―2―
好きだ……と言われた。
なあ、誰が?
***
一日に三度目のブラックアウト。記録更新……! 喜べねえよ!
今回ばかりは死ぬかと思った。だって、一度目に首絞められたのが朝の登校時だろ、二度目が昼休みだろ、三度目が放課後だ。一度だって相当なダメージだっていうのに、一日に三度だぞ、三度。首が痛いとか苦しいとか以前の問題で、精神的に死ねる。首を絞められて、ショックじゃないはずないだろ。積もり積もった精神へのダメージが、そのうち絶対体に来る気がする。大丈夫かな、俺。
俺が委員長に首を絞められるようになってから、何か色んな人が付かず離れず周りにいて、委員長がやり過ぎないように止めてくれる。でもあの人、力強すぎんだよ。西条とか園山みたいなあんまり体格が良くない奴らじゃ太刀打ちできない。勿論、俺も然り。襲われてんのは自分だってのに、自分で振りほどけないんじゃどうしようもないな。
そんなこんなで、俺は保健室の常連になってる。毎日首に湿布か包帯。この保健室の湿布の八割くらい、俺が消費してるんじゃないか?
「うーん……あのねえ、本当にきみ、あまり首を絞められない方がいいよ」
首には頸動脈と気道がある。頸動脈を押さえられれば血流が、気道を押さえられれば酸素が滞る。
「首は急所なんだ。このまま首を絞められ続けて、何か起こっても、ぼくは責任取れないよ」
ほやほやした保健医でも、さすがに真剣な顔で俺に忠告をくれる。それはもう、ありがたく受け取っておく。俺は別に、絞められたくて絞められてるわけじゃない。あの風紀委員長が何を考えて首を絞めるのか、わかったならば。
いいね、もう絞められないように。
そう念押しされながら、保健室を出た。書記に頼まれて俺の身辺警護に当たってくれている生徒会書記の親衛隊隊長と平隊員が、平気ですかと話しかけてくる。それに生返事を返しつつ、俺の頭にぐるぐる回るのは、たった一つで最大の謎。
――間垣弥生は、何故俺の首を絞める?
*
食堂に行くたび何故か一緒に飯を食っている相馬奏。こいつ、懲りないな。
「保、ソースとって」
で、同じ会話してる。これ。醤油かソースか塩。あんまり味濃くすると、舌麻痺するぞ。
俺は毎日律儀にそれを渡してやって、ほぼ無言で食事を終える。元々、あんまり食事中に喋るのは好きじゃない。というか、食べてるのを邪魔されること自体が嫌い。相馬奏にしても取り巻きABにしても、俺のそんな気持ちはわかるようになったようで、食べてる間はほとんど話しかけてこなくなった。そんなわけで、追い払ったり邪険にしたりするのもやめたんだけど。
「今日も絞められたのか?」
俺が食べ終わるとすぐ口をきく、取り巻きB。心配してくれてるらしいけど、何か『待て』をしていた犬みたいで、落ち着かない。
「……まだ」
そう言うと、苦笑いする取り巻きA。
「まだ、という言い方だと、絞められるのが普通みたいな感じがするよ」
放っといてくれ。俺だってそう思ったよ。
「……だって、ここ数日、毎日絞められてる。トイレとかそういうので一人になった隙とかにさ。それだけならまだしも、他に人がいるのに堂々と絞めてくることもあるし」
首絞め恐怖症とでも言うべきか。いつどこであの手が伸びてくるのか、見当もつかない。
「……保、顔色悪い。大丈夫か?」
熱はあるのかと額へ伸びてくる手を、思わず避ける。
「あ、悪、い」
「いや……ちょっと、過敏になってるだけだから」
本当、過敏すぎだよ。今、すごいどきどきしてるし。
「……教室戻る? 俺、送るよ」
動揺しているのがバレたらしい。取り巻きAが、まだ食べている相馬奏と取り巻きBを置いて、いやいいからと断る俺の手をぐいぐい引く。
「いいって。おいっ」
――ここ最近の俺の昼事情。食堂派だったり昼抜き派だったりする俺は、弁当派だったり購買派だったりする西条や園山ら友人をわざわざ食堂まで付き合わせるのも悪いので、同じ食堂派の相馬奏一行と教室の行き帰りを一緒することが多い。というより、自然とそうなった。当たり前のように昼食時になると相馬奏が迎えに来て、連れていかれるんだ。こいつも取り巻きABも喧嘩は強いから、安心して任されてるみたい。
「……川崎君、精神に来てるでしょ。やばいよ、それ」
食器片付け忘れたな、と思いつつ手を引かれて歩いていれば、Aがさっと振り向いて俺の顔を見た。
「心的外傷ってわかるね」
「……トラウマってやつだろ?」
こくりと頷いたAは、真剣な表情で俺に迫る。逃げようとすれば、顔の両側に手をつかれ、体を密着される状態で壁に追い詰められる。
「君は知らないだろうけど、ミツキは狂人だ。君みたいな普通の子が、ミツキに好かれて無事で済むはずがないんだ。……川崎君。アレに太刀打ちなんて、無理だよ」
間垣弥生は、俺達が排除する。
いいね? と耳元で囁かれ、俺はかっと頭に血が上った。目の前の体を突き飛ばす。
「な、に言ってんだよ……!」
冗談じゃない、と思う。排除? 何て言葉を、仮にも人間に対して!
