第34話 威嚇


 ミン・ジウは「ふーん……ケガはないようですね」と、一瞥いちべつしてキッチンに戻ろうとする。


「ま、待て!」


 側近の男が立ち上がった、その瞬間、後ろの額縁にビシッとヒビが入る。


 ミン・ジウが銃弾の飛んで来た方向を見ると、リビングの窓ガラスに2カ所、穴が開いていた。


 庭のプールを越え、塀を越え、そのさらに向こうを見据みすえる。


 晴れ渡った青空に、乾いた薄茶色の山が連なっているのが見えた。


(2キロ以上あるか? お見事ですこと。威嚇に変わったということは、私の指文字が判読できたのか……)

 

 この時間差の意味を考える。


(韓国語のモールス信号は使えても指文字を理解する者が現場にいなかった……なるほど、射殺命令が出ていたからアッシュを殺そうとし、その後、私の指文字を読めた者がスナイパーに伝えたってところか……)


 “コロスナ” と言った、指の動きの画像を雇い主に送り、それを見た雇い主が “殺すな” と、命令を変えた。


 その雇い主とは韓国にいる代表しか考えられない。


 そんなことを考えていると、ふと、アイスクリーム店の駐車場での光の点滅が頭の中によみがえる。


 そのまたたきを繰り返し思い出していると、文字が見えていた。


(タ・イ・ヒ・セ・ヨ? 退避せよ! 英語だと思ってたじゃーん。分かりにくいなぁ)


 そうかあの時に逃げる選択肢もあったのかと思いつつ、しかし、それが正解だとはどうしても思えないと頭を振る。

  

 それよりも、絶対に、ヘリオグラフを読み取れなかったバカとののしられる。それどころか、無駄な弾を使わせやがってと、請求書を送り付けてくる可能性が大だ。


 息子の父親が所属する芸能事務所の会社代表は、そういう性格だとイヤというほど知っていた。


 その時は、分かりにくい信号を送って来たそっちのミスだと反論してやると、人知れず理論武装を終わらせた。


 一方で、アッシュの側近は口と目を開いたままキッチンの入り口から身動きが取れずにいた。


 どこから撃たれているのか分からない状況で動けるはずがない。敵はこちらを見ているのに、自分は、まるでヘビににらまれたカエルだ。


 いや、ヘビが見えている分だけカエルには逃げおおせるチャンスがある。それが自分にはない。


(どこから、誰が……)


 この場所が射程内であることは一目瞭然だった。


 移動するために、ゆっくりと腰を伸ばすと、謎の女は「あー、ちょっと」と、止めた。


「その手、上着から出した方がいいですよ。武装しているのが丸わかりだし」


 側近は、それがなんだと、言い返す。


「あれ。さっきトーイは撃たれなかったと思いませんか?」

「ああ、そうだな」

「なぜだか、分かります?」

「いや……おそらく、装填のタイミングにあたっただけだ」

「ブブー、ハズレです。トーイは武器を持っていなかった。武器を持ち、私に近づく人間を狙っているのですよ」


 側近の男は、頭の中では饒舌じょうぜつに疑問を吐き出しているが、そのあまりの多さに口から出て来ない。


(誰が。どこから。なぜ。外れたのではなく、外した⁈ そんな芸当ができるのは何者だ⁈ この女は⁈)


 ソファーに座り込むアッシュが顔面蒼白な理由だけが理解できた。


 女が窓の外に合図をすれば、ここにいる全員が蜂の巣にされる。


 側近は得体の知れない奴らに対抗するために頭をフル回転させた。


(この女を盾にしてカーテンを閉めれば……)


 声に出してはいないはずが、ミン・ジウはキッチンに戻る足を止めた。


「今、カーテンを閉めればいいって思いました? 無駄ですよ。高周波信号で透視されれば壁越しにでも居場所は知れてしまいますからね。対物たいぶつライフルで、こんな壁くらい貫通して撃たれますよ」

「お、お前もな……」


 絞り出されたこの言葉にミン・ジウは、声にこそ出さないが大口を開けて笑う。


「保護対象者の居場所を確認しないわけがないじゃありませんか。女性は私とスレイポウだけ。私の方が身長があるので判別しやすいでしょうね」


 ニーッと口角を上げる笑顔に、悪寒が走る。


 ゆっくりと上着から手を出し、アッシュと同じように顔面蒼白でリビングに戻った。


「花瓶、誰が割っちゃったの?」


 スレイポウはアイスのスプーンをくわえながら無邪気に聞いた。


「名前は分かりませんが、スーツの背の高い方です」

「ふーん、誰だろ。ま、悪趣味なのばっかりだから、スッキリするわ」

「そうですね」

「そうですねだって! 人のウチなのに、ひど〜い!」

「あっ! さっきからスレイポウの誘導にハマりまくってます!」

「アハハー!」


 スレイポウは食べ終わったアイスをゴミ箱に放り投げ、一緒にアイドルの動画を見ないかと誘う。


 ミン・ジウは今度は笑顔で首を振った。


「宿題をしてからにして下さい」

「ちぇー、ママみたいなこと言うー」


 スレイポウは口を尖らせて2階の自室に戻って行った。


(さて、アイスも食べたし。そろそろ帰らせてもらおう)


 ミン・ジウはトーイに向き直る。


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