第10話/オワリのハジマリ①

 優子とは再会の約束をして別れた。ゴールデンウィークに催される高校の謝恩会に、優子も呼ばれているという。お互いに、絶対にすっぽかさないという約束をした。その頃には気持ちの整理もついてるだろうから、また自然に話せるよ、と優子は笑った。俺は黙ってうなずいた。愛に形があるのなら、千絵への愛と優子への愛では形が違う。そんな陳腐な言葉を、俺は言う勇気を持ち合わせていなかった。それはこの気持ちを汚すことになる。それだけは絶対に避けたいと思って口を噤んでいた。


 下駄箱へ向かう廊下を歩きながら、俺はき物が落ちたように晴れ晴れとした気分だった。今まで全然解けなかったパズルが、ある日突然、一瞬で解けたような、快感にも似た感情に包まれていた。


 もう下駄箱にも人影はまばらだった。土間特有の冷ややかな暗がりから、校庭を見やる。よく晴れて白めいたグラウンドには、天が新しい門出を祝福するかのように光が降り注いでいる。靴を履き替え、シューズバッグへ納めると、見慣れた顔が姿を現した。


「あ! お兄ちゃん! みんな待ってるよ!」

 しかめっ面で駆け寄ってきたのは、中間涼香なかまりょうか、我が妹だった。


 二つ年下で同じ高校の一年生である。兄妹揃って親譲りの長身痩躯ちょうしんそうく。華奢な手足に小さな顔。透き通るような肌に、よく手入れされた艶のある黒髪が映える。今日はそのミディアムストレートを、耳の後ろで二つ結びにしていた。結び目には黒紫のリボンが踊っている。涼香は背の高さをコンプレックスに思っているようだが、客観的に見ると、顔立ちの整った美人であることに間違いはない。


 よほど駆け回っていたのだろう。その額には珠の汗が浮いていた。


「あぁ、悪い。用事があってな」


「もう! 千絵ちゃん、ずっと待ってるんだよ! それに、お母さんも」

 千絵はともかく、なぜ母まで。式が終わったら帰るんじゃなかったのか。


「とにかく、急いで!」

 なおも焦りを見せない兄に業を煮やしたのか、涼香は腕を掴んで引っ張った。お白州しらすに引き出される罪人のように、白日のもとに晒される。突然の強烈な日差しに、俺は思わず目を細めた。


「わかった、わかった。急ぐから、ちょっと待ってくれ」

 涼香の手を振りほどくと、回れ右して校舎に相対した。深々と一礼する。お世話になった校舎に。尊敬する教諭に。そして、俺を成長させてくれた思い出たちに。一瞬だったが、走馬灯のように苦楽の記憶が脳裏を駆け巡った。


 その時、校舎からせせら笑うような声が聞こえた気がした。瞬間、背筋に寒気が走る。決して、不快な声ではなかった。クスクス……と、子供のように無邪気な笑い声。しかし俺には、過ちに気づかない愚者をあざけるように聞こえて、怖かった。


 まぁ、空耳に違いない。俺は誤魔化すように、額の脂汗を手の甲で拭った。


「おにーちゃん! 私、もう、知らないよ!」


「あぁ、悪い。行こう!」


 踵を返すと、駆け出した。思い出も悪寒も、いびつな予感も振り切るように。

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