【番外編】 ブリアン夫人の独り言(2)
オーブリー卿の後押しもあって、アデールの第二の人生は順調だった。
扱う内容が内容だけに、不愉快な態度を取る生徒は少なくなかったが、そうではない生徒たちはアデールの教えに感謝してくれた。
貴族の結婚は家同士の結びつきを強めるためのものだ。
必ずしも愛があるとは限らない中で、人として最も大事なものを交換しなければならない。
特に若い女性にとっては、辛く苦しいことも多い。
さまざまな状況に対する心構え、要求に備えるための知識をアデールは少女たちに伝えた。
寝室という密室で、時に圧倒的弱者となる者が生き延びてゆくための知恵や、運よく幸福な結婚をした者へのはなむけになるような言葉を与え続けた。
愛し合う者同士ならば、相手が拒まない限り何をしてもいいのだと伝えた。
愛のない行為に対しては、自分の身だけは守るように伝えた。
アデールの仕事は高く評価され、王室にも呼ばれるようになった。
その道の第一人者と呼ばれるようになっても、嫌な思いをすることはなくならなかった。
興味本位の娘、ふざけてばかりいる娘、汚いものを見るように、アデールを見る母親たち。
アデールを見張り役にして情事に耽る女性たちも多かった。口の堅さを見込まれたアデールは、顧問料という形の報酬を得て、たくさんの秘密を胸のうちに抱えるようになった。
アデールを試すように危険な逢瀬を繰り返す夫人たちもいた。
アデールが黙っていても、いずれ誰かの口から夫の耳に入るだろうと思うと、心が落ち着かないこともあった。
「ブリアン夫人、妻のことで、ちょっとした噂を耳にしたんだが……」
地位のある貴族たちからまとまった金額の提示とともに質問を受けても、アデールは常に「知りません」と口を閉ざした。
口の堅さだけがアデールの財産だった。
家庭教師の仕事と、顧問という名目の寝室の番人。そこに支払われる報酬がアデールの暮らしの糧だった。
口の堅さを失えば、その先の人生を生きてゆく術がない。
けれど、ストレスの多い仕事だったのは、確かだ。
澱のようにたまってゆくやりきれなさを、手記という形で密かに残すようになった。
いつかそれを公にしてやりたいという仄暗い願望を、心の中に抱いていた時期もあった。
けれど、手記は少しずつ形を変えていった。
誰かの罪を暴いて傷つけるためというよりも、真実を書き残しておくという目的のために、記録するようになった。
たくさんの秘密を赤い表紙の手帳に書き込んだ。
エメリーヌの侮辱的な言葉に怒ったのは事実だ。
クレール夫人のしたことを公にした背景に、それは確かに影響している。
アンジェリクとエルネストの婚約が破棄され、モンタン公爵家に迷惑がかからなくなったことも。
しかし、何よりアデールを動かした動機は、王への忠誠心だった。
ベアトリス王妃との間に王が抱えることとなった唯一のわだかまりは、アデールが取り除かなくてはならない。知っていることを話さないまま、死ぬことはできないと思った。
アデールにとって、それは人生の宿題のようなものだった。
オーブリー卿が世を去り、息子のコルラード卿から頼まれて教育に携わったアンジェリクも嫁いだ。
年齢不詳と噂されるアデールも、すでに孫が嫁ぐような年を迎えたということだ。
そろそろ引退して悠々自適の暮らしに入ってもいいと思ったアデールは、口の堅さという唯一の武器を手放して、暴露本を出すことを決意した。
だが、よもや自分の本の発売日に、シャルロットのあのような所業が明らかになるとは、さすがのアデールも想像していなかった。
コルラード卿やアンジェリクの命を狙ったというのだから、シャルロットにかける情けはないが、必要以上に注目を浴びてしまったバラボー家の第一令嬢、シャルロットの姉であるカトリーヌには同情を禁じ得ない。
そしてエルネストに対しては、気の毒な事をしたと思っている。
王子であろうとなかろうと、生まれた子どもに罪はない。
アデールはシャルロットとよく似た、トウモロコシの穂を思わせる髪色をしたある女性に手紙を書いた。
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