんどん酒やら菓子を放り込む。

「いいじゃないかいいじゃないか〜」

「そーですよ、パーっとやりましょうよ!」

「どうせ涼ちゃんの家、ウィスキー位しか置いてないでしょ?」

「何故知っている」

「うわぁマジだった」

下らない会話でまた笑い合いながら漸く会計を済ませ、カイの家へ向かった。


 カイの家に漸く辿り着き、家に上がる。

「うわ、っぽいわ〜〜」

第一声にそう発してしまった。なんだよぅ……と家主は顔を赤らめている。だって仕方ない。黒系で統一された家具に、壁に所狭しと飾られたバンドやライブ等のポスター類、Tシャツ、タオル。無造作にスタンドに掛けられたエレキギターとベースギター。適当に積まれている服やアンプ類。棚、更にはクローゼットにもビッシリとCDやレコード、バンドスコアが並んでいる。

ここまでバンドマン“っぽい”部屋だったとは。笑うしかないじゃないか。いや、彼女は音楽に全て捧げ生きているのだ、笑ってはいけないだろうが、いや笑ってあげよう。

「すご〜……」

とユイは感嘆を漏らしながら興味津々に部屋中を眺めている。

「まぁまぁ……こちらにどうぞお二人さん」

とカイが大根演技で3人掛けのソファへ誘う。もちろんここも革ソファだ。彼女は部屋に鎮座する巨大なアンプの電源を入れ、お気に入りなのか、今の雰囲気に合うCDなのかを選び再生しだした。音は小さめで。

「ほらほらユイちゃん。とりあえず乾杯しますよ」

私はローテーブルの上に買ったものを出しながら言う。

「私これ〜」

「じゃあこれ〜」

とそれぞれ缶を選び、缶を開ける。プシュッと心地いい音が響く。

「それじゃ、乾杯しよー」

「クソみたいな運営と先輩に!」

「ちょ、涼ちゃん言い過ぎ!」

「クソに乾杯〜〜!」

「うわ〜!」

「ことよろー!」

「ことよろー!!」

馬鹿みたいにはしゃぎながら乾杯する。すぐに深夜だった事を思い出しスっと静かになる。が、笑いを堪えきれずに3人してゲラゲラと笑ってしまう。なんて楽しい時間なんだ。勿論私はハイネケンを喉に流し込んだ。キンキンに冷えた液体が腹へ落ちていくのを感じる。

「カァ〜〜〜ッ!」

「うんま〜〜」

「ポテチぽてち〜〜」

「この一杯の為にVTuberがんばってるわ〜〜〜」

「ハルちゃんおっさんやん」

「言うほど頑張ってるか〜?」

「ヴッ」

涼咲の一言にダメージを受けたようなフリをする。ジョークだと分かっている。だが、少し心に刺さった様な感覚がした。

「2人共シャワー浴びる?」

「浴びる〜」

「家主が先に浴びなよ」

「いやいや、お客様優先でしょ」

「アラ、意外と常識ありますのね」

「うるせぇ、じゃあハル一番最後な」

「アッ」

「ユイ、先入っちゃいな」

「涼ちゃんありがと〜」

にへら〜とユイが笑い、それに釣られてこっちまで笑ってしまう。

そこからユイが1本目の缶を空けるまでこれまでのライブの練習の事や、運営の愚痴、3期生の事をダラダラと話し、彼女が一番風呂を頂きに浴室へ消えた。

カイもキッチンで自分の飲み物を作り始めたので、なんとなくiPhoneからTwitterを眺めた。先程私が投稿したツイートに、3期生『渕梨リンゴ』からリプライが来ていたのに気付く。


『私も七海さんの後輩になれて幸せです♡』

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