8話
セレティナは、止めどなく溢れる涙を抑えられないでいた。
いくら堰き止めようと思っても、清水の如く目の奥から湧いてくる。
宝石の様な瞳が瞬き、また一粒雫が零れ落ちた。
オルトゥスの老成した精神を無視する様に、セレティナの未だ幼い体に揺さぶられて感情が発露した。
悲しい。
悔しい。
寂しい。
様々な感情が勝手に蠢いて胸の奥で綯い交ぜになり、涙を精製していく。
セレティナは自室に駆け戻るとベッドに潜り込み、毛布を被った。そうして枕に顔を押しつけて、嗚咽を漏らす。
その事実が、どうしようもなくセレティナに堪えた。
*
コンコン。
部屋のノックの音でセレティナは我に返った。
ぼんやりと、何を考えるでもなく天井を呆けたように見ていた。
涙はとうに枯れて、ただ呆然とベッドに横たわっていたのだ。
いつまでそうしていたのかは分からなかったが、すっかり夜も深くなっていた事から見るにそれ相応の時間は経っていたらしい。
鉛の様に重くなった身をもたげ、セレティナは答える。
「どうぞ」
扉が開くと、意外にも姿を見せたのは兄のイェーニスだった。いつもの剽軽で能天気な雰囲気は無く、少し真面目そうな表情をしているのがセレティナにはどこか可笑しく思えた。
イェーニスはずんずんと大股でベッドの脇まで来ると、適当な椅子を引っ張って腰を下ろした。
「すごかった」
イェーニスはセレティナと同じ黄金の、しかし栗を思わせる短髪を掻きながら言い放った。
「え?」
すごかった。
……何が?
「お前、すげぇのな。母上にあんだけ食ってかかるなんてさ。俺さ、ちょっぴり感動しちゃったよ」
イェーニスはへへ、と笑いながら鼻をすすった。
「……すごいだなんて」
「俺さ、セレティナの事誤解してたんだよ」
「誤解?」
「俺、お前の事ずっと弱いと思ってた。いつも母上のいいなりだし、すぐに寝込む病弱な体してるし」
「……」
「だからなんつーか、お前はすっごい弱っちぃやつだと思ってたわけだ。……でも今日のお前は違った。強かったよ。すげぇ格好良かった」
俺は母上にあんな食ってかかっていけねぇ。
そう加えるイェーニスはどこか誇らしく妹の事を語る。
セレティナは呆気に取られていた。
いつも飄々としているイェーニスに人の強さを素直に賞賛する潔い一面があったとは思ってもいなかったのだ。
「セレティナ、お前騎士になりたいって本当か」
セレティナは二も無く頷いた。
「本当です」
「絶対なりたいのか?」
「絶対なりたいです」
「何がなんでもか?」
「何がなんでもです」
イェーニスの父譲りの琥珀色の瞳と、セレティナの母譲りの群青色の瞳が交差し、暫くの沈黙が流れる。
そうして兄は妹の頑なな意思を確かめると、僅かに笑ってみせた。
「そうか、なら明日行くぞ」
「え、行くってどこに?」
「馬鹿野郎。騎士ってのは黙ってて名があがるような楽な仕事じゃねぇぞ」
セレティナは、兄の言うところが理解できなかった。
……メリアのところにでも行くのだろうか。
そう頭によぎったセレティナだったが、兄の次の言葉はその遥か斜め上をいくものだった。
「武勲だ。武勲を上げに行くんだよ。明朝六時中庭集合だ。遅れんなよ。それと、絶対誰の目にも見つかるんじゃないぞ」
イェーニスはにべもなくそう言い放つと満足したのか、座っていた椅子もそのままに来た時と同じようにずんずんと大股で部屋を去っていった。
「……え?」
セレティナは、ただただ呆気に取られてしまった。
何か嫌な予感がしてならない。
嵐の様な兄の来訪の後には、ただ静けさだけが残った。
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