日常の備忘録

駅構内の狂っぽー

2021/6/10

 人間の記憶とは非常に曖昧なもので、どれだけ感動してハンカチを必死にスクリーンの前で濡らした映画でもセリフやカットの一割も記憶には残ってはいないし、毎日嫌でも顔を合わせる亭主からのプロポーズですら言うまでもない。つまり、記憶というのは私のような一介の人間のちっぽけな脳みそのなかでたった数コンマの内に走った電気信号でしかなく、それが数分もせずにどこかに行ってしまうことは何ら不思議な事ではない。

 だが思い出補正とこれを呼んでもいいものだろうか、私の頭の中から姿を消した記憶の方が何倍も今頭の中にあるものよりも上等である気がしてならないのだ。

 しかし、これが補正である可能性と同じように補正でない可能性も一概に否定できない。だから私はこれを記録し、あくまでもつまらないことを考えて生きていることの証左にしたいと考えている。それは、自分が上等な事を考えて生きているということや自分には面白い文章が書けるということは思い上がりでしかなく、そういう一文にもならないことを考えると後々自分に対して嫌悪感をいだいてしまう。そしてこれは私の中では生物皆に共通の結末としての死があるということと同じ位確からしいことであることを申し上げておこう。

 今日は尾崎紅葉の金色夜叉を図書室で借りた。どうやら金色夜叉のプロットとなったといいう海外の小説、女より弱きものというものがあるらしいので取り寄せてもらうよう頼んだ。しかしこの金色夜叉という小説が非常に読みづらい。恐らくそれは書かれている文体古文に近い物であるという点、私が普段現代の小説や文章を読みふけっていることに起因することだとは思うがそこに上乗せして、この尾崎紅葉とかいう小説家の文体というか表現そのものが華美であることもまた一つの原因ではないか。と思い至るのには数ページも要さなかった。人がわんさか正月の只中に集まってカルタにお熱を上げとると、この説明に一体何文字使うんじゃといった感じでこれを読み込むのには少々手間だぞ、といったところで今日はギブアップ。そもそも今日の読書スペースは昼食を取っていた茶店であり、店の外で行列を成して日光にさらされている客の事と、やけに皿を下げることに熱心な給仕さんのことがあったからで、この二つの懸念が一つもなければ一時間と少しぐらいは居座ってやろうという心積もりはあった。うん、決して私が臆病であるとか、店内の雰囲気に耐え切れなかったとかではない。

 話は変わるが、現代の人間は何故本を読まないのか。こう思ったことはないだろうか。私はある、というかその疑問がここ数日頭に張り付いていたのだ。クラスメイトに読んでいる本について質問された折に、本読むのはマジメのやることだ。と揶揄されてから私は少々立腹だ。そもそも本というのは一種のエンタテイメントでしかない。つまらんインターネットのコラムや渋谷で白昼堂々と行う人間観察なんかの低俗なエンタテインメントよりたったの少しだけクオリティが保証されているというだけで他には何にも変わりがない。同年代がネットフリックスとかいう何かで何を見ているかは分からないが、その時間で私が本を読んでいるに過ぎない。

そもそも本が何か高尚であるという考えは、活字神話に洗脳されているとしか形容できまい。こと現代においては本というのはある種の外れくじのようなもので、テレビやアニメでも表現として置換しても不自然にならないものはそうやってメディアミックスされてどんどん本、紙媒体から抜けていく。そうしてより多くの人間の目に触れるコンテンツとして世に羽ばたいていく。つまり本のまま、文章のままというのは非常にくだらなぅ大衆にとって娯楽としては不全であることの証左でしかないと私は考えている。

 だが分かりにくさという面では一役買っているのかもしれない。例えばの話だが職場のPCでアダルトビデオを見れば公然わいせつ罪かわいせつ物頒布罪か、懲戒処分は免れないだろう。これはおおよそどの媒体でも同じことだ。しかし小説ならどうだろうか。官能小説にブックカバーをかけていれば少なくともデスクのお向かいさんには知られることは無い。仮に中身を見られたとしても、たった一瞬文章を見てそれを一瞬で官能小説だと看破出来る同僚がいるのかという疑問もあるが。果ては速読王か官能小説マニアか。

 これは極端な例だが他にも太宰というネームバリューだけで彼の作品を一文字も読まずにまるで仏像か何かのように扱う人を見たことは無いだろうか。実際はそんな高尚なものとはかけ離れた人間的な面白さに満ち溢れているのだが、きっと彼等はこれに触れることなく一生を終えるのだろう。この事象も古典的な小説というイメージの持つ難解さや複雑さ、そういう物事の分かりやすい側面にとらわれてしまった結果ではないのか。既にお気づきかと思うがそれらは全て幻想ではあるのだが。

 今日はもう遅いので一旦筆を置くこととする。

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