第7話 下手くそ

「下手くそ」


 ワシは平成4年の春に、あちこちから借金しまくって、ついにR32のGT-Rを手に入れました。それまで乗っていたR32のtypeMもいいクルマでしたが、GT-Rは別物でした。ワシは夜な夜な出かけて行っては、速そうなクルマと追いかけっこをしていました。まったく負けなかったというか負ける気がしなかった。それぐらいすごいクルマでした。別格でした。ワシは自分の運転が上手くなったと思っていました。

 これまで、どちらかというパワーはないけど速いクルマが好きでした。パワーのないクルマでハイパワーのクルマを追いかけるのが好きでした。学生時代に、出たばかりのスカGターボと某国道の下りで競争しました。ワシのクルマは71レビンでしたが、余裕でついていけました。「ワシはもしかしたら天才かもしれんのう。」と思い無駄な自信になりました。そんな自己評価の異常に高かったワシはGTーRに乗るようになってからは、さらに天狗になっり、鼻が天まで届くほど伸びていました。そして、GT―Rのようなハイパワーのクルマは、追いかけっこするときに、とても楽だなあと思いました。


 たぶん平成5年の春ごろだったと思いますが、サイバーCR-Xに乗っている友人からお誘いがありました。美祢サーキットを走ってみんかという内容でした。

当時、山口県には「美祢サーキット」があって、国内のわりと有名なレースも行われていました。数年前にR32 GT-Rがデビュー戦で、ライバルたちを周回遅れにしてぶっちぎりで優勝したのもこのサーキットでした。日本一速い男と異名をとる星野一義選手の駆る青いカルソニックスカイラインに憧れていました。

 だからワシは二つ返事でOKしました。ワシはGT-Rでサーキットを走るのが夢でした。自分の腕を試すのにいい機会だと思いました。

 ワシはGT-Rで、友人のCR-Xはおろか、一緒に走るクルマどもをぶっちぎって一位でゴールするつもりでした。といってもどこかが主催した、サーキットを貸し切っての走行会かなんかだったので、そんなに気負わなくてもGT-Rはあれば楽勝だと甘く考えていました。ワシは、GT-Rと「サーキットの狼」のBライ模擬レースの時の早瀬左近のポルシェターボを重ね合わせていました。圧倒的なパワーで、他のクルマたちをぶっちぎっていく姿です。

 当日は、トランクを空にして、いらんアクセサリーを外して、ヘルメットと指付きのグローブとスニーカーを用意して美祢サーキットに行きました。そういう指示があったのだと記憶しています。途中でCR―Xと合流しました。

 それから先のことは、とても断片的な記憶で申し訳ないのですが、美祢サーキットに着いて、わりといろいろなクルマがいて、最初に集まって、話を聞いてコースインすることになっていたと思います。

「美祢サーキット(西日本サーキット)は、全国で唯一の反時計周りのサーキットです。」と言われたことだけは鮮明に憶えています。

 最初の一周は、みんなそろってゆっくり目に走って、二週目からはわりと自由に走っても良いと言われていました。ワシは「広くて走りやすいのう」と感激しました。GT-Rを全開で走らせることなど、公道では絶対に無理ですので、今日は全開で走ってみようと思っていました。それから帰りにニスモに寄ってオイルを交換してから帰ろうと思っていました。なぜかそんなことばかり憶えているのです。

 一週目はわりとゆっくり目に、みんな整然と並んで走りました。ワシは余裕のよっちゃんで、周りのクルマを見ていました。思ったより飛ばさんのうと思いました。

 しかし二週目に入ってから、周りのクルマが新幹線のように、ものすごく速くなりました。直線を過ぎて第一コーナーじゃったと思います。ワシはベストモーターリングのビデオで見たように、ブレーキングしてフロントに荷重を移してからハンドルを切って車体の向きを変えて、アクセルを踏みました。「おおっ!わりとうまくいったぞ。速いのう、GT-R。と思った瞬間、後ろにいたサニーに抜かれました。サニーですよ。サニー。たぶんパワーは半分もないのではないでしょうか。ワシは追いつこうと必死で走りましたが、どんどん離れていくのです。まったく追いつけないのです。それからサニーは、爆音を響かせてコーナーの向こうに消えてしまいました。それから他のクルマにもどんどんどんどん抜かれていきました。コーナーでも直線でさえも。怖くてアクセルが踏めないのです。GT-Rが曲がらないのです。ブレーキが効かないのです。自慢のRB26DETTが吹き上がらないのです。アテーサETSが・・・。結局、CR-Xと一緒に最下位近くを必死に走りました。たぶん顔が引きつっていたと思います。

 はっきり言いましょう。レベルが違うのです。公道で走り屋を気取っていたワシごときでは、サーキットのハイレベルでの走行についていけないのです。それにしてもみんな上手いのうと感心することばかりで、目からうろこが50枚ぐらい落ちた一日でした。

 帰ってみたら、タイヤのエッジのちび方が半端じゃあなくて、オイルとともに交換することになり、えらく高くついたのを憶えています。そして、もう二度とサーキットを走ることはやめようと思いました。はっきり言ってワシは怖かったのです。それからレベルの違い、腕の差、いろいろなことを痛感させられて、ワシは運転が「下手くそ」じゃなあと思い知らされた一日でした。

 ワシは実は、運転が「下手くそ」だったのです。速いと思っていたのは、錯覚で勘違いで、主観に過ぎなかったのでした。タイヤ代のこともあって、ワシはもう二度とサーキットに行くことはありませんでした。

 すっかり懲りて、自信を無くしたワシは、友達伝いに空いている車庫を見つけて、GT-Rを洗ってカバーをかけて、しまい込むようになりました。そして時々出して、主にナンパ車として使うようになりましたとさ。そして10万円のアルトに乗って、うちわで暑さをしのぎながら飄々と走るようになったのは言うまでもありません。

 実は、タイヤ代もショックだったんですよ。225/50 4本。当時はものすごく高かったと記憶しています。ちゃんちゃん。

 「人間、向かないことはしない方がいいよ。」ということがよくわかりました。

本当ですよ。(泣)


(追記)

その後、単純なワシは、「湾岸ミッドナイト」の影響をモロに受けて、Zに乗るようになりました。還暦過ぎた今でも、ワシの唯一の財産である?Z34にときどき乗っています。

「のど元過ぎれば熱さを忘れる。」という言葉は、まったく懲りていないワシのためにできた言葉なのだと我ながら思っています。


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