ぬいぐるみ

 浬たちが遊園地に来てから、かなりの時間が経過した。すでに日は半分ほど沈み、辺りは暗くなり始めている。


 つい先程、閉園三十分前を告げるアナウンスが聞こえたので徐々に人も減り始めている。


「時間的に次で最後だな。九重、最後はどのアトラクションがいい?」


 パンフレットを開きながら、浬は隣の由香里に訊ねた。


 二人はメリーゴーランドやジェットコースターの他にもたくさんのアトラクションに乗ったので、まだ乗ってないアトラクションとなるとそう多くない。


「最後なら……あれに乗ってみたいです」


 そう言って由香里が指差したのは、この遊園地内でも一際大きなアトラクション――観覧車だった。


「観覧車だな。なら閉園時間になる前に、さっさと行こう」


 最後に乗るアトラクションを決めた二人は、早速観覧車へと向かった。


 もう閉園間近ということもあり、二人は大して並ぶこともなく観覧車に乗ることができた。


 観覧車に乗ると、二人は向かい合う形で座った。


「見てください、御手洗君。ここから遊園地の外まで見えますよ」


 由香里は窓の外の景色に、僅かに声を弾ませた。


 言われて浬も窓の外に視線をやれば、そこには遊園地とその外に広がる街並みが存在した。暗くなってきたため、街は街灯に照らされて淡く光っている。


 なんてことのない街並みも、観覧車のような高い視点から見下ろすとまた違った魅力がある。


 由香里は外の景色が余程気に入ったのか、ジっと見続ける。


 実は浬は由香里に話したいことがあったのだが、今の由香里は観覧車から見える外の景色に夢中だ。水を差すのは忍びない。


 しばらくの間、外の景色に釘付けな由香里を見守ることにした。


 観覧車が頂点を過ぎ、下り始めたところで由香里は窓から離れた。次いで浬の方に向き直る。


「御手洗君、急な話だったのに今日は付き合ってくれてありがとうございます」


「いきなりだな……今日の遊園地は俺たちの婚約のためには必要なことだったんだ。気にしなくていい」


 突然の感謝に目を丸くしたものの、浬はすぐに平静を取り戻した。


「それでも感謝させてください。今日の遊園地は初めて経験することがいっぱいで、とても楽しかったです。こんなに楽しい一日は、生まれて初めてだったんです」


 由香里は柔らかく微笑む。言葉通り、彼女が今日一日遊園地を心から楽しんだことがよく分かる笑みだ。


「……まあ、楽しかったなら何よりだ」


 こんなに喜ぶとは思っていなかったが、一緒に来た身としては楽しんでくれて何よりだ。


(今なら、渡すには丁度いいタイミングか)


 浬は横に置いていたショルダーバッグから一つの紙袋を取り出し、そのまま正面に座る由香里に渡す。


「九重、受け取れ」


「御手洗君、これは?」


 由香里は渡された紙袋に首を傾げる。何の説明もなくいきなり渡されたのだから、当然の反応だ。


「お前にやるよ。……まあ何というか、今日遊園地に来た記念のプレゼントみたいなものだ」


「プ、プレゼントですか? ……ごめんなさい。私、何も用意してません」


「俺が勝手に買っただけだ。相手がプレゼントを用意したからって、自分も用意しなくちゃいけないなんて決まりはない」


 だから気にするなと言外に伝える。


「……開けてもいいですか?」


「好きにしろ、それはもうお前のものだ」


 浬が答えると、由香里は丁寧な所作で紙袋を開け、中身を取り出した。


「これは……」


 紙袋から出てきたのは、手のひらサイズのぬいぐるみだった。


 しかも、ただのぬいぐるみではない。由香里が気に入っていた、ネコのマスコットのぬいぐるみだ。


 このぬいぐるみをチョイスした理由は単純なもので、店で由香里がほしそうにしてたから。それだけだ。


 だから女の子にあげるプレゼントとして正解なのか、浬には自信がない。もしかしたらもっと別なものが良かったかもしれないと、今更な後悔に襲われる。


 由香里は何の反応も示さず、ぬいぐるみに視線を注ぎ続けている。


 その様が、ぬいぐるみは失敗だったのではないかという浬の不安を更に大きなものにした。


「あー……大したものじゃないけど、店に寄った時ほしそうにしてたから、それにしたんだ。もしいらないなら、適当に捨てても――」


「そんなことはしません」


 黙々とぬいぐるみを見つめ続けていた由香里が、食い気味に否定した。


「このぬいぐるみは捨てたりしません、大切にします。例え御手洗君に返せって言われても、絶対に返しません。もう私のものです」


「いや、別に盗ったりしねえよ」


 ギュっとぬいぐるみを胸元に抱き寄せる由香里。まるで大事なオモチャを盗られまいとする子供のようだ。


 まさか、本当に盗られる警戒をしているのだろうか。


 まあそれも、プレゼントのぬいぐるみが嬉しかったことの裏返しと考えれば、悪い気はしない。


「……誰かにプレゼントをもらうのなんて、初めてなんです」


「そうなのか?」


「はい、今まで誰かから贈りものをもらったことは一度もありません。だから、凄く嬉しいです。御手洗君がくれたぬいぐるみ、一生大切にします」


 愛おしげに、胸元のぬいぐるみを見つめる由香里。その姿は、男ならば誰もが魅了されてしまいそうなほど、可愛らしいものだった。


 顔に熱が集まるのが自覚できた。幸い観覧車に乗ってる間に日は暮れていて、観覧車内は薄暗い。由香里はぬいぐるみに意識を向けてることもあり、今のところ気付かれてはなさそうだ。


「……喜んでくれたのなら、何よりだ」


 赤くなった顔を気付かれまいと、逃げるように視線を外にやった。


 外の景色を目にして、観覧車がかなり下まで来ていることに気が付いた。もう遊園地全体を見渡すことはできそうにない。


 眼下に見下ろすと、観覧車担当のスタッフの姿が視認できた。


「そろそろ終わりか」


 浬がボソリと呟くと、ぬいぐるみを抱いてご満悦の様子だった由香里の表情が曇った。


「……もう終わりなんですね」


 惜しむような声音だ。きっと遊園地が楽しかったからこそ、その終わりを名残惜しく思っているんだろう。


「……また来たいですね」


「そうだな。また来れるといいな」


 由香里の言葉に頷く。


(まあ、その時九重の隣にいるのは俺じゃないんだろうけど……)


 所詮二人の関係は偽りのもの。時が来れば消えてしまう、儚いものでしかない。


 そのことに少し寂しさを覚えてしまうのは、きっと由香里のいる生活を当たり前と感じて始めているからだろう。それ以外に思うところなど何もない。


「今日は、御手洗君と一緒に来られて良かったです。ありがとうございます」


 観覧車が一周回り終える直前、由香里はもう一度感謝を告げた。

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