第14話 竜の旅立ち

 アルフリートは、ベッドに横になったまま、目を瞑る。

 そうすれば、今は亡き愛しい母親の面影を、瞼の裏にうつせるからだ。


 美しく儚げな少女時代。

 壮年になり、目元に小皺が増えると、笑うとより優しげに見えた。

 なくなる間際、美しかった金髪も真っ白になった。

 肌が皺だらけになってもなお、慈愛に満ちた彼女は美しかった。


 母さんーー。

 アルフリートは、母を偲ぶ。


 ◆


 幼い我が子が、父よりも自分の血をより強く引いているであろうことを、最初に気づいたのも彼女だった。


 ある日、アルフリートは、同年代の少年達と遊んでいたのだが、母親の元に泣きながら帰ってきた。

「アル! どうしたの」

 泣きじゃくり、母の部屋に駆け込む我が子に駆け寄って、抱きしめるエリシア。


「お前だけ、小さいって。ブレスも吐けないって。馬鹿にするんだ!」

 そう言って、母親の腕の中でぼろぼろと涙をこぼして泣くのだ。


 息子の背を撫でて慰めながら、エリシアは思った。

 アルフリートは、卵の殻を破ってこの世に姿を現した時、眩いばかりに輝いた。

 普通の竜には、そんな現象はない。


 その時から、薄々思ってはいた。

 我が子は人間の聖女である自分に似てしまったのだろう。


 ハーフドラゴンだとしても、竜族の親に似れば、その生き方はそう苦にはならない。

 けれど我が子は、自分に似てしまったのだ、と。


 確かに、彼は同年代の竜族の子に比べると体躯は一回り小さい。

 さらに、竜の最大の攻撃手段である『ドラゴンブレス』を、息子は行使できなかった。


「アル」

 名を呼ばれてようやく泣き止み、その濡れた顔をエリシアに向ける。

「こんなに濡らしてしまって」

 そう言って、ハンカチを取り出し、優しく濡れた頬を拭った。


「母様は、出来損ないの僕にがっかりしないの?」

 アルは、恐らく『出来損ない』と言われたのだろう。

 その言葉を使って、母親であるエリシアに尋ねてきた。


 エリシアは、その言葉を発した息子の唇を、人差し指でそっと押さえる。

「そんな言葉は使っちゃダメ」

「なんで?」

 エリシアの言葉が分からず、幼いアルフリートが首を傾げた。


 そんな彼を見つめながら、エリシアはにっこり微笑む。

「だって、あなたは、出来損ないじゃないから」

「でも、ガルドが僕のことをそう言うんだ」


 ガルド、というのはアルフリートの遊び相手を兼ねた近侍の少年だ。

 エリシアは、なるほど、と事態が飲み込めてきた。


 エリシアは、彼女の幼い息子に、再び顔を横に振って見せる。

「あなたは、出来損ないなんかじゃありませんよ。あなたはまだ、卵の殻を本当の意味で破れていないだけ」

「卵の、殻?」

 アルフリートが、キョトンとした顔をする。


 竜達は卵生で、生まれた時は卵として生まれてくる。

 ハーフであるアルフリートも同様だ。


「座ってお話ししましょう」

 彼女は息子を抱き上げ、ソファへ腰を下ろした。

 アルフリートは母親の膝の上だ。


 エリシアは、膝に乗せた息子の髪を指で梳く。

「母様もね、最初から聖女の力を使えたわけじゃないのよ」

 その言葉に、アルフリートがパッと顔を上げて、母の瞳を凝視する。


「教会にね、私が聖女だってお告げが降りたんだけれど、なかなかその力を使えなくてね」

 小さな拳をぎゅっと握りしめて、アルフリートが呟く。

「……まるで僕みたいだね」

「そうね」

 そう言うと、エリシアは彼の握った手を優しく上から包み込む。


「……大切なことはね」

「うん」

「自分の守るべき人達……、守りたい人に気づけば、もう一枚の卵の殻を割って、聖なる守りの力は開花するわ」

「僕にもそんな人達がいるのかな?」

「大丈夫。きっといるわよ」

「……」

「あら、寝ちゃったのね」

 会話をしているうちに安心して、アルフリートはエリシアの胸の中で眠ってしまっていた。


 ◆


 うとうとしながら母親の思い出に浸っていたアルフリートが、上半身を起こす。

「守るべき、人達か。いまだに見つからないな」


 謗られ、落胆され、自分を肯定する人は家族を中心として数少なく、彼には『守るべき人達』が見つかっていない。

 家族を愛してはいても、彼らは、アルフリートに守られずとも、自らが皆竜族として類い稀なる力を持っている。


 アルフリートは、ベッドから腰を上げて、窓辺に近づく。

 そして、窓を開けた。


 窓の向こうに広がるのは、青い空、白い雲。

 心地よい風が頬を撫でて行く。


 この広い空の下のどこかに、俺の守るべき人達がいるんだろうか?

 目を細めれば見つかると言うものでもないけれど、つい、そのを探す仕草をする。


 アルフリートは、思い立ったように文机に向かう。

 そして一枚の紙とペンを取り、家族に宛てて一筆したためた。


 ーー守るべき者を探す旅に出ますーー


 その紙が飛んでしまわないように、ペンを重石代わりに載せた。


 そして彼は再び窓に戻ると、窓の枠に片足をかける。

 窓枠に両足で立った彼の背中から、一対の赤い竜の翼が生える。

 彼は足をかけている枠を蹴り、窓の外に飛び出す。


 両翼がはためき、彼は、蒼空に向かって飛び立っていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る