お礼

 由香里と同棲生活を始めて、二週間ほどが過ぎた十月末のことだった。


 浬はとある悩みを抱えていた。重大というほどではないが、頭を悩ませる程度には困ったことだ。


 問題なのは、浬は今までこの手の悩みとは無縁だった。おかげで現在進行形で頭を抱えているが、解決案は浮かんでこない。


 自分で解決できないとなると、自分以外の誰かに頼るのも手だ。


「――お礼?」


「そう、実は最近ちょっと色々と世話になった人がいてな。何かお礼をしたいんだけど、どうすればいいのか分からないんだ。深雪、何かいい案ないか?」


 浬は昼休みの教室で深雪と二人で昼食を食べながら、ここ数日抱えていた悩みを打ち明けた。


 浬は親しい友人というものがあまりいないので、相談をする時の相手は大抵深雪だ。


「色々お世話になった人ねえ……それってもしかして、最近カイ君のお弁当を作ってくれてる人?」


「……そうだ」


「へえ、最近カイ君が手作りのお弁当なんて持ってきてるから妙だと思ってたけど、やっぱり作ったのはカイ君じゃないんだ」


「当たり前だろ? お前は俺に弁当を作れるだけの料理の腕があると思ってるのか?」


「ううん、全然思ってないよ」


 断言する深雪。即答したのは、浬の生活力のなさを知るが故だろう。


「なるほどね、話は大体分かったよ。つまりカイ君は、その弁当を作ってくれてる女の人にお礼がしたいってことでいいのかな?」


 実際は弁当だけじゃなく朝食と夕食もお世話になってる上に掃除までしてもらってるが、そこまで深雪に教える必要はない。


「そういうことになるな……って、どうして女って分かった? 俺、まだ教えてないよな?」


「カイ君がお礼ぐらいで悩むなら、相手は女の人ぐらいしか想像できないよ。男の人なら、わざわざ私に相談なんてしないでしょ?」


 流石は従妹。中々に鋭い。


「どうせ私に相談したのは、同じ女だから自分よりマシな案が出るなんて期待をしてたからじゃないの?」


「お前エスパーかよ……」


「カイ君が分かりやすいだけだよ」


「俺ってそんなに分かりやすいのか……」


 何だか地味にショックだ。


「珍しくカイ君が頼ってくれたんだし、私は協力してあげてもいいよ」


「本当か? 助かるよ、ありがとな深雪」


「どういたしまして。それで、そのお礼をしたい相手はどんな人なのかな? 好きなものとかが分かれば、お礼も決めやすいんだけど」


「好きなものか……」


 ここ二週間の同棲生活を振り返る。


 由香里とは家ではそれなりに話すようになったが、何が好きとかいう話はしたことがない。


 というか、由香里と会話こそしているものの内容は事務的なものがほとんどで、お互いのことを知れるような話は一切なかった。


(俺、あいつのこと何も知らないんだな……)


 何でもいいからもう少し話をしておけば良かったと、胸中で後悔する。


「……そういう話はしたことがないから、よく分からないな」


「えー、本当に一つも分からないの?」


「……悪い」


 これは情報収集を怠った浬が悪い。お礼をしたいのなら、相手の好みなんかは事前に確認しておくのが常識だ。


「うーん……そうなるとちょっと難しいなあ。好きなものが分かれば楽だったんだけどなあ……ただのお礼なら、あんまり高いものとかは重いし……こうなると、無難なのが一番かな」


