2話 まるで空気のように

俺は渋々高校の制服に袖を通し、食パンを咥えて自転車に乗った。

ペダルを漕ぐ足にめいっぱい力をいれる。

……だが、どう足掻いても学校の開始時刻に間に合うはずがない。それこそ某アニメのトンデモ道具がない限り。


俺は人から注目されるのが嫌いだ。


遅刻して、クラスの教室の扉をガラッと開けたとき……思い出しただけで鳥肌が立つ。

知り合いから向けられる視線ほど苦手なものはない。

だから、俺はいつも無遅刻無欠席の人だけが貰える賞である、皆勤賞を目指してきた。できる限り目立たないように、平凡に生きてきた。でもまさか、遅刻してしまうなんて…


はぁ、とため息をつく。

遅刻するくらいならいっそこのまま欠席してしまおうか、なんて考えが頭によぎったとき、焦げた匂いが鼻先をかすめた。


____火事だ。


黒い煙が風に乗ってここまで来ている。

俺はなぜか煙が漂ってきている方向にハンドルを切った。こっちに行かなくてはならないと、謎の使命感が俺を支配している。まるで最初からそれが目的だったみたいだ。


……俺はさっき見た悪夢を思い出した。焼かれるような感覚、熱さ、痛み……


俺は少し、嫌な予感がした。


曲がり角を曲がった先には、メラメラ燃え上がる一軒家があり、熱風と煙の匂いがあたり一面にたちこめていた。

消防車も3台到着していて、消防隊員が消化する為のポンプをせっせと運んでいる。


「まだ、中に息子がいるんです!行かせてください!!」


道の中央辺りから女性の声が聞こえた。

視線を声のした方に向けると、毛先が少し焼け焦げている女性が消防隊員に抑えこまれていた。


「……ここまで燃えていては……建物の中に入ることは命を投げ捨てることと同じです」

「ううっ…奏斗……奏斗……」

消防隊員に諭され、ポロポロと涙を流す女性。その女性が呼んだ奏斗、という名は聞き覚えがあった。



……どうしてだ、そんな名前の知り合いはいないはずなのに。


俺の心臓がバクバク音を立て始める。

誰だ、奏斗ってやつは……


知らないのに、どうしてこんなに胸が締め付けられる感覚がする?

俺は胸のあたりを抑え、自転車を止めた。


目のあたりから何かがこぼれる感覚がして、ふと手で目のあたりをこする。


……俺、泣いている。


知らない人が、燃えている建物に取り残されている状況で…どうして俺が泣くんだ……?

意味がわからなかった。


だめだ、ここにいては、俺がおかしくなってしまう。再び自転車のハンドルを握り、俺は学校へ行こうとした。


しかし……


《僕のこと忘れちゃったの……?助けて、お兄ちゃん!!》


脳内に流れ込んできた声。

その声は紛れもなく、"弟"の声だった。


俺に弟なんて存在しないはずなのに。



俺は一人っ子で、親は共働き。そのせいで、親はほとんど家にいない。


俺は孤独の中で生きてきた。


なのに……

なのに、どうして涙が止まらないんだ…


俺は、自転車を放り出して駆け出した。


地面に倒れた自転車がガチャンと音を立てる。消防隊員がその音に気づき、こちらを凝視した。


あぁ、こっちを見ないでくれ。

俺は視線が嫌いだ。





「奏斗!!」



俺はそう叫ぶと、燃えて崩壊しかけている建物に、自ら飛び込んでいった。

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