ボディシェアリング 俺があいつで、あいつも俺で
チェシャ猫亭
第1話 願ったものは
六月下旬、木曜の明け方。
「センパイにお願いがあるんです」
「なんだよ、改まって」
「一晩だけ、体を貸してもらえませんか。俺、急にいなくなったでしょ。彼女と、きちんとお別れしたいんです。
毎晩、彼女の部屋に行ってるんですけど、まるで気づいてもらえなくて。ずっと泣いてばっかで、つらいです。やっぱり、体がないと、声も出せないんです」
「そうか」
渡辺淳は、先月、突然、命を落とした。道を歩いていると、マンションの大規模修繕の囲いが倒れてきたのだ。風の強い日なのに、囲いは固定されていなかった、という。
気の毒なことだ、一晩くらいなら、と、和臣は快諾した。
「ありがとう、センパイ。それじゃ今夜、伺います」
笑顔で片手を上げ、淳の姿は消えた。
夢は、そこでおしまい。なんだか、リアルな夢だった、と、和臣は思う。
悲しい悲しい、葬式だった。
まだ二十三歳。小学校から大学までの同級生、先輩、後輩が押し寄せ、皆、号泣していた。
和臣も参列して、改めて、淳が皆に好かれていたことを実感した。
彼女らしい女性も、棺の傍で泣き崩れていた。過呼吸になったとかで、誰かに付き添われて姿を消した。
けっこう、きれいな女性だったなあ。確かに、あんな恋人を残して突然、この世とおさらば、はつらいよなあ。
和臣にも恋人がいる。
その日の仕事は、大した残業もなく終わった。あと一日で週末、明日の夜には、未知が訪ねてくるだろう。
指輪、どうやって渡そうか。プロポーズの演出、めんどうくさいな。
ぼんやり考えていると、時計が九時を指した。とたんに、和臣は、眠気に襲われた。
小鳥のさえずりが聞こえる。
朝だ。
起きなくちゃ、と、ふと横を見ると。
見知らぬ、若い女性の寝顔が。なかなかの美女だ。
「わあっ」
和臣の声で、女性も目覚めて、
「おはよう、淳?」
淳の名前が出るとは、どういうことか。
まさか、夢の通りに、淳が昨夜、自分の体を借りに来たのか。もし、そうならば、この女性は。
戸惑う和臣に、女性は事情を察したらしく。
「中田先輩、なんですね」
ベッドから出て、急いでブラウスに手を伸ばした。彼女は、キャミソール姿だった。
さらさらのロングヘア。未知のショートカットを見慣れているだけに、これだけでドキッとする。
「あの、これはいったい」
自分も、Tシャツにトランクス姿であることに気づき、和臣は焦った。
まさか、この女性と、過ちを?
「安心してください。昨夜は私たち、何もありませんでした。私、高岡
「晶子さん。中田和臣です」
ぺこりと頭を下げる。
「昨夜、淳のことで話があると、あなたが訪ねてきました」
いきなり見知らぬ男が押しかけてきて、「俺は淳だ」と言っても怪しいだけ。最初、和臣の体を借りた淳は、「夜分、申し訳ない。淳のことで、大事な話がある」と、晶子に話して、部屋に通されたという。
それから、自分が淳であること、先輩の了承を得て、一時、体を借りて会いに来たのだ、と告白した。
「もちろん、はじめは信じられませんでした。でも、私しか知らないことを、彼はなんでも知っていて。淳が逝ってから、私が、朝から晩まで泣いて、泣き疲れて寝つくまで、ずっと見守ってた、なんて話をされると」
やっぱり、この男性は淳なのだと、信じるに至った、と晶子は説明した。
「ゆうべは、とっても幸せでした。淳と話せてうれしかった。彼、即死ではなかったんです。息が絶えるまでの間、私のことを思い続けて。晶子を残して死ねない、と。でも」
晶子は、声をつまらせた。
「そうでしたか」
和臣も、しんみりしてしまった。あんな格好で並んで眠ったのはマズイが。淳も、他人の体とは言え、彼女との最後の夜だ。着衣のまま、というもの寂しかったのだろう。
和臣は、何か自分がとてもいいことをしたような、爽快な気分で晶子の部屋を出た。
急いで自分の部屋に戻ると、鍵がかかっていないし、照明もテレビもつけっぱなし、スマホも充電中のまま。淳が一瞬にして気分の意識に入り込み、消灯もせずに、晶子の部屋に向かったのだろう。
ま、いいけどな、一晩くらい。
ふとスマホを見ると、未知から尾怒りの着信が、山のように届いていた。
どこにいるの、なんで返事しないの!
やば。
朝っぱらから冷や汗をかく和臣だった。
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