「だってそうでもしないと、君、ずっと意味もわからず首を絞められることになるよ。いいの? それで」
よくない、よくないが……。
「……それじゃ、同じだろ。また“逆制裁”か? やられたらやりかえす、じゃ何も変わらないし、終わらない」
Aは眉を顰めて俺を見る。強情な、とでも言いたげだ。
「……奏も譲も、心配してるんだよね。君、自分が毎日どんな顔してるか、わかってる?」
譲って誰だろう、と思いながら首を横に振る。普通なはずだ。飯を食う気力もあるし、授業を受ける気力だってある。眠れないなんてこともない。
「……暗い、顔をしてるよ」
すっと伸ばされる手。避ければ、後頭部を壁にぶつける。予想と違ってぽんと頭に乗せられた手は、数度髪をとかすように撫でて離れた。
「……何とかする気があるなら、何とかしてね。長くは待たないから」
再度手を取られ、歩きだす。とすぐに、ああそうだ、と思いついたようにAが声を上げ、歩きながら俺を振り返る。
「君さ、俺達の名前覚えてる?」
いえ、全然。
「だと思ったよ」
苦笑するAは、自分を指差して名乗る。
「俺は、谷岡早苗。もう一人が、藤田譲。毎日会ってるんだから、いいかげん覚えてよ」
相馬奏系列の奴らと親交を深めるつもりはなかったが、不承不承頷いた。……俺はいまだに相馬奏が嫌いだけど、借りがあるとは、思ってるんだよな。
***
そんなこんなで寮まで戻る途中、ばったり委員長と遭遇。
「わ、保、逃げろっ」
「に、逃げて!」
ちょうど一緒にいたのが、よりによって西条と園山だ。これはもう、首絞め決定だろう。絞められる前から諦めて、せめて苦しくないように、痛くないように、などと願いながら無駄な距離を取る。ふと頭に言葉が回る。
『何とかする気があるなら、何とかしてね』
そうだ、こうやって毎日逃げていていいのか?
――間垣弥生は、何故俺の首を絞める?
