第248話 学校潜入編36


「弾正くん、この前はありがとう」


 探偵事務所セレストのあるビルの一階の喫茶店硝子匣のテーブル席で、七瀬は俺にそう言った。


 目の下の隈が濃い。前と比べて少しだけ痩せているような気がするのは気のせいではないだろう。


「大丈夫なのか?」

「大丈夫、ではないわね……」

「……そうか」


 彼女はホットカフェオレを持つと一口だけすすった。


「……でも、教師になるのは夢だったから、やめたくないの。もし、今の学校にいられなくなるのなら、どこか遠いところで教師をやることにするわ」


 彼女は今回、いじめに気づくことができなかった無能な教師としてネットのニュースでは言われていた。


 しかし、ネットニュースでも学校のいじめがあるかもしれないと思ってからの対応の早さをきちんと伝えている局とそこを隠してあたかも学校側が完全に悪いと伝えている局との差が激しく、学校を非難する声よりもネット上では偏った報道をする者達への非難が多いような気がする。


 それだけは幸いだっただろう。


「祐樹くんが亡くなって、颯太くんが犯人だって、翌日、うちのクラスの子達には伝えたの。しっかりね。それで私、謝ったの。気づいてあげられなくてごめんって」


 庭崎にもごめんなさいと謝っていた。二年二組の生徒達全員を前にして、彼女は頭を下げたのだろう。


「そしたら、うちのクラスの子達も謝りだしたの。こんなことになる前にちゃんと相談してなくてごめんって」


 二年二組の生徒達が七瀬にいじめのことを話さなかったのは、きっといじめの被害者から頼まれていたからだろう。


 いじめを止めることができなかった彼らは祐樹への負い目からか、大人にいじめがあると伝えるなという祐樹のお願いを聞くしかなかった。何故なら、自分達はいじめを解決できずに、見てみぬふりをしているからだ。


「そうか……。仲直り、できたのか」


 生徒と先生の間の関係の修復を、仲直りと言うのかどうかは怪しいが。俺の言葉に七瀬は力なく笑った。


「そうだと、嬉しいわね」


 砂橋の言動に付き合わせてしまったことへの詫びとして、喫茶店の代金は払うと言ったら、彼女は笑った。


「やっぱり、砂橋さん、ミステリー小説の探偵さんのモデルなんでしょう?」

「……お願いだから、砂橋には言わないでくれ」

「言わないわ。きっと、もう会わないから」


 そう言って、彼女はカフェオレを飲み終えると、俺を置いて先に喫茶店から出て行ってしまった。


「なぁに、弾正。フラれたの?」


 俺が一人、テーブル席でアイスコーヒーを飲んでいると、くすくすと笑いながら、砂橋が俺の向かいの席に座った。


「砂橋さん、今日は何にしますか?」

「イチゴのレアチーズケーキとカフェモカで」

「分かりました」


 四条マスターは注文を聞くとすぐにカウンターへと引っ込んでいった。俺はため息を吐く。


「聞いていたのか?」


「いや、今入ってきたところ。七瀬さん、たぶん僕には会いたくないだろうから、喫茶店から出てくるのを見送ったよ」


 それぐらいの配慮はできるようだ。


 よかった。俺の書いているミステリー小説の探偵のモデルだと砂橋に知られなくて。知られていたら、今頃、俺は喫茶店の窓ガラスから外に飛び出していた。


「それにしても、学校も大変そうだね」

「……そうだな」

「今度講話しに行くんだって?」

「ああ」


 渡辺校長から講話をしてくれないかという連絡が来た。どうやら、学校の生徒達の気分転換になるようなことがしたいらしく、いくつか考えを巡らせているらしい。


 果たして、俺の話が生徒達にとって息抜きになるかどうかは怪しいが、俺は渡辺校長の話を快く受けた。


「僕も行っていい?」

「冗談だろう」

「まぁね。興味ないし」


 むしろ、行きたいと駄々をこねられても全力で置いていくことにしていた。


「いやぁ、それにしても今回は幼稚で杜撰な計画だったね。そもそもいじめなんてことをやる人間の思考回路は幼稚だって思ってたし」


 もし、砂橋と俺が出会ったのが、大学生の頃ではなく、中学生や高校生の頃だったらどうしていたのだろう。


 吉本をいじめていた奴を殴った時のように、俺は砂橋をいじめた奴を殴りつけただろうか。


 カフェモカとイチゴのレアチーズケーキが目の前に置かれ、レアチーズケーキを一口口に入れた砂橋は俺の顔をじっと見た。


「なに考えてるの?」

「……俺と砂橋が中学生の頃に出会っていたらどうなっていたかなと考えてた」


 砂橋は「んー」と考えるようにフォークを咥えたまま、右上の空中へと視線を投げかけた後、けろりとした表情をしてフォークから口を離した。


「もし、僕らが中学生の頃に会ってたら……」


 もう一口と、砂橋はケーキにフォークを突き立てる。


「僕が弾正のことを殺そうとして、弾正が僕のことを殺してたんじゃない?」


 予想外だったが、納得に行く答えに俺は思わず笑った。


「そうかもな」

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