第4話 一時停止
「一時停止」
数年前の、わびさびの秋の気配が漂う夕方のことでした。
ワシは、ひと月後の免許更新で、ようやくゴールド免許が戻ってくるという嬉しい状況でしたので、それはそれは慎重に運転していたつもりでした。思えば長かった5年間でした。あおられてもクラクションを鳴らされてもじっと我慢して、制限速度を厳守するのはもちろんですが、なるべく用事もないのにクルマを運転しないようにしていました。そんな努力ももうすぐ実って、晴れてゴールド免許を取り戻し、任意保険の割引やいろいろな特典などを享受できる身分になる予定でありました。
その日の夕方、仕事を終えたワシは、いつものように職場を出ました。職場から右折して、10数メートル行くと国道に出ます。そこが一時停止になっています。ワシはいつものように一時停止して、左右を確認して、それから左折して国道に出ました。それからゆっくりと走り始めました。
そしたら急に、白い工事用のバンのようなクルマが赤色灯をつけて、マイクで何やら叫びながら猛スピードで接近してきました。これは覆面パトカーだと分かったので、邪魔をしないように左ウインカーを出して路肩に寄って止まりました。
まさか対象がワシだとは微塵も思わなかったので、その覆面車が抜いていくのをじっと待っていました。そうしたら、なしてか知りませんが、その覆面はワシのキューブの前に西部警察のように止まりました。赤色灯はつけたままでした。そしたら中から制服を着た警察の方が下りてきて、ワシに
「一時停止しませんでしたね。」
と言われました。ワシはびっくりしましたが、確かに止まった自信があったので
「ワシは止まりました。」
と答えました。すると
「ここは交通の邪魔になりますので、とりあえずこの先の橋の手前の広場に移動して
ください。」
と言われたので、ワシは従いました。頭の中は?マークが100個ぐらい点灯し始めていました。その場所に移動してから、そのバンの覆面車の中に入れられました。この時点で小心者のワシはかなりビビッていましたが、正しいことは正しいと主張しなければ冤罪事件になってしまう思って覚悟を決めました。
「ワシは確かに止まりました。止まって左右を確認しました。」
「止まってなかったんですよ。クルマが動いていました。私たちが2名で確認したので間違いありません。」
「どこから見ていたのですか。」
「向かい側の駐車スペースの奥から見ていました。」
「けっこう離れているのによく見えましたね。」
「間違いありません。」
それから警察の方は、とくとくとお話を始めました。
「よかったですよ。今回我々が発見して。これで、一時停止について意識していただけるようになったと思います。今までのあなたの止まり方は危険です。いつ事故に遭って命を失うのかわかりません。そうなってからでは遅いのです。我々はあなたの命を守ることができたと思っています。」
「はあ。でも。」
「最低3秒なんですよ。一時停止というのは。確実に停止して、左右の安全を確認して、それが一時停止ということなのですよ。」
「はあ。でもワシは4秒止まりました・・・。」
それから、止まったの止まっていないのという2対1の水掛け論があって、切符を出して書き始めたので、それでもワシは絶対に止まったという自信があったので、それから今だから言いますが、ゴールド免許まであとひと月ということもちらっと頭をよぎったので、
「ワシは止まりましたので、拒否します。」
とビビりながら反抗してしまったのでした。ワシは、言ってしまったあとで、これは逮捕されるかもしれんとか、銃殺されたらどうしようとか、不安でいっぱいになりました。しかし警察の方は、いたって冷静で紳士的でした。
「わかりました。じゃあしばらくお待ちください。」
と言って何やら無線で連絡を始めました。
「今からパトカーが来ますから。」
「えっ。」
ガーン。なんか大ごとになってしまったようでした。ワシはついに逮捕されるのでしょうか。ワシはすぐに謝って帰ろうかと思いましたが、そういう雰囲気ではなくなってきたので、黙っているしかありませんでした。ワシは、バンの中に軟禁?されたまま待ちました。待ちながら時間が気がかりになってきました。
父親(当時98歳、一人暮らし)が待っていましたので、「必ず終わったら出頭するので、一度帰って夕食の用意をさせてほしい。」と懇願したのですが「それとこれとは話が別ですから」といって取り合ってもくれません。それから「違反を認めたらすぐに帰れます。」とか「そもそも違反したのが悪いのではありませんか。」とか、言われるので、仕方なく待ちました。ワシは父親のことが気になって少しずつ焦りはじめていました。
あとで「相棒」を見ていて知ったのですが、警察官は「逃亡」の恐れがあるときは、自由を拘束する権利があるそうです。ワシはあのとき、免許証も差し出して、職業もすぐそこの勤務先もすべて明かしていたのですが、それでも、あの時はきっと
「逃亡」の恐れがあったのだろうと思いました。
30分ぐらいして、クラウンのパトカーが3台もやってきて、ワシのクルマを取り囲むように止まりました。ワシは「人生終わった。」と本当に思いました。それからいろいろと聞かれて、何とかという調書?を取ることになりました。ワシの言い分を聞いてくれて、文章にまとめる様子でした。パトカーでやってきた警察官が対応してくれたのですが、ワシの言い分が正確に記載されてないように感じたので、
「ワシに書かせてほしい。」
とお願いしたのですが1秒で却下されました。でも、ああじゃあこうじゃワシが言うことを丁寧に書いてくれたのを何とか確認して、拇印を押しました。印鑑も持っていましたが、あくまで拇印をと言われたので、右手の親指に朱肉をつけて押しました。
