従妹

 食事を終えた後、由香里は先に学校に向かった。


 浬は少し時間をズラしてから登校する予定だ。


 わざわざ時間をズラすなんて手間をかけるのは、一緒に住んでることを学校の関係者に知られないためだ。


 学生二人の同棲なんて、バレればまず間違いなく噂になる。しかもその内の一人が学校でも有名な由香里ともなれば、ロクなことにならないのは火を見るよりも明らかだ。


 そうならないためにも、二人は登校時間を別々にしたのだ。


 由香里が登校してから十分ほど経過したところで、浬も学校に行く準備を整えてから家を出た。


 学校に着き教室に入ると、ホームルーム開始の十分前ということもあってか、大半のクラスメイトが揃っていた。


 クラスメイトたちが思い思いに過ごしてる教室内を軽く見回すと、先に家を出ていた由香里を見つけた。


 まあ見つけはしたが、特に何かするつもりはない。ただ何となく探しただけだ。


「カーイ君」


 浬が自分の席に着くと、正面から親しげに声をかけてくる女子生徒がいた。


深雪みゆきか」


「うん、そうだよ。カイ君の従妹の深雪だよ」


 彼女の名前は御手洗みたらい深雪みゆき。本人が今言った通り、浬とは従兄妹の関係だ。


 深雪とは親戚という関係で物心ついた頃から親交があったので、浬としては従兄妹よりも兄妹という表現の方がしっくりくる。


 深雪は栗色のショートボブにクリっと大きな瞳、愛嬌のある顔立ち、更には高校生にしては小柄な体躯のため、外見だけなら小学生にも見えてしまう。


 低身長かつ愛嬌のある顔立ちということもあってか、クラス内ではマスコット的立ち位置を手にしており、誰とでも気軽に接する性格もあって男女問わず人気者だ。


「おはよう、カイ君」


「おう、おはよう」


 互いに朝の挨拶を交わす。


「ねえねえカイ君、私に何か言うこととかないのかな?」


「言うこと? 随分といきなりだな……特にないぞ」


「えー、本当に? 何かないの、従妹に伝えるべき大事なことがさ」


 深雪の口振りは、どこか確信めいたものだ。冗談や勘違いの類には見えない。


 もしかして本当に深雪に何か伝えなければいけないことがあるのかと、記憶を探ってみるがさっぱりだ。


「やっぱり心当たりはないな。お前の勘違いじゃないのか?」


「えー、勘違いなんかじゃないよ。もっとよく思い出してよ、カイ君。具体的には昨日のこととかさ。何かとても大事なことがあったでしょ?」


 随分と具体的な日付を口にした深雪。


 従妹に伝えるべき大事なことと言われてもピンと来なかったが、昨日のこととなると心当たりなんて一つしかない。


「……もしかして婚約のことを言ってるのか?」


 周囲に聞こえないよう、声を潜めて問う。


 すると、深雪らしい元気のいい答えが返ってきた。


「うん、そうだよ! いやあ、私もビックリだよ。まさかあのカイ君が婚――むぎゅッ!」


 話し終える前に、大声を出す深雪の口元に手を押し当てて黙らせる。


 次いで周囲を見回し、今の話を聞いた者がいないかを確認する。


 深雪が最後まで言い切る前に口を塞いだのが功を奏したのか、クラスメイトは誰一人としてこちらを見ていないようだ。浬はホっと胸を撫で下ろす。


「――――ッ!」


 視線を戻すと、深雪は何かを訴えるように手足をバタつかせていた。顔を真っ赤にして必死の形相だ。


 浬が手を離すと、深雪は「ぷはあ……!」と大きく息を吐いた。どうやら浬が手で押さえたせいで、息ができなかったみたいだ。


「もう、いきなり酷いよカイ君! 息ができなくて苦しかったんだけど!」


「悪かったよ、そこまでするつもりはなかったんだ。けど、お前にも非はあるからな? 婚約のことをいきなり口走って、クラスの奴らに聞かれたらどうしてくれるんだ」


「う……ごめんなさい」


 深雪は申し訳ないと思ったのか、素直に非を認めて謝罪した。


 だがそれも一瞬のこと。次の瞬間には、天真爛漫な笑みを浮かべて口を開いた。


「それで、婚約者はどんな子なの?」


「何でお前にそんなこと教えなくちゃいけないんだよ? そもそも、どうして俺が婚約したこと知ってるんだよ? 婚約したのはつい昨日のことだぞ」


「お爺ちゃんが昨日電話で教えてくれたんだ。『浬に婚約者ができたぞ……!』って大ハシャぎだったよ」


「爺ちゃん……」


 口の軽い祖父に、浬は頭を抱えた。


 しかしわざわざ昨日の内に深雪に連絡したのは、それだけ浬の婚約が嬉しかったということかもしれない。もしそうなら、偽りとはいえ婚約をした甲斐があったというものだ。


「だから私、どうしてもその婚約者のことが知りたくてさ。お爺ちゃんは相手がどんな人なのかまでは教えてくれなかったから、カイ君が教えてよ。可愛い? 年上、それとも年下? そもそも私の知ってる人なのかな?」


 怒涛の勢いで質問してくる深雪。瞳は好奇心でキラキラと輝いてる。


「何でそこまで俺の婚約者に興味津々なんだよ……」


「だってあのカイ君が婚約だよ? 小学生の時、将来の夢が課題の作文で『独身貴族』なんて書いて先生に叱られてたカイ君が婚約なんて、従妹として相手が気になるのは当然のことだよ」


「…………」


 黒歴史を持ち出され、苦虫を嚙み潰したような顔になる浬。


 相手をするのが面倒なことこの上ないが、深雪の食い付きも理解できなくはない。浬は両親が蒸発して以降、恋だの愛だのに嫌悪感にも似たような感情を抱いてきた。


 それがいきなり婚約だ。浬の事情を知る者なら、気になってもおかしくない。


 まあ、だからといって教えるのかというと話は別だ。深雪を信用してないというわけではないが、この件は婚約者である由香里も関わってくるので浬の一存で教えるわけにはいかない。


「ねえねえ、教えてよカイ君。誰にも言わないからさ。私、このままじゃ気になって夜も眠れないよ」


「ダメだ、諦めろ」


「むう……カイ君のケチ!」


 プクっと頬を膨らませて、深雪は拗ねてしまった。ただでさえ外見が子供っぽいのに、頬を膨らませると見た目は完全に小学生だ。


 と、そこでホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。


 同時に担任の教師もやって来て、席に着いてない生徒に着席するように言う。当然この中には、深雪も含まれている。


 深雪は未練がましい表情で浬を見るが、


「いつか絶対に教えてもらうからね……!」


 とだけ言い残して、席に戻って行った。


 あの様子からして、十中八九諦めていないだろう。


(爺ちゃんに釘刺しといた方がいいかもな……)


 自分の席に戻る従妹の後ろ姿を見ながら、浬はそんなことを思った。

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