第八話:Re:お菓子の家 後編

 気づけば、リビングに入った時に感じた美味しそうな匂いが、より明確になっていた。

 それを確認しようと、羞恥しゅうちうつむいていた俺は顔を上げる。


「………」


 そこには、なにやら中皿を一つ両手で持っている二乃が立っていた。

 その表情は、どこか切羽詰せっぱづまっているように感じる。


「……どうしたんだ?」


 不思議に思って、俺は首を傾げながら彼女にそう尋ねた。

 すると二乃はぎゅっ、と中皿を握りしめたかと思えば、それを俺に差し出してきた。


 高さの関係で気がつかなかったが、花模様のほどこされた中皿にはプレーンのクッキーが数枚乗せられている。

 先程から感じていた美味しそうな匂いというのは、これで間違いないだろう。


 驚いて呆気あっけに取られていると、二乃はクッキーを乗せた中皿を持ったまま隣に座った。

 俺とは手のひら二つ分くらいの距離を空けているものの、二乃特有である柑橘かんきつ類のいい匂いが鼻腔びくうくすぐる。


 そして二乃は、数枚あるクッキーの一枚をつまんで、俺の口の方へと差し出してきた。

 俗に言う、''あーん''の形である。


「……食べろ、ってことか?」


 少し気恥ずかしくはあるが、''あーん''はジェスチャーの一種がゆえに慣れてはいるのだ。

 だからそれより、格好を見る限り二乃が作ったのであろうクッキーの方が驚きだった。


 そんな俺の質問に、二乃はこくり、と小さく頷いた。

 そして、つまんでいる一つのクッキーを、更に俺の口元へと近づけてくる。

 その白い手は、緊張しているためかぷるぷると震えていた。


 それがまるで、俺のために作ってくれたかという馬鹿げたことを思ってしまって。

 でも、昨日も食べたいと思っていた二乃のクッキーを、実際に口にできる……


「……じゃあ、いただきます」


 俺は歯を使って、二乃に口が当たらないようにしながらクッキーを頬張った。


 ……ボリボリ、という咀嚼そしゃく音が、静かな室内の中でやけに響いているように思える。

 咀嚼している本人が、この俺自身なのにも関わらず、だ。


「………」


 ごくり、とクッキーを飲み込む音が響く。

 気づけば、その結果を待つかのように、二乃が不安げな表情でこちらを見てきていた。


 クッキーの後味が今も口内で残る中、そんな二乃を安心させるために、俺は微笑んだ。


「すごく美味かったよ。作ってくれてありがとうな、二乃」


 ありのままの気持ちをそう言うと、二乃はぱあぁ、と輝くかのような笑みを浮かべる。

 心底安心した様子で、緩んだまぶたに収まっているグレーの瞳は、少し潤んでいるようだ。


 ただ実際、二乃が作ってくれたこのクッキーはとても美味しかった。

 表面も中身も絶妙な硬さでさくっ、とするし、味も良くていくらでも食べられそうだ。


 これだけの出来なのに、作った本人はと言うと『美味い』と幼馴染に言われただけでこんなに安心して……


「そんなに俺の感想が重要なのか?」


 そんなあまりの感想に苦笑しながら尋ねてみると、二乃はこくこくと勢いよく頷いた。

 その目はカッ、と見開かれており、その必死さが声を出せなくても伝わってくる。


 いや……さすがにそんな迷いなく肯定されてしまうと、俺も気恥ずかしいのだが……


 顔が熱くなってくる。それに気がついて、俺は二乃から顔を逸らした。

 心做こころなしか、クッキーの後味がとても甘くなったように感じた。


 しかし、そんな俺を追いちするかのように、二乃が身体を更に近づけてきた。

 とても柔らかくて、温かい感触を突然実感することになった俺は、一瞬フリーズしてしまう。


「──って、二乃!?」


 すぐ我に帰った俺は、身をよじらせながら尚も近づいてくる二乃に向かって叫んだ。


 しかし二乃は、例の……上目遣いで首を傾げ、ダメ……?とでも言いたげな表情を向けてきた。

 今回は座っているおかげで互いの距離が昨日よりも近く、その破壊力は格別である。


 ……どうも俺は、もう幼馴染には敵わないらしい。

 俺は再び羞恥で顔を逸らし、それ以上は何も言うことが出来なくなった。


 許しを得ることが出来たのがわかったのか、二乃は更に身体を近づけてきた。

 その度、彼女特有である柑橘類の匂いは鼻腔を蹂躙じゅうりんし、その温もりと柔らかさは服越しでも明確に伝えてくる。


 この幼馴染……とんだ策士だ。

 被害者側もかなりの利益を作るため、彼女のレベルが並大抵でないことが伺える。


 勝利した二乃は止まることを知らない。


 彼女はまず、クッキーを乗せた中皿をを、ソファ備え付けのテーブルに置いた。

 そして、とっくに互いのももで埋もれた手を握ってくる。


 ……余談だが、二乃は腿も柔らかい。


 そして手を握ったまま、空いている方の手でクッキーをつまんで''あーん''もしてくる。

 その表情は緩みに緩みきっていて、心底幸せそうにしている。


 ……まるで恋人のそれだ、と思った。


 確かにクッキーは美味だし、彼女の体は柔らかくて温かい。とても良い。

 ただ……羞恥という感情が、脳内に収まらず身体中で暴れ狂う。


 ただ、その気分は決して悪いとは思えなくて。

 結局、自分も満更ではないことに自覚しつつある俺なのだった。



 □



 クッキー、彼に美味しいと言って貰えました!


 まだまだ練習中の身ですが、いつかは彼の胃袋も掴んでみせます。


 そして、スキンシップも積極的に試みているのですが、段々と楽しくなってきました。


 かずくんの温もり……今も昔も変わらず、とっても心地よいのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る