第36話 死角


 ミン・ジウは、シャンデリアを粉々にした銃弾は、他とは違う方角から飛んで来たと感じていた。


(スナイパーは2人? バスルームに撃ち込まれた角度も微妙に違う気がするけど……3人?)


 アッシュも側近の男も、それに気が付いていた。なので、余計に身動きが取れずにいた。


 その時、家の外で乾いた破裂音が響く。


 何度かその音が聞こえ、庭の倉庫に武器を取りに行ったはずの男達が「うわっー!」と、駆け戻って来る。


 血のにじむ手を押さえる者もいた。


「どうした⁈」


 トーイは身を乗り出して聞く。


「銃を抱えて家に入ろうとしたら……」

「銃撃されました!」

「突然、銃だけはじき飛ばされて。拾おうとしても、また弾き飛ばされて……拾うこともできませんでした」


 絶句するトーイとは違う意味で、アッシュは言葉を失っていた。


 庭の倉庫から玄関までの動線は、明らかにリビングを狙うライフルから見える位置ではない。


 ということは、その方角にもスナイパーはいるということを意味している。


「いったい……何人、配置しているんだ……」


 アッシュの低い声に、男達の一部は、やっと状況を把握した。


「アジトが取り囲まれている?」

「なぁ、どういうことなんだ? 誰か分かるように説明してくれよ」

「だから、この女の仲間が……で、合っているんだよな? アッシュ?」


 アッシュは、そうだと頷いた。


 苦々しく謎の女に視線を移す。


「お前を取り戻すために、お前の組織の人間が本格的に動き出した……で、お前の解放が目的なんだな?」


 あんな金の亡者は知らないし知りたくもないと、声を大にして言いたいが、話がこじれるので飲み込んでおくことにする。


「まあ、そうですね。気を利かせてくれたというか、ここぞとばかりに恩を売りに来たというか……」

「はあ⁈」

「いえ、こちらの話です。では、分かって下さったようなので失礼します。あ、服が……」


 自分では決して買わないハイブランドのニットワンピースを、スレイポウのシャワールームで脱いでから、すっかり忘れていた。


「着替えて来ます」


 そう言って、2階に駆け上がる。が、ミン・ジウはその廊下で歩みを緩めた。


(あれ? もしかして、2階は死角かも……?)


 2階でトーイの傷の手当てやスレイポウのアイドル談義を聞いていた時は、銃撃を受けなかった。


(いや、あの時は、まだ私の居場所を把握していなかったから。だよね? 危険な目に遭っていなかったから? おや? もし、私を守るスナイパーから見て死角なら、2階にいるのはヤバ……)


 背後に気配がして振り向くとアッシュの側近の男が階段から顔を出していた。


 獲物を狙う、その恐ろしい表情に背筋が寒くなる。


 ミン・ジウはスレイポウの部屋に逃げるように入った。


 ドアを閉め、背中で廊下の気配をうかがう。


 側近の男の大股の足音は、やはりスレイポウの部屋の前で止まった。


(失敗した……先に死角の場所を確認してから動くべきだった)


 唇を噛んでも、もう遅い。


 アジトを穴だらけにして、武器を使い物にならなくされた以上、自分は正真正銘、間違いなく敵で、確保されれば立派な人質になってしまう。


 側近の男は、アジトを囲まれたと気付いた時点で退路を考えたに違いない。だから、スナイパーに撃たれないようにふところから手を出し、ゆっくりと階段を登って来た。


(あの男よりも先に死角を見極めて、そこに入らないようにしなくては……)


 さすがアッシュの側近と、心の中で褒めてみたものの、冷や汗が止まらない。


 部屋の主人であるJKスレイポウは、大きなヘッドホンを付けてノリノリで音楽を聴いていた。


(この音漏れ……妄想男の曲だ)


 息子の父親が所属するアイドルグループが数年前に出したアルバムのタイトル曲だった。


 懐かしいなぁと、思わず音漏れに聴き入ってしまうが、そんな場合ではないと頭を振って窓に目をやる。


 スレイポウの部屋のカーテンは閉め切られたままだった。


(高周波信号を使えば丸見えなんて威勢よく言っちゃったけど、人が、そんな高価な物、用意してるかなぁ)


 息子の父親の雇い主である芸能事務所の代表は、頼りになる分、金にはうるさい奴だったと、めちゃくちゃ不安になる。


(この部屋はカーテンを開ければ射程内に入るはず……)


 スレイポウに断りを入れず、ミン・ジウはカーテンをえいっと開いた。


「ちょっとー! まぶしいじゃない! この子達が日焼けするから閉めてよー!」


 スレイポウはアッシュに買ってもらったばかりの写真集を伏せ、部屋中に散らかるアイドルグッズを指した。


(この子達って……)


「あの、着替えをしたいのですが。私の服はー……?」

「あんたの汚い服? 洗濯機に入れておいたわよ?」


 スレイポウは、そう言ってカーテンを閉めてしまう。


(ああ、カーテン……もういい。とりあえず着替えよう)


「スレイポウ、洗濯機はどこですか?」

「そこのシャワールームの隅よ。あ、ストッキングはビリビリだったから捨てちゃったわよ」


 スレイポウは大音量のヘッドホンを首に掛け直し、アイドルの写真集を手に持って顎で指す。


「はい、はい、どうも。しかし、自分の部屋に洗濯機とは贅沢ですね」


 一人暮らしじゃあるまいしと、思う。


 すると、スレイポウはキッとにらんで来た。

 

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