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「でっかい人面イモムシだよ。」
お茶を飲んで落ち着いた先生が言った。僕は先生の言うことが信じられなかった。
「夢、じゃないんですか。」
「私も見たんだ。」
「でも僕は見ていません。」
「私が扉を開けると消えたんだ。」
「僕をからかってます?」
「いや、ソレは本当にいたんだ。」
熊沢さんはいたって真面目だった。
「不思議なことってのもあるんだね。」
先生が感嘆するように言った。さっきまで驚いていたのに、今では少し感動を覚えているようだった。
「でもなんで私のところなんかに来たんだろう。熊沢君、心当たりある?」
「先生がソレの正体に近づいているからでしょう。」
「いや、まだ仮説段階だし、矛盾もあるけどなあ。」
「先生、何かわかったんですか。」
僕が聞くと、先生はお茶を一口飲んでから言った。
「島の子供の間ではね、『エナドリオジサン』っていう妖怪がうわさされているんだ。」
「ふざけた名前ですね。どんな妖怪なんですか。」
「最初は『花子さん』とか『テケテケ』みたいな都市伝説だと思ったんだけどね。ふた月に一度現れては島中の自販機からエナジードリンクを買い漁るんだって。」
「何か危害を加えるとかはないんですか。」
「ない。ただエナジードリンクを買い漁るだけ。」
「それが人面イモムシとどんな関係があるんですか。」
「祭りに行けばわかるさ。」
そう言って先生はもう一口お茶を飲んだ。
「あの、大丈夫ですか。」
扉から女将さんの心配そうな顔がのぞいていた。
「ええ、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません。」
「それならよかったですけど。」
「あと、こいつ祭りまで置いておいていいですか。」
と先生は熊沢さんを指した。
「ええ、構いませんよ。」
そう言って女将さんは一階へ降りて行った。
「ところで、先生と熊沢さんの関係は?」
「ああ、昔の教え子さ。多少神秘主義に偏っていた嫌いはあったが、真面目な学生だった。」
「神秘主義って、先生もあれを見たでしょう。」
道理で熊沢さんも「先生」と呼んでいたわけだ、と思った。
***
午後5時を過ぎた頃に旅館を出て、小学校へ向かった。最終的には留衣山にオシンメサマを集めて一晩夜を明かすのだが、祭りの日、留衣山は女人禁制となるため、各戸のオシンメサマは小学校の校庭で回収されることになる。
僕らが着いた頃には何やら祭りが始まっているようで、校庭の真ん中あたりに設営された櫓の上で神楽が演じられていた。
校庭では役場の波山さんが待っていて、僕らを来賓席まで案内してくれた。熊沢さんの存在も知られているようで、来賓席には彼の分の席も用意してあった。
神楽では、真っ白いお面をかぶった人が踊りながら舞台の隅々を回ったり、様々なお面をかぶった人が出てきてはどこかを押さえて倒れていくというような様子が演じられていた。
僕は芸能に詳しくないからさっぱりだったが、先生と熊沢さんは神楽の内容を特定できなかった。二人が言うには随分と独特な要素が詰まっているらしい。
神楽が終わると、各地区の代表者が上裸になって真ん中に出てきた。それから神主が祝詞を唱えたり、柄杓ですくった水を彼らにかけたりして、彼らを潔斎していた。波山さんは、昔は若くて筋骨隆々としたものが代表に選ばれていて絵になったが、今ではよぼよぼの老人が代表にならざる負えない地区もある、と言って残念がっていた。
それが終わると島の女性たちは帰路につき、男たちは山へ向かう準備を始めた。地区ごとに集まって、眠気覚ましの珈琲やタブレット、エナジードリンクを配ったり、地区で集めたオシンメサマを運ぶ準備をしていた。
山へ向かう道は住宅街から早々に林道となった。島中の男たち、多くはもう60を超えた老人、が一斉に島へ向かうので、過疎化しているとはいえ一斉に細い山道を進むので、随分と長い行列ができていた。道は舗装されておらず、先日の大雨で状態がひどかった。街灯も住宅街とともに途切れていて、十分に気をつけなければならなかった。
鬱蒼とした林が急に開けて、大きな社が見えてきた。皆鳥居の前で立ち止まり一礼してくぐっていったので、僕たちもそれに倣った。そして皆ぞろぞろと社の中へ入っていった。社の中は広い講堂のようなものがあって、そこに皆が収まった。島の人口が500人程度だから単純計算で250人が一堂に会していることになる。それでも余裕があるくらい広い部屋だった。
全員が部屋に入るとまた神主が祝詞を唱えたりと簡単な儀式をした。それも30分もかからずに終わった。それから夜明けまでの約10時間は寝ること以外自由な時間だった。さすがに酒盛りをするような豪傑はいなかったが、菓子類をつまみながら世間話に興じていたり、花札やトランプを持ち寄ってやっていたりと、適当な暇つぶしをしていた。
川凪さんに頼んで、事前に、我々の調査に協力してくれる人を集めてもらっていたので、先生は彼らに話を聞いていた。僕と熊沢さんも先生について記録を取っていた。
だが、この祭りが社に集まって一晩中寝ずに籠って、オシンメサマの機嫌を取ることを目的とした祭りであるということくらいしか聞き出せなかった。
話してくれた人は親切で、独特なイントネーションの喋り口でいろいろと教えてくれたが、ずっと昔に形骸化してしまい、詳しいことを知っているものがいなかったのである。
「ワイフのパパーが神主だったけ、婿だった俺が継いだだよ。元は漁師でよ。」
禿頭の神主が、その頭を搔きながら続けた。
「じゃから、俺自身はよくわかっておらんの。」
「気にしないでください。分かっていることを教えていただければ。」
しかし、この神主とて詳しいことは知らなかった。「山上神社」と呼ばれるこの社だが、明治政府の宗教政策によって改称されたものであり、改称以前の名前はわからなかった。祭神は猿田彦命だが、これも明治維新以前は別の土着の神を祀っていたらしいが、それの名前は忘れ去られていた。
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