第288話 緋色の部屋18


「今日はなんの夕飯作るの?」

「まだ夕飯を作る時間じゃないんだが?」


 俺の家に来て、早速ゲームの電源を入れる砂橋に俺はため息を吐く。


「じゃあ、昨日の夜中に作ってたのだしてよ。あの四角いクッキー」


 砂橋がゲームをしている間、俺が菓子作りをしていたのは、匂いでバレているだろうとは思っていたが、ゲーム中にこちらの様子を伺っていたらしい。


「クッキーというか……ショートブレッドだ」

「クッキーと何が違うの?」


 何が違うと聞かれても、レシピにはクッキーではなく、そう書かれていたからだとしか言えないが。俺が何も言わずに冷蔵庫からショートブレットを並べた皿を取り出すと砂橋はそれ以上質問せず、嬉しそうに目を輝かせた。


「オレンジジュースでいいか」

「うん」


 砂橋がゲームをしている間、たいてい俺は仕事をしていたりするのだが、数十分ごとに砂橋が大人しくしているかどうかが気になってリビングまで見に来てしまうことがある。


 それに自分で気づいてからは砂橋がいる時はなるべくリビングにいようと決めたのだが、それはそうとして仕事で切羽詰まっている時はどうしても書斎にこもってしまう。


 今日は急いでいる仕事もなくてよかった。


「そういえば、この前僕がやったミステリーのゲームさ。弾正が締め切り直前で部屋にこもってた間に終わったから、気になってやったんでしょ?」


 ゲームの操作をして、テレビ画面から目を離さないまま、砂橋が俺にそう尋ねた。


「……そうだが、何故分かった」


「僕が新しいゲームのディスクに替えようとした時にそのミステリーのゲームのディスクが入ってたから。ていうか、弾正、新しいゲームついでに買ってなかった?」


 確かに買った。


 久しぶりに俺もゲーム屋に行ったのだ。気になったゲームの一つや二つぐらい買ってもいいだろう。


「ねぇ、なに買ったの?」

「……ミステリーものだ」

「やってもいい?」

「俺が先にやる。お前はその後だ」

「ケチー」


 砂橋は口を尖らせたが、たいして気にはしていないだろう。やりたいと言ったところで、砂橋は昨日から始めたゲームがあるのだから、いますぐミステリーのゲームをやり始めるとも思えない。


 それに、このように多くの選択の中から一つを選んでいくゲームは、砂橋の好みのゲームだろう。途中で投げ出すとは思えない。


「どうだった、湯浅先生?」

「お前のジョークのせいで俺が赤っ恥をかくことになった。謝罪しろ」

「弾正が勝手に先生のことを変態だと勘違いしたのが悪いんじゃん。僕は悪くないよ」


 確かにそうだ。砂橋がそうなるように仕組んだこととはいえ、湯浅先生のことを勝手に変態だと信じ込んだのは俺だ。いや、俺だけではない笹川もだ。


「笹川くんと弾正、面白かったよー。湯浅先生のことを異常者だと決めつけて、本当に大丈夫か?大丈夫なのか?って何度も僕に聞くんだから、笑いをこらえるの大変だったよ」


 いや、悪いのは砂橋だ。


 こいつは確信犯だ。そもそも俺たちが勘違いしているのを気づいてすぐに訂正しないこいつが悪い。


「湯浅先生をわざわざ呼んだのは何故だ?」

「呼んでほしくなかったの?」


「今回の事件は、そもそも事故だと警察が断定したものだろう。そういえば、猫谷刑事に火事の調査については聞いたのか?」


「忙しいって一蹴されたよ」


 借りだと言っても猫谷刑事は一蹴したのだろう。やはり、猫谷刑事も熊岸警部も今は連続殺人事件の件で忙しいらしい。


 それなら、結局警察が調べた火事についての情報は手に入れられなかったということになる。


 それでも、警察が木村結人の死は事故だと判断しているのだ。


 これ以上、何を調べろと言うのだろうか。


「調べることがほとんどない依頼だろう?」


「それでも、依頼人が調べろと言ってるんだから、僕らは調べないといけないんじゃない?」


「……そういうものか」


 砂橋は高瀬から調査の依頼を受け、そして、お金を受け取るという契約を交わしている。それならば、砂橋は依頼人である高瀬が納得いくまでこの火事について調査しなくてはいけないのだ。


「でもまぁ、湯浅先生のことを呼んだのは、久しぶりに昔話をしたくなってね」

「お前がか?」


 友人が昔話をしたくなったと言っても、たいして気にすることはないが、よりにもよって砂橋が昔話をしたくなったなどと言い始めるとは何事か。


 過去なんて自分にはありませんよ、みたいな顔をして過ごしている砂橋が。


「何その驚いた顔。僕にだって、過去はあるし、昔のことを知り合いと話したりするよ」


 砂橋はテーブルに載せた皿からショートブレットを一つ手に取ると口にくわえた。ガラスのコップにオレンジジュースも淹れてテーブルに置いておく。


 キッチンに出したオレンジジュースのペットボトルを冷蔵庫のポケットに戻す時、俺は木村結人の冷蔵庫の中身を思い出した。


 俺の冷蔵庫のポケットには酒の類が一切ない。


 酒が飲めないわけではないが、別に毎日飲みたくなるというわけでもない。飲みたい日があれば、その日に買って飲むということが多いため、冷蔵庫内に酒の類があることはあまりない。


「酒でも飲むか?」

「僕らも飲み会でもする?リモートじゃないけど」

「ワインを見たら、久しぶりに飲みたくなった」


 スーパーに売ってある中でよく飲んでいるアルコールがそこまで強くない商品を思い出す。あれなら、一夜のうちに一本飲み干すことができるだろう。


「じゃあ、チーズもほしいね。カプレーゼとか作ってよ」


 結局作るのは俺になるのか。


 さて、何を作ろうか。ホワイトシチューでも作ろうか。季節には似合わないかもしれないが、エアコンの風によって心地いい温度に保たれている部屋の中では季節など関係ないだろう。


「それじゃあ、俺は出かけてくる」

「僕も行く」


 砂橋はゲームを一時停止して、立ち上がった。


「また、俺が見ていない隙に余計なものを買い込むつもりだろう」

「そんなことしないよ。荷物持ちぐらいはしてあげる。お店から車までの」


 荷物持ちの意味があまりない。


 砂橋のせいで身に覚えのないお菓子がカートの中に入っていることなど日常茶飯事だ。俺はため息をついて、家の鍵を掴むと砂橋と一緒に外出した。

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