 ブツブツと呟きながら、思案する深雪。


「カイ君、ケーキなんてどうかな? 女の人で甘いものが苦手な人なんていないと思うよ」


「ケーキか……悪くはないな」


 ケーキならそこまで高くないから受け取る側も重く感じないし、食べ物なので気軽に渡せる。お礼としてはベストとまではいかないが、ベターと言えるチョイスだ。


「ありがとう、深雪。その案でいかせてもらうよ」


「お役に立てたなら何よりだよ。ケーキを買うなら、駅前の店がオススメだよ。あそこのケーキって凄く美味しいんだ」


 浬はケーキ屋なんてまともに足を運んだことがないので、深雪の情報はとてもありがたい。参考にさせてもらうことにした。






 そして迎えた放課後。浬は学校を出ると、家とは反対方向の駅に向かった。


 目的はもちろん、深雪に教えてもらったケーキ屋だ。大まかな場所は深雪に聞いてたので、迷うことなく店に入れた。


 ケーキ屋ということもあってか、店内は女性客ばかりで少し肩身の狭い思いをしつつもケーキを二個買うと、すぐに店を出て帰宅した。


 それから数時間後。この二週間ですっかり慣れ親しんだ由香里の手料理を食べ終えたタイミングで、浬は動いた。


「九重、甘いものは好きか?」


「甘いものですか? それなりに好きですけど……」


「なら良かった。ちょっと待っててくれ」


 立ち上がり、冷蔵庫のあるキッチンに向かう。


 しばらくすると、浬は小皿とフォーク、それからケーキの入った箱を持って戻ってきた。


「この箱、さっき冷蔵庫で見たものですね。中には何が入ってるんですか?」


「ケーキだよ。同棲を始めてから二週間、九重には家事で色々と世話になったからな。そのお礼ってことで買ってきたんだ」


 箱を開けると、中からイチゴのショートケーキと、レアチーズケーキの二種類が姿を現した。


 浬は甘いものはあまり得意ではないが、一人分だけだと由香里が気にすると思って、自分の分も含めて二つ買っておいたのだ。


「二つあるから、好きな方を選んでくれ。俺は残った方を食べるから」


「……本当に私がもらってもいいんですか?」


「もちろん。これは九重のために買ったんだ、好きな方を選んでいいぞ」


「……なら、少し待ってもらえますか?」


 由香里はジっと真剣な表情で二つのケーキを見比べる。


 そして五分ほど悩んだ末に、イチゴのショートケーキは由香里の手に渡った。


 残ったレアチーズケーキは、自動的に浬のものになる。


 二人は自分の分を皿に乗せる。


 浬は食べる前に、チラリと由香里の反応を窺う。


「……甘くて、とても美味しいです」


 普段は崩れることのない由香里の表情が、ふにゃりと緩む。写真に残しておきたくなるほど、可愛らしい表情だ。


 ケーキ一つでここまで喜んでくれるとは驚きだ。買った甲斐があるというものだ。


(九重って、こんな顔もできたのか)


 女の人で甘いものが苦手な人はいないと深雪は言ってたが、由香里も例外ではないみたいだ。


 滅多にお目にかかれないであろうレアな表情だが、由香里すぐに浬の視線に気付いてはっとなると、いつも通りの顔に戻ってしまった。


 ……耳の辺りがほんのり朱色に染まってるのを指摘するのは、野暮というものだろう。


 流石にジっと見つめ続けるのは失礼なので、浬も自分のケーキを食べ始める。


(……甘いな)


 ケーキの甘さに眉を顰める。


 甘いものが苦手な浬には、このケーキは単品で食べるのは難しそうだ。ケーキに負けない苦みのある飲みものがほしくなる。


「九重、何か飲みたいものとかあるか?」


「飲みものですか? 私が準備しますよ?」


「いや、俺がやるから九重は座っててくれ」


 立ち上がろうとした由香里に、座るよう促す。


 それから再度、由香里に何を飲みたいのか訊ねる。


「それなら紅茶をお願いしても?」


「安物のティーパックしかないけど、それでもいいか?」


「はい、それで構いません」


 再び立ち上がってキッチンに向かい、飲み物の準備をする。


 別に本格的なものを作るわけではなかったので、ほんの数分で浬はキッチンから戻ってきた。


「ほら、紅茶。熱いから、少し冷まして飲めよ」


「はい、ありがとうございます」


 由香里は浬から紅茶を受け取ると、次いで浬のマグカップに入った黒い液体――コーヒーに視線をやった。


「御手洗君の飲みものは……コーヒーですか。砂糖は入れてるんですか?」


「いや、入れてないな。俺、ブラックの方が好きなんだ」


 甘いものはあまり好まない浬だが、逆にコーヒーはそれなりに好きだったりする。


 家ではあまり飲まないが、実は外だとよく缶コーヒーを飲んだりしている。もちろん飲んでるのは、無糖のブラックだ。


「御手洗君って、コーヒーをブラックで飲めるんですね。……大人です」


 尊敬混じりの視線が、由香里から注がれる。


「ぷ……ッ」


 コーヒーが飲める=大人という由香里の考えがおかしくて、思わず吹き出してしまった。


「どうかしましたか、御手洗君?」


「い、いや、何でもないから気にしないでくれ」


 そう言って、浬は吹き出したことを適当に誤魔化した。


 まさか学校ではクールで大人びているあの由香里が、コーヒーが飲めれば大人なんて子供っぽい考え方をするとは思わなかった。


 ケーキは喜んでもらえたようだし、由香里へのお礼は成功したと言っていいだろう。

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