そうだ、俺は、その理由が知りたいんだ。
「……俺の首を絞めたいんだろ?」
無表情に近付いてくる人影に、意図的ににやりと笑いかけてやる。
「ちょ、保?」
「保君!」
俺に意識が向いたのを見て、走り出す。さっき歩いてきた道を逆走だ。
「川崎君? どうし……、またっ!」
「保っ?」
「ちっ、この狂犬が、全く毎日毎日……!」
寮へと戻る人波を逆走しているため、目立つ目立つ。中には俺の知り合いも多くいて、俺が委員長に襲われないようにと進路を妨害してくれるけど……。
「いい! 全員、どいてろ!」
叫んで走り抜ける。呆気に取られて固まる、もしくは廊下の端にへばりつくようにして避ける一般人を尻目に、俺は全力疾走。だって、うじうじ悩んでも仕方ないだろ?現実的に言えば殺されそうで怖いし、心情的に言えばいらいらするしむかつく。でも、
排除する。
なんて、すごく嫌な言い方。委員長は確かに意味がわからないし、首絞められるのは本当に勘弁だけど、何て言い分! 相馬奏は、百歩譲っていい奴認定してやる。でも、取り巻きAB……谷岡と藤田だっけ? は、やっぱり嫌い。
暴力で暴力に勝つ。それは非生産的で、馬鹿馬鹿しくて、俺が一番嫌いなこと。弱い者いじめ。集団暴力。制裁。ああ、嫌いだよ。
「一、対、一、なら、俺だって、手がある」
……どうして俺はずっと逃げてたんだろう。逃げろ逃げろと周りが言うから、いつの間にか逃げていた? 守る守ると言われるから、いつの間にか守られていた? おかしいじゃないか。
「くっそ……俺、絶不調、だったんか」
ペースが乱れていた。崩されていた。……そうなった理由は、でも、予想がついている。考えないように、意識から締め出してきた、些細な理由。
***
二度目に首を絞められた、その二日後の夜のこと。
寮の裏手から、煙草の火が見える。俺が呼んだ。こいつを、この場所へ。二人で話をするために。
「率直に訊く。何で、俺の首を絞めるんだ?」
「……意識がなければ、逃げないだろう」
「逃がさないために、首絞めるのか」
「……わからない、が。それも、ある」
「じゃあ……逃げなければいいんだろう。俺が」
「……」
「違うのか?」
「…………」
そいつは黙って、黙って、黙り続けて、俺がいいかげん呆れて帰ろうと身を翻した時、ぽつりと、零すように言ったのだ。――それは、深い夜に紛れてしまうような音だった。
「好きだ」
***
誰が、とも何が、とも訊かなかった。俺はそれからずっと委員長から逃げ続け、委員長は無言で俺を追ってくる。首を絞める。逃げるから? 俺が欲しいのか、あんた。
俺が、好きなのか?
ああ、俺は、答えを聞くことすら怖かった。だって、男同士で恋愛なんておかしいじゃないか。お互いに好きあってれば関係ない? 確かにそうだ。でも、男と男でヤったって、生まれるのは快楽だけ。子供はできず、育まれるのは二人っきりの愛だけ。そんな閉鎖的な世界に何がある? ……何もないと、俺は、思う。
唐突に与えられたものに戸惑って、逃げて、逃げて、逃げて。
そう、俺が、悪いんだ。きっと。だって、無視されるのは、悲しいじゃないか。
「気付いて、たさ」
息を切らせて走り続け、階段。踊り場。振り返れば、男前な不良が無表情に追ってくる。
……気付いてたさ。あんな無表情でも多少は感情の起伏を表すんだ。俺が逃げるのを、悲しそうに追ってくること。首を絞める時、嬉しそうだけど少しつらそうな顔をすること。わかっていた。気付いていない、ふりをした。
「来いよ」
俺のところまで、あと三歩。そこで、覚悟を決めて、がむしゃらに飛びかかる。驚き咄嗟に俺を抱え込む委員長ともども、階段を一番下まで転げ落ちた。
「保っ、弥生っ」「誰か、保健医を!」「……なんて、無茶を!」
叫び騒ぐ声は聞こえていた。でも聞く気はない。打ち付けた肩の痛みを耐えながら、俺の下で呻き声を上げるそいつを睨みつける。
「俺、だって……覚悟くらい、できんだよ」
眉をしかめるその顔を、額を合わせるほどの近距離で見る。吐息がかかる。熱い、呼気。上気した肌。汗の匂い。組み敷く体の見事な筋肉。大きく上下する、胸。
「……これで、今まであんたが俺にしたことは、全部チャラだ」
捨て身だけど、下に敷けた。それでチャラ。今は俺が見下す番で、痛みに顔を歪めて見上げてくる動作に、何だかとても胸が跳ねる。
「もう、首を絞めるな。俺は逃げない。逃げないさ。……答える言葉も、持ってないけど」
相手の想いを、おそらく間違いなく受け取っているのに、こんな言い方は卑怯かもしれない。けれど俺は、それに答えることも、切り捨てることもできない。……こいつは強いかもしれないけど、多分、俺よりもずっと弱い部分をもっている。
言葉で伝える術を、知らないのかもしれない。もっと優しく人に触れることを、知らないのかもしれない。
「その代わり、手取り足取り、俺があんたを構い倒してやる。……弥生」
狂犬とか狂人とか呼ばれる人間相手に、何だか色々と自爆している気もするが。
……俺がそう思ってしまったんだ。だから、仕方ないだろ?
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