第24話 潮騒館殺人事件24
警察により、調べられていて近づけない貴鮫の死体は床に放置されたままになっていた。
あの死に方からして、毒で死んだのは分かっているが、腑に落ちないことがある。
飲んでいたのはコーヒーだが、貴鮫の使っていたコップのコーヒーはほぼ空になっている。そして、皿に載ったクッキーは、貴鮫が死んだあとも愛が同じ皿からクッキーをとって食べていた。
だったら、貴鮫はどこから毒を摂取したんだ?
「弾正、弾正。笹川が迎えに来てるから一緒に帰ろ。あいつ、うるさいから代わりに相手してよ」
「そういえば、着拒をやめろと連絡が来てたぞ」
「だって、今回僕が死ぬ振りするって言ったら「危ないからやめてください!」って電話が二十件くらいきてたからうざかった」
それは確かに面倒くさくなるのも無理はない。それに、行動中にスマホが鳴りっぱなしになっていたら邪魔なことこの上ない。
「海女月さん」
砂橋は、同僚らしい警官と話している海女月へと近づいた。
「どうした?」
「貴鮫さんの死体だけど、鑑識の人に眼鏡とか服とか調べてほしいって言っといて。たぶん、眼鏡だと思うんだけど」
海女月は目を丸くしたが、少しして頷いた。
「ああ、分かった。伝えておく」
そういえば、と海女月が砂橋を振り返った。
「私の上司の熊岸に君のことを伝えたら「今回も同じでいいんだな?」って聞いていたが」
「あー、うん。お願いするよ。僕の名前は出さないでくれれば、手柄とかは好き勝手にして」
海女月は、ふっと笑って「そうか」と頷いた。
「砂橋」
「ああ、毒のこと?」
俺はこくりと頷いた。
毒物のことはよく分からない。貴鮫が毒を口に含んだのか、皮膚から毒の成分が入ったのか。それとも、ずっと前に毒を摂取していて、やっと死んだのか。
「たぶんだけど、眼鏡じゃないかな」
そう言いながら、砂橋はくいくいと眼鏡を押し上げるようなジェスチャーをした。
「眼鏡か。……毒がついていたとして、愛はいつ眼鏡に毒を塗ったんだ?」
「誰だって、お風呂の時は眼鏡をはずすでしょ?」
確かに、それはそうだ。
貴鮫が入浴中、愛はどこにいたのだったか。
確か「書斎や寝室を掃除しておくように頼まれたので、そうしようと思います」と言って部屋を出て行ったか。今思うと木更津貴志は彼女の手により殺されていたので、掃除などする必要がなかったのだ。
「貴鮫さんは何度か眼鏡を触る仕草をしていたから、眼鏡に毒を塗っておけば必然的に指に毒がつくことになる」
そして、その毒のついた指でクッキーを食べてしまったというわけだ。
「だから、愛は貴鮫と同じ皿のクッキーを食べても平気だったんだな」
「そうそう」
開け放たれた食堂の扉から俺と砂橋はホールへと向かった。そこには黒髪の俺と砂橋の中間ほどの背丈の背広を着た男が立っていた。黒色のコートが濡れている。
「砂橋さん! 着拒解除してください!」
「あー、まぁ、事件も終わったしいいよ。情報ありがとうね」
砂橋が手をひらひらとさせると笹川は「スマホを出してください!」と砂橋に詰め寄った。どうやら、目の前で着拒を解除しないと気が済まないようだ。
「いくら弾正が一緒だからってこんな無茶なことを! 弾正も止めてくださいよ! 砂橋さんが事件のためなら、なんだってするの貴方知ってるでしょう!」
「知ってるが……」
正直、今回の砂橋を止めることは俺には不可能だった。
砂橋が死んだふりをして、その間に調査をするというのを知ったのは、実は潮騒館に来てからのことだった。いつ仕込んでいたのか俺が読もうと思っていた文庫本の間にメモの切れ端が入っていたのだ。
『今回、僕、死ぬかもしれないからそうなったら一番に駆けつけて、みんなに生きてることばれないように部屋まで運んでね~』
まったくもって伝わらない。
俺にどうしろというのだ、と文庫本を何度も開いたり閉じたりするはめになった。最終的にどうにかなったが。
「帰りますよ! 仕方ないから弾正も送ってあげます!」
笹川はまだ機嫌が直らないようだ。砂橋は呑気に「お腹減ったからコンビニで何か買ってこうよ~」と話している。
雨は止んでおり、空を見上げると雲もどこか遠くの方へと行ってしまっていた。館の灯りがなければ、星が見えていたことだろう。
振り返ると俺たちが今まで中を奔走していた潮騒館がある。
「全員が全員を疑って騒いでいたな」
「仕方ないよ。嘘をついてる人は、どうしても他人も嘘をついてると思いこんじゃうから」
砂橋は車へ向かおうとしていた足をくるりと引き返して俺の隣まで戻ってきた。
そういえば、ここにいた人間は全員秘密を抱えていたな。砂橋の死を偽装していた俺もその中の一人だ。
愛は、木更津貴志の死を隠し、貴鮫は、砂橋の死を隠した。
蝦村と海女月は、書斎に忍び込んで調べ物をしていたことを隠し、羽田は父親である羽田会長の弱みを握る目的を隠していて、白田は自身をメイドだと偽っていた。
砂橋は、自分が生きていることを隠していたし、それに。
「俺は羽田に嘘をついてしまったな」
「え? なに?」
「砂橋は人が死んで喜ぶタイプじゃないと羽田に伝えていたんだ」
俺の言葉を聞いた砂橋は目を丸くしたと思うと「はっ」と口元を歪めて笑った。
「それ、本気で思ってる?」
「まさか」
こんな人里離れた場所に、自身の父親を殺したかもしれない人間を呼ぶ理由など復讐以外に他ならない。そして、真相を掴むように依頼されていた砂橋は、唯一、愛の犯行を食い止めることができた人物なのだ。
「愛の復讐を止める気は一切なかっただろう」
「ははっ、止めてどうなるの?」
そうだった。
砂橋はこういう奴だった。
「本気で殺したいと思ってるんだったら、そうさせてあげなきゃ、かわいそうでしょ?」
「……そうだな」
砂橋は、人を殺したいと思ったことがある。苛立ちからくる軽い殺意などではなく、恨みからくる重厚な殺意だ。
「殺せなかったところで溜まった気持ちは残っちゃうんだから、きっと辛いよ。それに、実行犯ではないにしろ、あっちも人一人殺してるんだからいいんじゃない?二人殺されてるっていうなら、お父さんとのこれからを奪われた愛ちゃんの人生分も含めて、とんとんだよ」
「お前はそういうやつだったな」
そして、俺はこいつのこういう性格を知っていながら、付き合いをやめないのだ。いや、やめられないのだ。
「幻滅した?」
「お前の性格は分かり切っている。何を今更」
「ならよかった」
砂橋は安心したように目を細めると笹川の待つ車へと歩いて行った。
潮騒館の少し下、岩に打ち付け、砕け散る波の音が耳に届く。もうこの場でこの音を聞くことはないのだろう。もうこのような経験はなくていい。
「何してるんですか、弾正!置いてきますよ!」
「お前も本当によくやるよな」
運転席から顔を出して、こちらを睨む笹川に俺はため息を吐きながら、後部座席へと乗り込んだ。
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