それからカメラを持ったまた別の警察官がやってきて、ワシのクルマの運転席に座らされて、何枚か証拠写真みたいのを撮影しました。ワシは不安と恐怖でもうどうなってもいいので「自白」して帰りたいと思ってしまいました。しかしそれらが済むと、あっさりと開放してくれそうな雰囲気になりました。そして最後に、
「気が変わったらお願いします。」
と丁寧に言われて、反則金の振込用紙だけをくれました。もう疲れて逆らう気力もなかったワシは、それを素直に受け取ってクルマに乗りました。あの悪夢のようなサイレンを聞いてからすでに1時間半が経過していました。秋の夕日はすっかり沈んで、あたりはもう薄暗くなっていました。
次の日、朝イチで上司に報告を入れました。それから「納得がいかないので、青切符の受け取りを拒否した」ことも伝えました。上司に怒られないコツは、先制攻撃です。耳に入る前に耳に入れていくこと。長年勤めて、唯一身に着けた自己防衛方法です。
昨日の警察の人の話によると、このあと裁判所かどこかから呼び出しがあるそうです。呼び出しがあって、事情を聴かれて、それから判決?が出るそうです。とにかく面倒くさいことがイヤだったら反則金を払ったら一瞬で終わると教えられました。
ワシは、これからの手間や労力などいろいろと考えて、その日のうちに郵便局へダッシュして反則金を納付しました。15000円ぐらいだったと思います。お上に逆らうには莫大な労力が必要なのです。国の言うとおりに従順に大人しく羊になって生きた方が、賢い生き方だと確信しました。ワシはやっぱり根性なしじゃったのです。
この国道(191)は、なぜか交通取り締まりが頻繁に行われています。白バイやパトカーやバンの工事車両みたいな覆面車が隠れていたり、早朝からレーダーによる取り締まりが行われていることもあります。職場で仕事しているときに、違反車を追いかけるサイレンやマイクの声が頻繁に聞こえることので、地域の人もみんな慣れっこになっているのです。
以前、ワシの同僚先輩が「すまんけど明日は7時に出勤してね。絶対だよ。」とみんなに念を押していたにも関わらず、一向に現れないということがありました。早朝出勤してきた面々で「ええかげんやなあ。」と思いながら少し心配していたら、来る途中のトンネル抜けたところでレーダーにつかまっていたという笑い話にもならんこともありました。
市内から20キロぐらい離れた田舎のちょっと大きい町で、国道も広く通勤者も多いため、スピードを出す人も多いっちゃあ多いと思います。またこの国道は大都会の広島に直結しているため、そちらの方がドライブやツーリングで通過されます。また運転のおぼつかない高齢の方も多いため、ちょっと隠れて待っていれば、入れ食い状態で切符を切りまくることが可能なのです。
そんな取り締まりを行う方々にとっては穴場ですので、気合の入り方が違うのです。ちなみに、道幅も狭くて交通量も多く、もっと危ないと思われる国道9号線の方は、この頃は、取り締まりやレーダーを見たことがありません。そんなところですので、赴任した当日は、仕事のことよりも「取り締まりが多いので気をつけるように。」と注意されました。
こういうやり方については、こんなワシでさえ、少し不満を感じています。特に、お年寄りについては、隠れて切符を切ることよりも、その前に危ない箇所に堂々と立って、事故や違反をする前に安全や命を守ってあげるべきではないかと思うのです。
でもワシはチコちゃんよりも知っているのです。警察の方々はその使命を全うし職務に対して誠実に仕事をしているだけなのだと。だからワシは警察の方が悪いとか、やり方が藤木くんよりも卑怯だとかまったく思いません。ワシも警察官だったとしてもその職務命令に従います。こんな取り締まり方を好きでしているのではなく、させられているのだと思います。警察は縦社会です。〇〇→警察庁→県警本部→警察署長と命令が下りてくれば、従わざるを得ないのです。じゃあ誰が悪いのか。ワシは〇〇の部分だと確信しています。自分さえよければいいと思って生きてきた高級メロンの好きな、選挙のときだけ優しくなるおっさんたちだと思っています。すべての職務命令が、このおっさんたちの「メロン食いたいけど予算がないのう。」から始まっていることに、それによって誠実な警察の方々、年金でがんばって生きている高齢者の方々など多くの方々が巻き込まれてひどい目に遭っているという世の中に、理不尽さを感じているだけなのです。こち亀の両さんだったら、「メロンぐらい自分の金で買って食え!」と怒鳴ってくれていることでしょう。
でもワシはその後、一時停止を厳守するようになりました。たとえあおり運転をされてる最中でも、追突されそうになってクラクションを鳴らされても、停止線手前できちんと3秒以上停止して、左右を確認して、それからじわっと前に出て、もう一度左右を確認してから出るようにしています。もしあの時、捕まらなかったら、雑に一時停止する癖が身についていたようですので、もしかしたら大きな事故をやっていたのかも知れません。そういう意味では、ワシはこのときの警察の方に本当は感謝しています。そして、さらに5年もお預けになったゴールド免許を目指して、安全運転に心がけています。
あの時の警察官の方々。お忙しいときに時間を取らせてすみませんでした。おかげでワシはまだ生きています。ホントだよ。
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